こんにちは、橋爪志保です。すっかり寒くなりましたね。11月、冬の一歩手前、いやもう冬に入っているでしょうか?晩秋の雰囲気はとても好きなのですが、昼が短くなってしまうことだけが、どうにも悲しいです。
今回は短歌のカードゲーム「57577 ゴーシチゴーシチシチ(幻冬舎 定価1,760円 原案・ゲームデザイン:なべとびすこ、ゲームデザイン:天野慶)」とのコラボの回でした。5つの提示されたフレーズ(実際に「57577(ゴーシチゴーシチシチ)」に入っているカードです)を使って短歌を作る、というものでしたね。フレーズは、「泣きながら」「雨のなか」「くり返す」「花束のよう」「制服のまま」の5つでした。
今回は、特選1首、秀逸2首、佳作2首をご紹介いたします。
橋爪志保
2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。2021年4月に第一歌集『地上絵』上梓。Twitter @rita_hassy47
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自選短歌
I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる
特選1首
雨のなか濡れないでいる人々の共通点は生きていること/高遠見上
はっとさせられた一首です。ここでいう「雨のなか」というのは、例をあげると街なかの雑踏とか、そういう場所だと思うのですが、そういったところではたとえば「傘をさす」といった能動的な「雨をよける」行為を行わない者は、容赦なく濡れてしまいます。(もちろん屋根の中に入れば、死んだ人も生きていないモノもみんな濡れませんが、それはもはや「雨のなか」ではありませんよね。)
そんな条件のなかで、「生きていること」「生きていないこと」の差異を鮮やかに照らし出した一首のように思えました。たしかにたしかに!と声をあげてしまえるような歌なのにもかかわらず、落ち着いた雰囲気があるのがいいですね。「いやいや雨に濡れている人だっているかもしれない、そういう人も生きているよ」みたいな野暮なことを言いたくなくなってしまう力も、歌にあるような気がしています。
「雨をよける」という行為も、生きているからこそできる。当たり前のことかもしれませんが、改めて思い直すことで、生の実感を伴います。ささやかな意識にスポットライトが当たることで、詩がうまれました。
雨降りの街なかは、陰鬱なものかもしれません。けれど、みんな生きている。そのことが、ただダウナーな印象を持つ「雨のなか」というシチュエーションに、さらなる奥行きを与えているのです。
秀逸2首
さみしさを隠して綴る泣きながら泳ぐ魚のような手紙だ/ひーろ
悲しい一首ですが、なるほどな、と思わせる歌です。
魚は涙を流さないよ、泣かないよ、とは思うのですが、もし泣いたとしたら、涙を流したらとしたら。それでも、魚は水の中にいます。魚の悲しみは、きっと見えはしないと思うのです。
ところが、それが「さみしさを隠して綴る手紙」の、魅力的な比喩になっています。「魚の涙」的な発想自体は、わりとあるような気がしたのですが、「泣きながら泳ぐ魚のようなわたしだ」ではなく「泣きながら泳ぐ魚のような手紙だ」と、「手紙」に直接比喩をぶつけてきたところが、なんともいえないよい味を出しているなと思いました。
「さみしさ」を抱えていること、それを「隠」さねばならないこと、どちらもすごくつらいことで、ストレスフルなことだと思います。けれど、それでも、魚は泳ぐことをやめたら死んでしまいます。だからこそ、「綴る」ことも、同じくやめられないことのような気がします。悲しくても足を止めたらおわり、という苦しさもまでも、歌には表れています。
あと、この歌は動詞(隠す・綴る・泣く・泳ぐ)が多いです。わたしの感覚では一首のなかに3つ動詞があったらちょっと多いな、バランスを気をつけなくちゃな、と意識します。だから4つはかなり多いなという印象です。でも、ごちゃごちゃすることなく、比較的すっきりまとまっています。4つが連続しているにもかかわらず、です。この技術も注目ポイントだなと思います。
買い忘れきみに頼んだ長ネギの差し出しかたが花束のよう/早月くら
