本ッ当に好きな短歌の本 教えてください〜虫武一俊編〜

エッセイ

「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?

相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。

この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。

第4回は虫武一俊さんです。

 

虫武一俊さんの「本ッ当に好きな 短歌の本」

短歌に限らないが、好きになるとひとことに言っても、大きく2種類あるのかなと思う。同質であるがゆえに好きとなるか、異質、自分にはないものであるがゆえに好きになるか。

どちらかと言えば私は後者の好きのほうが断然多く、例えば私はまったく運動ができないが、スポーツ中継はよく見る。そして見たあとで高揚して同じように動こうとしてみて、自分の体の不自由さに絶望する。また、顔にすぐ内心が出てしまうタイプでもあり、人狼で狼側になったときもそれで負けてしまう。なので、ピンチになっても変わらないポーカーフェイスを良いなぁと見てしまう。

短歌のなかでの好きって何だろうと考えていくと、やっぱり同じように自分にないものに惹かれていく。

シャッターを切らないほうの手で受ける白亜紀からの二塁牽制

表面に〈さとなか歯科〉と刻まれて水星軌道を漂うやかん

このケーキ、ベルリンの壁入ってる?(うんスポンジにすこし)にし?(うん)

/笹井宏之『ひとさらい』

 

私はインターネットの片隅で細々と短歌を始めたのだけれど、初めてかなりすぐに、ネットで笹井宏之の短歌に遭遇している。だいぶ笹井さんとは違う作風になったいまでも、引用したような現実に引き寄せ難い歌のほうが好みだ。

白亜紀に野球はないし、歯医者のやかんをわざわざ宇宙に持っていくことはないし、ベルリンの壁を食べることもない。その「ない」という空洞を輪郭として、無限の想像に思いを馳せる。その過程は完全な詩だろう。

 ※

私にとってのできなさで言うと、もうひとつ、短歌でまったく別の系譜がある。

ほほえみが頬を壊してゆくことを秋半ばしろく繊き雨降る

さびしさに死ぬことなくて春の夜のぶらんこを漕ぐおとなの軀

/内山晶太『窓、その他』

 

自己を出すことに対して抑制的で、描写を通じて感情を表現する……描写の力の確かな歌人も数多くいるが、内山晶太を読んだときが一番インパクトが大きかった。世界のあるがまま、ときに変わっていく瞬間を描きとって、詩に立ち上がらせてしまう。

短歌を始めて15年になるが、いろんなことをやってみた結果として、自分と自分が見て体験した世界をそのままぶつけるかたちに落ち着いている。いや、そもそもだいぶ最初のころから、職歴がない短歌なんて発表していたわけだから、そりゃそうなっていくよなという気もするのだけれど。

とはいえ、自分をド直球に歌にぶつけてきたことに後悔はない。むしろそういうことを見せてきたことで、それを人に見てもらって、人間関係や人生を含めて、道が拓かれたり果たされたことはかなり多い。できることをやったことで好転してきたのだから、恵まれているだろう。

ただこれからの生も歌人としても、できないこと、得意ではないことに囲まれながら続いていく。それらに触れて気づくことが増えるたびに、刺激になり次の展開に繋がっていく。何を避けたり馬鹿にしたりすることなく、そういう相互作用をこれからも大事にしたい。

 

この文章を書いた人

虫武一俊

1981年生。大阪府育ち。2008年から短歌を始める。2021年より『西瓜』参加。歌集に『羽虫群』(書肆侃侃房)。同書で第42回現代歌人集会賞。

twitter : @mushitake

自選短歌

三十歳職歴なしと告げたとき面接官のはるかな吐息

 

今回紹介した短歌の本

  • 『ひとさらい』笹井宏之

  • 『窓、その他』内山晶太

 

「本ッ当に好きな短歌の本 教えてください」バックナンバー

第1回 榊原紘さん編

第2回 谷じゃこさん編

第3回 藤宮若菜さん編

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