みなさんこんにちは。橋爪志保です。だんだん暑い日も多くなってきましたね。梅雨のさなかという感じのはずなのに、気分はすっかり夏です。でも、まだ夜はすずしいので、窓をあけていると気持ちいい風が入ってきて、この季節独特の良さが味わえます。
今回も前回と同じく、題詠でした。「日」という漢字の読み込み必須です。今回も、ご投稿くださったすべての方に、心よりお礼申し上げます。ありがとうございます。
それでは、特選1首、秀逸3首、佳作2首をご紹介いたします。
橋爪志保
2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。2021年4月に第一歌集『地上絵』上梓。Twitter @rita_hassy47
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自選短歌
I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる
階段歌壇 第13回 題詠「日」総評
特選1首
こわくなる こころのなかにこだわりのような日陰がうまれる薄暮/窪田悠希
派手な歌ではありません。でも、地に足がついたどっしりとした構えの歌でもない気がします。読んでいて、どこかこちらも「こわくなる」ような、そんな「揺らぎ」のような効果のある歌です。
薄暮――夕暮れの時刻は、たしかに暗くなりはじめるので、濃くなったり長くなったりして「日陰がうまれる」ことは物理的にもあるでしょう。「陰」というものは暗いので、「こわさ」と容易にむすびつきます。そのようなものが「こころのなか」にあるというのです。
「こころ」というのは、主体自身の「こころ」だと読みましたが、「こころのなか」の翳り、心配事や不安、ネガティブな気持ちを「日陰」と喩える手法はわりとあるかと思います。夕方になるとふいに出現する薄暗い気持ちは、読み手も共感できるところが多いのではないでしょうか。
しかし、この歌の一番のキモは、「こだわりのような」です。「こころのなか」にある「こだわり」、自分が持つ「こだわり」。「こだわり」というのは、強すぎると困ることもあるかもしれませんが、基本的にはいい意味で使われることも多い語彙です。(たとえば「食へのこだわりが強い」と書いた場合、問題行動としての「偏食」よりも「食ツウ」のような印象が少し強く反映されますよね。)
でも、それを「こわい」と、歌ではいうのです。ちょっと奇妙な気がしますが、でも、わからないわけではありません。「こだわり」を辞書で引くと、「思い入れ」「執着」などと出てきますが、そもそも「何かに思い入れを持つこと」を「こわい」と思うような気持ちって、すごく原始的でかつ素朴な「こわさ」なのではないか、と思うのです。
そのさりげない不穏さが、「黒い」「闇」的なものではなく、「グレー」的な「日陰」で言い表されているところ、昼と夜の中間の微妙な時間帯を舞台にして展開されているところに力を感じました。
同じ作者の〈くちびるがふれてはなれた ヘンテコな日曜が過ぎ月曜が来た/窪田悠希〉も好きでした。
秀逸3首
蝶々の死骸が影をこしらえて夕日の位置をそっと伝える/ひーろ
「蝶々の死骸」、わたしはあまりみたことはありませんが、おそらく吹けばとびそうなくらい儚いものです。重さも数グラムとか、そのあたりでしょう。その死骸そのものの軽さと、死というものの存在の大きく威圧感のあるさまのギャップに、風邪をひいてしまいそうになるほどです。
しかし、そんな「蝶々」でも、日光を遮ることさえできれば、影はできます。確かにできるけれど、それはものすごくよく注目しないと、なかなかわかりません。とてもかすかなところに目がつけられています。
「夕日の位置」、つまり光源は影の方向と逆にあるはずです。だから、影をみると「夕日の位置」がわかります。「そっと伝える」は、本当に「そっと」なんでしょう。
まるで、触れたらこわれてしまいそうに脆い光景です。しかし、脆ければ脆いほど、詩の力は十分に発揮されます。しかし、景全体が少し「できすぎ」な感じも覚えます。そこらへんのバランスはめちゃくちゃ難しいのですが、読み手によってもまた感じ方は変わってくるのだと思います。
どくだみの葉っぱのちいさい日陰たち ぜんぶ拾って親に送りたい/SAMIDARE
「日陰たち」という表現にくすっときます。「日陰」は複数形でもあまり「たち」をつけませんからね。なんだかかわいい。景としてはかんたんで、どくだみが生い茂っている場所をながめているのでしょう。でも、葉や花ではなく日陰のほうに注目するところに、この主体の個性が光ります。「ちいさい」というのも、まあ実際葉っぱの影なんだからちいさいことはちいさいんでしょうが、わざわざ書く写実性みたいなものに、ちょっと奥行きを感じます。