「買い忘れ」という、途中からいきなり始まったような初句が、まずは興味深いですね。
うっかり買い忘れたものを、おつかいとして別のひとに頼むというシチュエーションはよくあるかと思います。でも、ここではその「差し出しかた」がおもしろかった。「花束のよう」って、いったいどんな風かな、といろいろ想像がふくらみますし、これが正解!というものもないのだと思いますが、わたしはちょっと斜めに傾けて、いかにも大切なもののようにゆっくりと渡されたのではないかと考えました。
「長ネギ」というものと「花束」というものの対比も効いています。「長ネギ」は一本で、緑や白の地味な色をしていますが、「花束」は何本もあるものの寄せ集めで、色とりどりに違いありません。なんて程遠いのでしょう。けれど、「植物である」という共通点が存在します。
また、この歌一首だけで、「きみ」のキャラクターや、主体との関係性も、なんとなくですが見えてきますね。「差し出しかた」をちょっとコメディっぽくやってのける(わたしは「差し出しかた」が偶然「花束」っぽくなったというよりかは、「きみ」があえて丁寧に渡すという動作をふざけて行っていると読みました。でもどっちともとれると思います)、遊び心のある「きみ」。そしてそれを尊いと思う主体、という関係性です。
佳作2首
雨のなかアップルパイの断層を世界をみるような目でみている/五感
「アップルパイの断層」という言い方、一般的に使うとは思いながらも、本物の地面の断層っぽくも見えてくるおもしろい表現だなと思います。「世界をみるような」というのも、抽象的であまり実体のない比喩かと思うのですが、なんとなくじっくりと見ているような雰囲気が感じられます。
「みるよう/な目で」という句またがりも、ちょっと力はかかるものの、ナチュラルで、成功しているように思いました。
「雨のなか」というフレーズがどこまで効いているか、というのは疑問点だし、議論の余地はあるかと思います。
雨のなか傘を逆さに捧げ持ち湖を連れ帰る気の子ら/岩瀬百
傘をひっくり返すと、お椀型の雨よけ部分にたしかに水はたまります。でもそれを「連れ帰る」というダイナミックな表現で示したところにオオッと思わせる部分があります。
「傘を逆さに」というフレーズは音読するとカサカサしていておもしろいですね(「傘」の「逆さ」は「サカ」なのも含めておもしろい!)。
「捧げ持ち」というていねいな複合動詞も、「子ら」の無謀さとそれゆえのまがまがしさ、神々しさと相まって、ここではとても効いているような気がします。
まとめ
以上です。掲載された方、おめでとうございます!素敵な歌をありがとうございました。
さて、階段歌壇も残すところあと2回になりました。残りの2回は、どちらも自由詠となります。
ラストスパート、はりきっていきましょう。みなさまぜひご投稿ください。
第19回階段歌壇 募集要項
- テーマ なし (自由詠です。テーマはありません)
- 応募期間 2021年11月5日〜25日
- 発表 2021年12月上旬(TANKANESS記事内で発表します)
- はじめて投稿する方は投稿ルールを必ずご確認ください。
応募フォームに筆名、メールアドレス、短歌を記載のうえご応募ください。
<注意事項>
- 未発表の自作の短歌に限ります。(掲載された短歌は既発表作品となります。)
- 1人3首まででお願いします。(1つの応募フォームで3首まとめて応募が可能です)
いただいた歌は、すべて選者(橋爪志保)が目を通して選をし、上位者の歌とコメントを発表します。
また、入選作のなかから最もよかった短歌を「特選」とし、短歌に関する素敵なグッズをお送りいたします。
そこのあなた、あなたの短歌をわたしに読ませていただけませんか?
この記事を書いた人
橋爪志保
2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。2021年4月に第一歌集『地上絵』上梓。Twitter @rita_hassy47
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自選短歌
I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる