階段歌壇 第1回「星」総評&第2回募集のお知らせ

企画

こんにちは、橋爪志保です。

みなさま、このたびは「階段歌壇」第1回にたくさんの短歌を送って下さりありがとうございました。300首近くもの短歌が届いて、うれしさのあまり意識が遠のきました。もちろん、数だけではなく、ひとりひとりの方に心からのお礼を、一首一首の作品に最大の敬意を払い、全力で感謝申し上げます。ありがとうございました。

今回のお題は「星」。しかも読み込み必須でした。

「星」そのものや、「星」を使った多くの単語(「彗星」とか「星座」とか)は、きれい、ロマンチック、みたいなイメージが伴うかもしれませんが、同時に歌が甘くなりがちになるという危うさもあります。しかし、そんなわたしの懸念を吹き飛ばすようなバラエティ豊かな歌がたくさん集まりました。今回は特選1首、秀逸5首、佳作3首を紹介します。

【前回記事】 TANKANESS投稿欄「階段歌壇」第1回募集のお知らせ

橋爪志保

歌人。2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。その他の参加同人誌に、「鴨川短歌」「はるなつ」「あきふゆ」など。著作に、合同歌集『ベランダでオセロ』。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。
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自選短歌

I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる

階段歌壇 第1回「星」総評

特選 1首

終わらない始まらない春慣れないのにこの星に蚊は現れる/こりん

 

韻律(歌のリズム・調子)も、歌意(歌の意味)も、なんだか不思議です。31音ではありますが、「春」を「は/る」で区切るのはちょっと厳しいので5・8・4・7・7で読みました。

短歌の字足らずは字余りよりもはるかに難しい技術で、どうしてもここは!という時にしかあまりよい効果を発揮しない印象があります。しかしここでは「~ない」が3つも続く精神的に不安定な歌意を支えるように字足らずが効いています。
(あるいは、5・8・6・5・7と読んで、短歌を読むときの脳内四拍子を崩しにかかっていると読んでもいいかもしれません。だだだだだだ、だだだだだ、という畳みかけがこれまたおもしろい。)

それ以前に、いやそもそも「終わらない始まらない春」ってどんな「春」だよ!という気持ちにもなるんですが、春という夏や冬みたいに激しくない季節のなかで、ふと今季節がいつなのかわからなくなるような体感と、この言葉は妙に響きあいます。

「慣れない」という言葉も、春という新生活などが始まる時期とふんわりシンクロしています。そんな地に足がつかないような上の句が引き連れてくるのは、「この星に蚊は現れる」という、なんとも魅力的なフレーズ。蚊はたしかに、春が終わると待ってましたとばかりによくみられる(というか、刺されてかゆくなってから「あっいるな」と毎年認識しています)ようになりますが、「現れる」という動詞では本来あまり語らないものです。

「現れる」という単語からは、けっこう肉体がしっかりあるイメージがするから、蚊のような小さな虫には大げさなような気が少しするんですね。でも、ここで仰々しい言い方をすることで、ちょっとおかしさが生まれています。

仰々しいといえば、「この星に」も、そうですよね。べつにあなたが見かけただけだろ、しかも、夏になっていきなり地球に蚊が出現するわけではなく、地球のどこかでは必ず蚊は常にいるんだから、正確に情景を描くには「わたしのそばに蚊は現れる」だろうとも思うのですが、スケールを無駄に大きくしたことで、まるで蚊という種類の生物が地球上に誕生したかのような錯覚にも陥りました。

フラットな物言いもなんだかおもしろい。読めば読むほど楽しくなってくる、懐の深い歌だと思います。

 

秀逸 5首

天井を透かして星をみるように紙パックから牛乳を飲む/紺村

歌の意味は簡単で、しかも「牛乳」を飲んでいるだけの歌です。けれど一首から、時間帯はおそらく夜なのかな、とか、なかなかの角度で上を向いて飲んでるな、とか、大きいパック(望遠鏡で星をみている様子を想起させるためにも細長い1000mlパックと読みたいですよね)ならばもう飲み終わりかけなのかな、とか、さまざまなことがわかります。

ストローなんかを使わずに、直接あけくちに口をつけて飲んでいるのだとおもうけれど、その体感って独特のものがありますね。ちょっと飲みにくいし、こぼさないように注意しないといけないし、ちょっと不衛生かもしれないなあとか、色々なことを考えながら、身体はけっこう微妙で繊細な動きをしていると思うんです。

ところが、飲み物を飲んでいるときの「目線」は、かなり無防備。虚空をぼーっと見つめていることが多い瞬間なのではないでしょうか。この歌は比喩の力を借りながら、そんな無防備な「目線」に「役割」を与え、それでいて無防備さを手放していないところに美しさがあるなと思いました。

「天井を透かして星をみる」ことは、もちろん実際にはできないことです。たいがいの天井は不透明ですから。けれど、視点ははるか遠くの、実在するかどうかもわからない「星」をみつめているそうです。そのはっきりしているのかぼんやりしているのかわからない行為こそ、無意識の世界の一歩手前みたいな、非常に可視化しにくい領域の描写であるように感じます。

たとえば、長電話をしているときに手元のメモに描かれた意味不明な図形の落書きと、この歌の「星」はとても似ているような気がするのです。

 

 

誰よりもおだやかに生きその時に彗星となる余力を残す/アナコンダにひき

怒ったり泣いたり、激しく生きることだってできるのかもしれない。けれどじっと我慢してエネルギーを蓄えることで、「その時」に備える。果たしてそれは本当に「おだやか」と言えることなのでしょうか。それはどうかわからないけれど、少なくとも何も知らない他人からは、そんな姿が「おだやか」に見えるでしょう。

「彗星」を感情の表出の比喩と読んで、おだやかでいられなくなるような状況を「その時」と読んでもいいだろうけど、わたしはやっぱり、「生き」に注目して、「その時」を「死の瞬間」と読んでしまいたいです(もちろん、そう直接書いていないところにこの歌の良さはあると思います)。

「死んだら人はお星さまになるんだよ」みたいなフレーズはよく見るしありがちだけれど、自ら星になりに行こうとする迫力はそのフレーズとは全く違う。ほんとにこの人、エネルギーを貯めているんだな。準備万端じゃないか。

また、定型ぴったりのどっしりとした韻律も、体力にあふれて、みなぎっています。「彗星」は、ふつうの流れ星よりも儚くはなく、尾をひくことから見た目も派手。こいつは本当に「彗星」になれそうだ、という説得力を感じます。だから、「彗星」になることが自明のことのように書かれていても、何言ってんだこいつ、とはあまりなりません。

もちろん、自らが綺麗な「彗星」になることをよしとする姿勢は、ちょっとナルシスティックなのかもしれない。でも、この主体に「彗星」になってほしい気持ちが生まれてしまった以上、その心配は多分いらないと思いました。

 

 

ゴールドマン視野計のぞき、一度だけ広野で星を待っていたこと/衿草遠馬

「ゴールドマン視野計」というのは、ある一点を見たときにどこまでの範囲が見えているか(視野)をはかるためのドーム状の検査機のこと。検査を受けるひとは、機械の中央の点を見つめた状態で、いろんな方向から出る光を感知したらボタンを押します。それを何度も繰り返すことで、視野に欠けているところがないかを調べるんですね。

視野計をのぞくことと、「一度だけ広野で星を待」つことは、あまりに対比的です。視野計をのぞいたときの視界はかなり狭いものですが、広野ではひろびろと周りを見渡せます。

また「星を待」つというのもいろいろな読みがあるとは思いますが、流星群などを待っていたのではなく、たったひとつの「星」を待っていたと読むほうが「待つ」という行為に切実さが出てよいかと思います。とすると、たったひとつの「星」を待つことは、視野計の繰り返し光を待つ行為とは真逆のように見えます。

また、視野計の光は人工の光です。「星」のような自然の光とはずいぶん質の違うものでしょう。けれど、この歌の読点より前と後は、輝くものの出現を待機するということ、そのひとつで結びついています。