しかし、もっと驚くのは下の句です。「ぜんぶ拾って」というのは、「日陰たち」を、と読みましたが、「日陰」は物体として拾うことはまずできません。でも、「拾いたさ」が連れてくる迫力みたいなものに圧倒されてしまいます。そして、「親に送りたい」という、親への親切なのかうらみなのかわからない感情も、なかなかにおもしろい。
「どくだみの葉っぱを全部摘んで親におくりたい」という感情だったら、ただの平凡な歌になってしまいますが、「日陰を拾う」という不思議な行動からは、その場の空気を他者に伝えたいというような鬼気迫る気持ちが伝わってきて、息をのんでしまいます。
送られてきた箱をあけて、陰だけがつまった様子をみて、「親」は、どんな表情をするかな。
同じ作者の〈魂は好きなのでいいはずだから日の丸のとこにしめじ立てとく/SAMIDARE〉も好きでした。
日没が門限だった頃夏の記憶が過半を占める制服/吉村おもち
制服を着ていたころの回想なのでしょう。中学生か、高校生くらいの年齢の頃かな。
「日没が門限」というのは、厳密にいうと毎日「門限」が変わるということで、「夏○時、冬○時」とかではないわけですね。毎日、じりじり早くなったり遅くなったりするわけです。実際は「日が暮れるまでに帰っておいでよ」みたいなラフなものだったのかもしれませんが、こう書くと、なんだか不思議な感じがします。
でも、暗いなかこどもを遊ばせるのはよくないから、という保護者(寮のルールとかかもしれませんが、たぶんそれだとしっかり時間が決まっているはずですよね)の思惑どおりの、理にかなった仕組みとはいえるでしょう。
この仕組みで門限を決めれば、夏のほうが門限は当然遅くなり、いっぱい外で遊べます。「制服」にとって、また、もしかすると自分にとっても「夏の記憶が過半を占める」というのは、無理ありません。「制服」の体言止めが、効いていますね。「制服」と自分を重ね合わせながら、きれいな余韻が生み出せています。
佳作2首
入会の日を決めるだけ決めるだけ周回遅れのわたしが生きる/去年
スポーツジムだったり、ピアノ教室だったり、そういうものの「入会」でしょうか。「決めるだけ決めるだけ」という復唱には、ものごとにいまいち踏み出せない心情だったり、もしくは「すぐやめてしまうかもしれない」みたいな予感が隠されているのかもしれません。
そんなだめな「わたし」はたしかに「周回遅れ」なのかもしれませんが、「わたしが生きる」と大きく出たことによって、スケールが大きくなりました。何事にも「周回遅れ」くらいの大差を他人とつけられている「わたし」を応援したくなります。
海までは歩けないけど日曜の朝の呼吸で川沿いをゆく/春原シオン
景はかんたんです。川沿いを散歩している日曜日の様子ですね。
けれど、それを過不足なく、しずかな、あまりひねりのない表現で描いています。日曜独特の解放感、朝独特のよろこびが「呼吸」にもあらわれているのでしょう。淡々とした歌で、一見地味ですが、たしかなよろこびが伝わってきます。
同じ作者の〈日が沈む速度に合わせて公園を横切るときの音楽がある/春原シオン〉も好きでした。
まとめ
以上です。掲載された方、おめでとうございます!素敵な歌をありがとうございました。
以下は次回(第14回)のおしらせです。次回で読み込み必須の題詠は一旦終了です。
第15回からはまたテーマ詠になりますので、最後の題詠力(?)をふりしぼって取り組んでみてください。
第14回階段歌壇 募集要項
- 題 「立」
(詠み込み必須:短歌の中に必ず「立」という漢字を入れてください) - 応募期間 2021年6月5日〜25日
- 発表 2021年7月上旬(TANKANESS記事内で発表します)
応募フォームに筆名、メールアドレス、短歌を記載のうえご応募ください。
<注意事項>
- 未発表の自作の短歌に限ります。(掲載された短歌は既発表作品となります。)
- 1人3首まででお願いします。(1つの応募フォームで3首まとめて応募が可能です)
- はじめて投稿する方は投稿ルールを必ずご確認ください。
いただいた歌は、すべて選者(橋爪志保)が目を通して選をし、上位者の歌とコメントを発表します。また、入選作のなかから最もよかった短歌を「特選」とし、短歌に関する素敵なグッズをお送りいたします。
そこのあなた、あなたの短歌をわたしに読ませていただけませんか?
この記事を書いた人
橋爪志保
2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。2021年4月に第一歌集『地上絵』上梓。Twitter @rita_hassy47
note https://note.mu/ooeai
通販 https://hassytankashop.booth.pm/
自選短歌
I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる