階段歌壇 第20回(最終回)「自由詠」総評

企画

みなさま、あけましておめでとうございます、橋爪志保です。本年もよろしくお願いいたします。

今回は更新が少し遅れてごめんなさい、お正月休みをいただいていました。みなさまはどのような年末年始を過ごされたでしょうか。わたしは初詣で、お賽銭の5円ぶん以上のお祈りをしました。祈りなら得意分野です。

さて、いよいよ階段歌壇は最終回を迎えます。いただいた最後の歌稿を読んでしみじみしてしまいました。ここまでの全20回、無事にやってこられたのは、みなさまのおかげです。本当にありがとうございます。

今回は特選1首、秀逸3首、佳作3首をご紹介します。

橋爪志保

2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。2021年4月に第一歌集『地上絵』上梓。Twitter @rita_hassy47
note https://note.mu/ooeai
通販 https://hassytankashop.booth.pm/

自選短歌

I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる

特選1首

 

後入れのスープを先に入れたとき、ちょっとだけ死ぬ 生きるから食う/古川柊

「死ぬ」「生きる」という単語は、とても難しいです。短歌の中に入れると、とたんに歌が重くなったり、逆に軽薄になったりします。というのも、「死ぬ」「生きる」というのは、単なる現象や現状を示すための単語ではないからです。

たとえば「死ぬ」の用法を考えてみます。「おじいちゃんが死ぬ」「社会的に死ぬ」「マリオが一機死ぬ」「死ぬほど笑う」「悪者に死を!」。どれもその意図やニュアンスが微妙に違いますよね。今回の特選歌は、その「死ぬ」「生きる」の振れ幅を利用した歌です。

「後入れのスープ」とはカップめんなどについてくる、「お湯を注いだ後にいれるべきスープの粉や液体」のことでしょう。それを間違ってお湯より先に入れてしまうこと、行為としてはたまにあることかなあと思います。
そのときに、「ちょっと死ぬ」。本来の生命がなくなるという意味の「死ぬ」には「ちょっと」という修飾は絶妙に変であるという前提を保持したまま、「精神が少しやられる」とか「味の品質が落ちる」とかいう意味の軽いしゃべり言葉としての比喩的な「死ぬ」が提示されます。

よいなと思ったのは、そこから飛躍する結句です。
「死ぬ」のすぐ後に「生きる」という単語が出てきます。でも、この「生きる」は、直前の「死ぬ」のように比喩的なものではありません。「食う」という生命維持活動に直結するような、いわば本当の「生きる」です。

もちろん、コミカルな演出はかかっています。が、この「死ぬ」と「生きる」は非対称です。非対称であることによって、少しまずくなったそのカップめんには、「生」と「死」のどちらの要素も、華麗に同居しています。その面白さにひかれました。

 

 

秀逸3首

 

教材に抜擢されて別解を教えてくれる江戸川コナン/吉村おもち

「江戸川コナン」とは、漫画『名探偵コナン』の主人公。難事件を推理で解決する彼の決め台詞は「真実はいつもひとつ!」です。ところが「教材」の中の「コナン」は、「別解」を教えてくれます。あれ、真実って、ひとつなんじゃなかったっけ……。原作やアニメとは違う、「教材」の顔をしたキャラクターに出くわしたときのなんとも言えない苦笑いが、この歌にはあります。皮肉のきいた一首です。

「教材」には、勉強の知識を読み手に与え、教育する役割が備わっていますが、その役割を重視するあまり、キャラ設定が崩壊したり、ストーリーがないがしろにされたりする様子というのは、見ていてたしかに滑稽ですよね。

書店に行くと、「ドラえもん」、「ちびまる子ちゃん」、「名探偵コナン」などなど、子どもに人気の漫画の「教材」や「教材」風漫画はよく見かけます。子どもの好きなキャラでつまらなそうな勉強にも食いついてほしい、という大人側の事情が透けて見えるところがあり、そのいじらしさにわたしはいつも、憎めないなあ、と思ってしまいます。そういった人間臭いアイテムをうまく歌の世界に取り込んだところにこの歌の魅力はあります。

同じ作者の〈星々がそれぞれ空を持つように君はわたしをさん付けで呼ぶ〉もよかったです。

 

 

鳴る前に息つぎをする目覚ましの気配で起きる59分/石川真琴

0分ぴったりにセットしておいた目覚まし時計。にもかかわらず、なぜか鳴るほんの直前に起きてしまうことって、ありますよね。もちろん、目を覚ましてしまった原因というのは、本当は何なのかはわかりません。でも多分、いつも起きている時間だとかで、体内時計の影響で起きたのでしょう。

けれど、その目を覚ましてしまった原因に、この歌ではおもしろい理由をつけています。「目覚まし」を擬人化し、「鳴る」ことを発声に見立てて、その直前に「すーっ」と「息つぎ」をしているというのです。そう言われてみれば、そうかもしれない。妙に説得力があります。実際、59分にほんの少し音が鳴って「息つぎ」をする時計はあるのかもしれない。そうでなくても、おもしろい。

とてもシンプルで、それ以上でも以下でもない歌ではありますが、定型ぴったりにおさまっていること、「59分」という言葉を最後に持ってきたことなどが、とても歌を読みやすく、かつよい立ち姿にしています。擬人化の既視感の度合いが、過度に低すぎたり高すぎたりしないところも、歌をゴテゴテしたものにさせておらず、よいと思いました。

同じ作者の〈アメスピの煙を空に沈ませて天使が釣れるのを待っている〉もよかったです。「アメスピ」はアメリカンスピリットというタバコの銘柄ですが、絶妙に天使が釣れなさそうなチョイスです。

 

お洒落してきたOBがずっと体育館にいる昨日もだった/平安まだら

主体たちは、体育館で運動部の練習か何かをしているところなのでしょう。スポーツに熱中していた時代は「お洒落」などあまりできなかっただろうから、その分めいっぱいの「お洒落」をして、「大学デビュー」なのでしょうか、母校を訪問してきているOBがいるわけです。

先輩の「イキり」の絶妙な格好悪さを見た主体の居心地の悪さ。「ずっと」、「昨日もだった」というところから、主体が先輩をたいして歓迎していない様子が伝わります。OBのドヤ顔と現役生のうんざり顔、どちらもが目に浮かびます。

でも、主体を含む現役生たちは、決して「邪魔です」とか「帰ってください」とかは言えないわけです。だって、失礼になるし、OBですからね。でも、言えないながらその「空気」だけは確実に存在する。誰も言葉にしないことを言葉にするという行為は詩の効力を強めることがありますが、これもそれにあたるような気がしました。

また、この歌には、句またがりが2つ使われています。強引な句またがりではないとはいえ、読み手をきゅっと立ち止まらせるくらいのたどたどしさがあります。でもそれはあまり悪いようには効いていません。歌意の主題となる「居心地の悪さ」と、句またがりのたどたどしさが、よいバランスで呼びあっているような気がしました。

 

佳作3首

 

何色を赤の他人に重ねれば他人はぼくになってくれるの/だれでもないやまだ。

「赤の他人」というのは慣用表現です。けれど「何色を重ねれば」と言ったとたん、まるで暗記用のシートとチェックペンみたいに、補色同士で色が変わるあれを想起してしまいます。でも本来、たとえ何色を重ねても、「赤の他人」の赤さはおそらく変わりないし、何色かに変わったところで「他人」と「ぼく」の差は埋められるものではありません。

「他人」を「ぼく」にするという発想自体、どこか狂気じみていて不思議ですが、切実なものを感じます。青い隣の芝生には、何色を重ねましょうか。

 

 

ふにゃふにゃのペットボトルを潰さずに飲めたら大人、そしたら会おう/岩松歩夢

たとえば「いろはす」とか、リサイクルのために潰しやすくなっているふにゃふにゃのペットボトルって確かにありますね。あれって、ほんの昔は全くなかったけど、みるみる定着していきましたね。

子供なら手持ち無沙汰解消のために飲んでいるときにそれを潰してしまうけど、大人はそうではない。いや、果たしてそうなのかな。この断定は、別に説得力はないのですが、何やら爽快感のある断定です。「そしたら会おう」の外へ外へとめいっぱいに開かれているさまもよいなと思いました。明るい歌です。

 

 

子のゆびが穴を空ければそのたびにビンゴカードにひろがるひかり/ひーろ

ビンゴカードは、「ビンゴになるか否か」が重要なわけですから、物理的な「穴」に注目することはなかなか本来は難しいことといえます。しかしここでは、「穴」というものへの原始的な賛歌がなされていて、とても興味深いです。

「穴」というのはときに、負や闇のイメージを誘い込むこともありますが、穴から差しこむ「ひかり」に目をつけることで、あざやかに反転もなされています。

「子」という存在に希望や明るさを託す暴力性というのは、この歌に限らず議論されるべき点かもしれませんが、ビンゴカードという、終わったらすぐゴミになるような刹那的なものに詩を見出す点は、純粋に魅力と思いました。

 

 

まとめ

以上です。掲載された方、おめでとうございます!素敵な歌をありがとうございました。

さて、これで本当の本当に終わりです。何度も言いますが、ここまで続けられたのは、他でもない、ご投稿くださったみなさまのおかげです。もちろん、掲載された方だけではありません。ご投稿くださった全員、情報を拡散して下さった方、気にかけてくださった方、すべてのおかげです。心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

階段歌壇はこれで終了をむかえますが、私は引き続きTANKANESSで記事を書く予定です。他のライターさんの楽しい記事もたくさん控えています。今後ともTANKANESSをどうぞよろしくお願いいたします。

全20回、1年半ちょい、突っ走ることができて本当によかったです。ありがとうございました!またどこかでお会いしましょう!!

 

この記事を書いた人

橋爪志保

2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。2021年4月に第一歌集『地上絵』上梓。Twitter @rita_hassy47
note https://note.mu/ooeai
通販 https://hassytankashop.booth.pm/

自選短歌

I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる

 

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