ゴールドマン視野計をのぞいたら、フラッシュバックのようにかつて「一度だけ広野で星を待っていたこと」が思い起こされた。いや、もしくは広野で星を待ったことなんて実は一度もないのかもしれない。けれど、広野の光景が夢のように立ち現れた。そんな想像の飛躍は、とてもドラマチックだなあと思うのです。

 

 

紙じゅうを黒えんぴつで塗りつぶしきらないことであらわす星ぞら/山崎有理

短歌定型というものは、31音がストーンと寸胴なわけではありません。頭のなかで短歌を音読すると、57577の句ごとに溝みたいな切れ目がある感覚がすると思います。これはその感覚をうまく利用した歌です。この歌は「塗りつぶし/きらない」のところで句またがり(単語が句〈5・7・5・7・7のブロックのこと〉をまたいで置かれている状態)をしています。

歌は上から(横書きの場合左から)読んでいきますよね。〈~塗りつぶし〉まで読むと、「ほうほう、塗りつぶすんだな」と、いったん読み手の脳内には真っ黒に塗りつぶされた紙が想像されるはずです。しかし、「その先はどうなるんだろう」と読み進めていくと〈きらない〉と続く。読み手は「え!全部塗りつぶさないんかい!」というちいさな「!」に出くわします。そう、つまり、ここで「星」が脳内の紙の空にぱっと出現するのです。

ちょっと説明的で、かたいところはある歌ですが、そのぶんひらがなを使うなどの工夫があります。星空の歌は今回たくさんありました(「星」読み込み必須なのであたりまえか)。ロマンチックな思いを言ってみたり、何かの比喩にしてみたり、さまざまなバリエーションがある中で、この歌の「星ぞら」はあまりきれいな感じがしません(いや、うまい鉛筆画ならきれいかもしれないんですが)。でもこの素朴さと歌のたたずまいは他の星空よりもきれいなのではないでしょうか。

同じ作者の〈毒のないふぐが住む星傷あとに塩を塗るから沙浜は白〉も、理屈の説明には難しさがありますが、不思議な魅力を連れてくるおもしろい歌だと思いました。

 

 

食べなくなった犬のおでこに口づけて星の匂いに気付いてしまう/芍薬

ゆったりと歌に入る初句7音がいいですね。「食べなくなった犬」とは、食べる力がなくなってしまうほどにおとろえた老犬、もしくは病気などにかかった犬のことと読みましたが、たとえばこの初句を「おとろえた」に変えてしまうと、一気に犬のリアルさが薄れてしまうし、犬の描写としても平坦になってしまいます。「食べる」ことという一点に絞って犬を描いたことにまず、好感が持てます。

そんな「食べなくなった犬」と接しているなかで、ふとおでこに口づけたとき、遠くないその死の匂いを嗅ぎ取ってしまった。「死=星」というよくある式は覆していないのですが、「死んだら星になる」ではなく、この時点ですでにだんだん「星」になりかけているのがなんとも不思議で面白い把握です。

でも、実際は生き物って、徐々に死に近づいていくものですよね(もちろんいきなり死ぬ場合もありますが)。「口づけ」る行為から匂いに気づくという流れ(口→嗅覚)も、(例えば、「匂いを嗅いだら匂いに気づく」みたいに鼻→嗅覚とするよりも)ずっと自然でいいと思います。また、「星の匂い」というのも、慣用句とまではいかないけれど、比較的詩の中ではよく使われるフレーズだ(〈とれたての公務員からしぼりとる真冬の星の匂いの公務/笹井宏之〉、〈173cm51kgの男憎めば星の匂いよ/山咲キョウコ〉など、短歌でもわりと使われますね)と思うのですが、ここでは従来とはちょっと質感の違う使われ方をしています。

 

佳作 3首

星をアットマークに変える 消えていく星に名前はあるのだろうか/橙田千尋

メールアドレスの@の箇所が☆に変えてあることが、インターネット上の表記では時々あります。リンク避けまたは悪用防止のための星ですよね。それを(連絡のために)元に戻す歌として読みました。〈@マークに変えないで送ったら稀に☆まで届くアドレス/岡野大嗣〉という歌と着想は同じですが、方向性は違いますね。

実際は「消えていく星」じゃなく、みずから「消す星」なのだけれども、「消えていく星」全般にこころを飛ばしたことで、ただの作業から詩が生まれました。しかし、@を☆に変える習慣の認知度の低さは指摘されるべきと思います。

 

 

この星の名前は?地球!?成功だ!!何年?令和二年!?遅かった!!/雨月茄子春

地球外の、しかもどこか遠い星から来たみたいです。失敗の可能性もあるような遠い旅。場所はひとまず「成功」したようですね。

けれど、本当は「令和二年」より前に着きたかったのでしょう。「?、!?、!!」を二つ繰り返した定型のセリフだけで、いろいろとSF的空想がはかどる楽しい一首です。派手な歌は他にもあったのですが、定型にきれいにおさまっている歌は珍しかったです。

ところで、異星人が元号とかわかるのかな……。

 

 

ある星の特別な日の物語 信号待ちでふと横を見る/クロサワシノブ

「信号待ちでふと横を見る」という行為は、特別でも物語的でも、なんでもないと思うんです。ましてや「星」というスケールでその場所を意識する瞬間なんかではありません。

でも、そんなごく普通の日常にこのような上の句がついたことで、それがかけがえのない大切なものに見えてきます。つまり、上の句が写真を飾るフレームや額縁だとすると、下の句は飾られている写真のように、わたしは読みました。とはいえ、構造がわかりやすすぎるという意見はあるかと思います。

 

 

全体を振り返って

以上です。掲載された方、おめでとうございます!やったぜ。素敵な歌をありがとうございました。

掲載叶わなかった方には以下のアドバイスを。

基本的なことを言うと、「さっぱり意味がわからないうえに味わいどころもどこなのか不明な歌」「要素が多すぎて言いたいことがごちゃごちゃしている歌」「共感はしやすいかもしれないけれど、感情が安直すぎる歌」などは採用するのは難しいかな、という印象があります。

また、字余りや字足らず、破調(定型を逸脱した調べのこと)の歌も多くみられたのですが、韻律がなんとなくだらしなかったり、意味もなくガクガクだったり、句またがりが不自然だったりする歌も、目にとまりにくいです。逆にそういった点を気づかうと、歌がぐっとよくなる可能性があります。

そういうセンスを磨くのはとても難しいのですが、多くはたくさん歌を作り続けていったり、いろいろな歌を読み続けることで徐々に身に着いたりすることがあります。

とはいえ、選(もちろん評も)というのは「ただひとつの答え」ではありません。当たり前ですがわたしの好みや解釈が反映されますし、取り上げることのできる歌数というのはまあまあ限られてきます。今回だめだった!という方も、めげずにまた楽しみながら応募していただけるとうれしいです。

階段歌壇 第2回「生」募集のお知らせ

次回の題は「生」。今回と同じく読み込み必須です。

第2回階段歌壇

  • 題 「生」 
    (詠み込み必須:短歌の中に必ず「生」という漢字を入れてください)
  • 応募期間 2020年6月1日〜20日(前回と締め切り日が変わっています)
  • 発表  2020年7月上旬(TANKANESS記事内で発表します)  
  • 応募フォームに筆名、メールアドレス、短歌を記載のうえご応募ください。 

<注意事項>

  • 未発表の自作の短歌に限ります。(掲載された短歌は既発表作品となります。)
  • 1人3首まででお願いします。(1つの応募フォームで3首まとめて応募が可能です)

いただいた歌は、すべて選者(橋爪志保)が目を通して選をし、上位者の歌とコメントを発表します。

また、入選作のなかから最もよかった短歌を「特選」とし、短歌に関するデジタルグッズ(スマホ用壁紙など)を賞品としてお送りします。

階段歌壇 第2回応募フォーム

 

そこのあなた、あなたの短歌をわたしに読ませていただけませんか?

この記事を書いた人

橋爪志保

歌人。2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。その他の参加同人誌に、「鴨川短歌」「はるなつ」「あきふゆ」など。著作に、合同歌集『ベランダでオセロ』。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。
Twitter @rita_hassy47
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自選短歌

I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる

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