短歌の企画者に話を聞いてみた~「短歌ワークショップ」なべとびすこさん編~

企画

ご無沙汰しております。牛隆佑(うしりゅうすけ)です。短歌をつくったり短歌の活動をしたりしています。 

久しぶりに短歌の企画者に話を聞いてみました。全体を通しては第9回です。今回は精力的に短歌のワークショップを重ねてきた、なべとびすこさんのお話を伺いました。「TANKANESS」(このサイト。編集長はなべとびすこ。2019年~)の編集長や、「57577 ゴーシチゴーシチシチ」(短歌カードゲーム。原案・ゲームデザイン、なべとびすこ ゲームデザイン、天野慶。2021年)の制作者としてもおなじみですね。「短歌ブーム」と報じられる今こそ、読まれてほしいインタビューとなりました。

 

「短歌ワークショップ」企画者 なべとびすこさんインタビュー 

「ワークショップ」とは

 牛:よろしくお願いします。「TANKANESS」にはなべとさんの「短歌のワークショップ」についての記事があります。なべとさんは「ワークショップデザイナー育成プログラム」を受講されていましたし、僕もアドバイスをもらったことがあります。また、関西の歌人が短歌のワークショップの依頼を受けた際に、なべとさんに相談したという話も何度か耳にしました。ただし、短歌ワークショップについて知見があり、発信もする歌人がかなり少ない事情もあります。

まず、お聞きしたいのは「ワークショップ」の定義です。よく理解されないまま、なんとなく広まった言葉ではないでしょうか。 

なべと:一般的には、一方的な講義(セミナー)ではなく参加者が能動的・双方向的に関わる形式です。私が通ったワークショップ講座では、一日かけてそれぞれがワークショップの定義を考えるワークもあるくらい、ワークショップの定義は難しいです。決まった答えのないものを考えて、最終的に参加者それぞれが得た答えを持ち帰ることがワークショップの目的だと感じました。なので「対話」が大事な要素になります。他の人の意見は自分の意見とは違うと知り、そのすり合わせを重ねて自分の答えを探す、その行為がワークショップだと思います。

 牛:短歌の歌会みたいです。

なべと:そうです。ワークショップの定義は難しいですが、短歌自体にワークショップ的な側面がかなりあるなと感じます。ワークショップでは自分の考えを他者に伝える「言語化」も大事な要素ですが、短歌もそもそも感情や感覚の言語化と言えます。

牛:ワークショップについて調べると、思った以上にすでに自然に存在していると気づきます。たとえば、読書会はワークショップと言えますよね。しかし、僕が「ワークショップ」の言葉をはじめて耳にしたのは演劇系ワークショップで、スパルタ、怖い、自己啓発的、といった偏見もありました。

なべと:それは、本来の「ワークショップ」とは最もかけ離れたものです。参加者の心理的安全性の確保も、ワークショップでは大切な要素です。やり方を間違えたものは本当に危険です。

牛:さきほどの「短歌の歌会=ワークショップ」を前提にすると、やり方を間違えた歌会ですからね。歌人ならその危険性はよく理解されるのではないでしょうか。

なべと:ワークショップ講座に通ったのはそのためです。私がワークショップの方法を間違えているせいで、短歌を嫌いにさせてしまうのが怖かったんです。

 

短歌ワークショップの組立

牛:自分の話ですが、僕も9年間、奈良絵里子さんと「もしも短歌がつくれたら」(短歌をつくるワークショップ。ファシリテーターは牛隆佑と奈良絵里子。2012年~23年)という短歌ワークショップをしていました。主催のコワーキングスペース往来の他に、地域の商店街や図書館からも依頼を受けて、合計で100回くらいは行っています。ただし、形式としては1パターン、すべて同じプログラムでした。なべとさんは、場所も対象も運営もばらばらの短歌ワークショップに携わっています。何パターンのプログラムを持っていますか。

なべと:何パターンというよりも、細かなワークが10種類くらいあって、それを組み合わせてプログラムを作ります。たとえば、90分での依頼だと、まず10分のミニワーク、それから20分のワークを挟んで、最後に1時間かけて短歌を作るワークをして、というケースが多いです。もちろん、時間だけでなく、参加者や目的によっても内容は変わります。

牛:毎回、内容が違うのは大変ですね。最初のワークショップはいつでしたか。

なべと:短歌自体をはじめたのが2014年で、その2年後くらいから、ですかね。当初は、ワークショップが何かも分からずに「ワークショップ」と名乗っていて、ちゃんとワークショップ講座に通ったのが2019年です。

牛:最初の短歌ワークショップはどういうものでしたか。

なべと:それが難しいんですよね。ワークショップとは呼ばなくても、それっぽいイベントもあったので。

牛:たしかに。僕も2014年になべとさん主催のイベントに参加して、「57577」の原作「ミソヒトサジ」(短歌カードゲーム。制作はなべとびすこ。2016年)のプロトモデルになったゲームをしました。会全体としても参加者同士で楽しく話しながらゲーム的に短歌を作るもので、思えばとてもワークショップっぽいです。 

なべと:短歌自体をはじめた頃のイベントで、短歌を教えることはできないので、双方向で能動的なイベントを企画しました。それがワークショップ「的」だったと思います。ただ、ワークショップのファシリテーション(進行)技術が無かったので、果たして短歌ワークショップだったのかは分からないですね。

 

「短歌教室」との違い

牛:以前、なべとさんから、一般的な短歌教室と短歌ワークショップとの違いについての話を伺ったことがあります。目から鱗が落ちる思いでした。

なべと:「短歌教室」の多くが、「まず一首作って提出してください、からはじまる」というものですね。

牛:「やさしい~」や「はじめての~」と修飾されたものでさえその形式が多い。もちろん、それが駄目だと言うのではありませんが、たとえば「はじめての水泳教室」で「まず25m泳いでください。その後でフォームの改善点を教えます」というのは明らかにおかしい。

なべと:そうです。私は「料理教室」を喩えで使うことが多いです。「まずカレーを作ってきてください。」と言われても、そもそも必要な食材は何か、食材はどこに行けば手に入るのか、必要な器具は何か、何をどうすればカレーになるのか、などをまず知っていないと作れない。

マーケティングで「顕在層」「潜在層」という言葉がありますよね。すでにユーザーの人たちが顕在層、今後ユーザーになる可能性が高い人たちが潜在層です。短歌の世界で言えば、短歌を作ろうとする人たちに向けた入門書や、一首作れた人に向けた短歌教室など、すでに短歌を作りたいと思っている顕在層に向けたものは充実していると思います。でも、たとえば『短歌ください』の読者数と投稿数の差から考えると、「短歌を面白いと感じてはいるものの作っていない」という層がかなり多く存在するはずです。もっと言えば、今は全く短歌に興味がない人もいつ短歌に興味を持つかわからない潜在層だと思ってます。この層に向けての取り組みが足りていないように感じます。 

牛:潜在、つまり見えにくいので難しいというのもあるんでしょうね。

 

 

対象と目的 

牛:さきほどの話を聞いて、なべとさんの短歌のワークショップのことが少し分かりました。そもそも対象者の時点で違っているんですね。

なべと:私は短歌をすでにはじめた人を対象としたワークショップを担当することはほとんどありません。私のワークショップの対象者は、短歌をこれからはじめる人や、興味がないのにやらされる人、です。 

牛:学校や研修などで、プログラムの一環で強制的にさせられるケースですね。

なべと:そうです。短歌ワークショップは大きく2パターンに分かれます。参加者を募って自ら申し込んでくる場合がひとつ。「もしも短歌がつくれたら」など、多くの短歌ワークショップはこちらですね。もうひとつは、そもそもの考え方が異なっていて、依頼者が学校、図書館、職業支援施設などで「短歌をつかって何かを身に着けてほしい」という場合。自己開示力やコミュニケーション能力の向上や自己の振り返りに短歌を活用するというものです。これまでに、各施設の利用者、生徒、留学生、休職者といった人たちを対象としたことがあります。

牛:短歌という「作品」がワンクッションになるので、たしかに自己開示に短歌のワークショップは有効な気がします。 

なべと:対象者の層によっては、自己開示に壁があることが多いので、その場合は私自身の日記などを用意しておいて、それを元に短歌を作ってもらっています。今はしなくてもいいけど、もし今後何か表現したくなった時、自己開示が必要になった時に、この方法を思い出してください、というものです。短歌のスキルアップが目的ではなくて、今後の人生の方法のひとつとしての短歌の提示です。

牛:自己開示への壁は本当にありますね。僕は短歌をするうちに「テクニックとして」短歌以外の場でも自己開示ができるようになりましたが、本来は抵抗があって当然です。

なべと:短歌をはじめてから、いろんな友人に短歌を勧めてきましたが、「難しい」と「恥ずかしい」が大きなハードルだと感じます。「難しい」のイメージを取り払うために作ったのが短歌カードゲームの「ミソヒトサジ」でしたが、ゲームでもなかなか「恥ずかしい」は払拭できません。自己開示が苦手な人に、いきなり日記を書いてください、短歌を作ってください、はとても高い壁だということを心に留めておく必要があります。

 

 

短歌への苦手意識 

牛:なべとびすこさん自身が、最初の一首目を作るまでの時間が長かったと伺いました。

なべと:元々は、中学生の時に川柳を作る宿題があって、作れなかったんです。人生初の宿題サボりでした。先生にも懇談で指摘されて、そこから詩歌全般に苦手意識が生まれました。

牛:国語の先生からすると、川柳が作れないなんてサボりか何か事情があるとしかありえない、と思ったんでしょうね。季語も不要だし、575の言葉を並べるだけだと思っているんですよね。 

なべと:そうなんです。でもこっちはやりかたも教わっていないのに、と途方に暮れました。小説は書いていたので、小説に比する作品をたった17文字で言われても、何を?どうやって?と混乱しました。本当に1ミリも浮かばなかったです。 

牛:その作れなさはむしろ創作者の躓きですね。

なべと:国語の授業は好きでしたが、詩歌はかなり嫌いでした。読んでいても意味が分からないし、良いとも思えないし。

牛:苦手意識がなくなっていったきっかけは何だったんでしょうか。

なべと:まずは大学生の時に出会った文芸誌「ダ・ヴィンチ」の穂村弘さんの連載『短歌ください』です。でも、穂村さんの連載だけが面白くて、短歌はつまらないものだとまだ思い込んでいました。その後、穂村さんの著作のほか、枡野浩一さんや俵万智さんの短歌入門書を読むようになりました。それでも、読書の一環という感じで、短歌を作るには至りませんでした。作りはじめたのは、好きなロックユニットのハルカトミユキのボーカル、福島遥さん(現在は雲居ハルカ名義)の歌集『空中で平泳ぎ』を読んでからです。短歌を面白いと思ってから、作りはじめるまでに5年くらいかかりました。

牛:その経緯は、なべとさんが行う短歌のワークショップにつながっていますね。

なべと:そうですね。私自身が短歌に苦手意識を持っていたので、みんなも苦手意識を持っていると想定して取り組んでいます。私の苦手意識も、穂村さんや枡野さんなど、色んな人が用意してくれた短歌のドアで少しずつ開いたと思うので、私が何かする際には、苦手意識がある人に少しでも楽しいと感じてもらえるものにしようと心がけています。なので、短歌のワークショップでは、創作に前のめりじゃない人にも楽しんでもらうために、「ここまでで十分です」「これだけを楽しんでください」といった、できない時の配慮を強めに入れています。 

牛:とても大事なことですね。時代が遡るほど、「できないことができるようになる」に絶対的な価値がありましたが、ものの楽しみ方はそれだけではないはずです。

なべと:ワークショップの企画者がするべきことは階段を用意した上で、上れない時に、スロープを用意するなど、色んなアプローチの提示だと思います。

牛:だとすると、今日は時間がないからエレベーターを使いますが、ここまで登ればこんなにいい景色が見られるんですよ、というのもアリですね。

なべと:そうです。今日は景色だけでも楽しんでください。いつかまた、この景色が見たくなったら、自分で上ってみてください、という。

 

企画者のメリット

牛:話を聞くほど、しかしここまで短歌のワークショップに取り組む歌人はいるのだろうか、とも思います。とても乱暴に言えば、短歌の上達法の指南は、自分の辿った道筋を言語化すればいいだけなので、レベルの差はあってもやろうと思えば誰でもできます。しかし、短歌を作れない人に短歌の作り方を経験してもらおうというのは、短歌をいきなり作れてしまった歌人にとっては未経験のことだから、そのための研究が必要です。

なべと:でも、ワークショップをやる人がもっと増えてほしいですね。私のレジュメやノウハウで使えるものがあれば提供しても構わないので。

牛:作家としての歌人にとって、即時的なメリットに乏しいこともあるかもしれません。参加者が何年後かにでもふと思い出して歌集を一冊読んでみる、新聞歌壇に投稿してみる、だけで大成功と言えます。だとすると、ワークショップを重ねても、1回1回の参加者は「自分の顧客」にはならないですよね。

なべと:それは本当に稀ですね。 

牛:なべとさんは何をメリットに感じていますか。

なべと:まず、私自身が楽しいからですね。私も短歌を8年やってきて短歌の友人とのつきあいが多くなりましたが、私の短歌を特に読んでほしいと思うのは、昔の自分、つまりまだ短歌に出会っていない人たちなんです。なので、ワークショップを通じて、常に最初のころの感覚を取り入れて保ち続けたいと思っています。あとは「自分の好きなものは人にもお薦めしたい」という気持ちが常にあります。 

 

これからワークショップをはじめる人へ 

牛:今後、短歌のワークショップを行おうとする歌人たちに向けてのヒントを頂きたいです。なべとさんが、気をつけていることは何でしょうか。

なべと:まず「嫌な思いをさせないようにしなければいけない」が第一です。そのためには、常に「今日はじめて短歌を作る人がいる」と意識することです。自分のせいで短歌から離れてしまうかもしれない。ハラスメントは最も気をつけなければなりません。そして、その前提の上で、「とにかく楽しい空間にする」ことを目指しています。

牛:初めての人や、そもそも短歌に興味がない人がいるなかでは、それは難しくないですか。

なべと:私が意識するのは「目的を明確にすること」です。自分の目的も、参加者の目的も、です。ワークショップ終了後、参加者にどうなっていてほしいかというイメージを作っておくことです。たとえば、「歌集を読んでみようかな」と思ってほしいなら、歌集の良さが伝わるようなワークショップになるし、「歌会に行ってみようかな」なら、歌会の要素を組み込んだワークショップが必要になります。

牛:なるほど。それは本当に重要ですね。参加者はそれぞれ目的が異なるし、そもそも「25mを泳げるようになる」というような分かりやすい到達点がないのが短歌です。正解がないと言ってもいい。だからこそ、やる側が明確な目的を持っておくことが大事なんですね。

なべと:そうです。短歌のワークショップをやろうとして具体的に考えていくと、自分は短歌のどういう部分が好きなのか、が分かってくるはずです。そういう点も、短歌のワークショップを企画することの利点ですね。

牛:とても納得しました。それに、そこから考えるとできそうな気もしてきます。「短歌のワークショップをやってください」という依頼を受けるとまずは面食らうと思いますが、「自分が短歌の何を面白いと思っているか」から考えるのが良いですね。逆に、そこから始めないと、「とりあえず短歌カードゲームをやっておくか」「とりあえず短歌の穴埋め問題をやっておくか」になってしまう。

なべと:その通りです。穴埋め問題を用いるのなら、私の場合は「たったの2文字や3文字で歌の世界が劇的に変わることを知ってもらう」のを目的としています。進行側がどんな目的を持っているかを意識しておくことが大事なんです。

牛:その意識が抜け落ちると、ワークが「穴埋めの正解を当てるゲーム」に陥ってしまう。

なべと:そうなんです。短歌はすべて「あなたならどうする?」ですから。その他にも、細かなノウハウはいろいろとあります。たとえば、複数人で企画者を立てる、などです。複数人で「私はこれが苦手だった」を持ち寄ることで、いろいろな「できなさ」に気づいてお互いにフォローができます。

 

 

短歌ブームと短歌ワークショップ

牛:昨年、「短歌ブーム」という言葉が話題になりました。その真偽や是非はともかくとしても、急速にこれまで短歌に触れてこなかった人たちにも認知が広がっているのは間違いありません。必然的に短歌ワークショップの需要も高まるのではないでしょうか。 

なべと:そう思います。短歌に対して漠然と興味を抱く人は、歌人が思うよりもずっと多いと体感しています。漠然と興味を持っているところに、メディアなどで短歌を見かけて、本格的に興味を持つのだと思います。

牛:同感です。短歌に普段関心がないという人にも、こちらから短歌の話をするとけっこう面白がってくれることがあります。「短歌ブーム」は知るきっかけであって、知りさえすれば最初から好きだった、という人は多いと思います。

僕は28歳で短歌をはじめましたが、思い出してみると高校生の時に学校図書館で俵万智や岡井隆の著作を読んでいて、面白いと思っていましたし、大学の専攻は万葉集です。ずっと潜在層だったんですよね。短歌をうっすらと面白いものだとは感じつつも、自分で作るものとは認識していなかった。もし、その頃になべとびすこさんがするようなワークショップを体験していたら、もっと早く短歌をはじめていたかもしれません。

なべと:牛さんは「うっすらと短歌が好きだった人」ということですよね。私はさらに手前の「短歌が嫌いだった人」でした。その私でも短歌にのめり込むようにもなるのだから、短歌を好きになる人、必要としている人はずっとずっと多いはずです。

私が短歌を好きになったのも、いろいろな方が短歌のドアを用意してくれたからで、短歌のワークショップもそのドアの一つになれるのかもしれない。そのためには短歌のワークショップも多様であるべきで、もっといろいろな歌人にやってみてほしいと思います。

牛:地域格差もありますしね。今はオンラインも可能ですが、たとえば都市部に住む歌人が、地域の事情を考慮せずに参加者に「本屋で歌集を揃えてください」とつい言ってしまうかもしれません。少なくとも僕は言ってしまいそうだなあ、と怖くなります。

なべと:そうなんです。ワークショップを行う際には短所が長所になるとよく言われます。できない人の気持ちを理解できるからです。短歌では地方にいることがハンデになる面は、現状では残念ながらありますが、だからこそ同じ状況にいる人が何に困っているかがよく理解できるということもあります。 

牛:それほど話題になっていない印象ですが、地域格差は短歌にとっても深刻な問題です。

なべと:そう思います。

「TANKANESS」がウェブメディアである理由も、どの地域からでもアクセスが可能だからです。地域格差以外にも、家族や健康や仕事など、さまざまな問題で短歌に出会ったりはじめたりすることに高いハードルがある人がいます。ハードルがある分、背中を押すことが必要で、その背中を押す行為の一つに、短歌のワークショップや「TANKANESS」の記事がなれたら、と考えています。まだ短歌に出会っていないけれども、これから短歌に出会って好きになるはずの人に向けて、いろいろなドアを作っていきたいです。

 

おわりに

もしかすると、今回の記事を読んで「ワークショップの企画は難しそうだなあ」と思った方もいるかもしれません。たしかに、難しくはありますが、同時に「特殊」ではないとも思うはずです。突き詰めていけば、参加者への目配りと気配りに行き着き、普段の仕事や生活のなかで、心がけていたり、自然に振舞えていたりする人も多くいるはずです。参加者が初めて自分自身の短歌を作る、その瞬間に立ち会える感動というのはたしかにあります。機会があった際にはぜひ挑戦してみてください。困ったらなべとびすこさんに教えてもらって。

 

インタビューされた人

なべとびすこ(鍋ラボ)

TANKANESS編集長兼ライター。短歌カードゲーム「ミソヒトサジ<定食>」「57577 ゴーシチゴーシチシチ(幻冬舎」、私家版歌集『クランクアップ』発売中。

Twitter @nabelab00

note https://note.mu/nabetobisco

通販  鍋ラボ公式通販

自選短歌

ふるさとと呼ぶには騒がしすぎる町 でもふるさとを他に知らない

 

インタビューした人

牛隆佑

1981年生まれ。フクロウ会議メンバー。

これまでの活動はこちら

Twitter:@ushiryu31
blog:消燈グレゴリー その三

自選短歌

朝焼けは夜明けを殺しながら来る魚を食らう魚のように

 

記事で紹介した短歌企画

TANKANESS:このサイト。編集長はなべとびすこ。2019年~

57577 ゴーシチゴーシチシチ:短歌カードゲーム。原案・ゲームデザイン、なべとびすこ ゲームデザイン、天野慶。2021年

ミソヒトサジ:短歌カードゲーム。制作はなべとびすこ。2016年

もしも短歌がつくれたら:短歌をつくるワークショップ。ファシリテーターは牛隆佑と奈良絵里子。2012年~23年

 

「短歌の企画者に話を聞いてみた」バックナンバー

第1回 「あみもの」御殿山みなみさん

第2回 「うたつかい」嶋田さくらこさん

第3回 「歌会たかまがはら」天野うずめさん

第4回 「最適日常」月岡烏情さん

第5回 「CDTNK(カウントダウンタンカ)」泳二さん

第6回 「うたそら」千原こはぎさん

第7回 「まいつき短歌祭」武田ひかさん

第8回 「短歌ヴァーサス」荻原裕幸さん編~

 

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