教科書に載っている歌人の作品を読んでみよう~俵万智の歌集全部読む編~

コラム

みなさんこんにちは。TANKANESSライターの貝澤駿一です。

はやいものでこの「教科書に載っている歌人の作品を読んでみよう」シリーズを書き始めてから1年が経ちました。この1年、新型コロナウイルス感染症の影響で、家で過ごす時間が格段に増えたわけですが、歌集を読んだり連作を作ったりオンライン歌会をしたりと、短歌はおうち時間を豊かにしてくれるものですね。ステイホームをきっかけに、おうちで短歌を楽しむ人が増えないかなあと思う今日このごろです。

「教科書に載っている歌人の作品を読んでみよう」シリーズではこれまで石川啄木若山牧水北原白秋について解説してきました。取り上げられなかった歌人としては、ほかに与謝野晶子斎藤茂吉を筆頭に、木下利玄伊藤左千夫佐佐木信綱土屋文明などがいます。
啄木、牧水、白秋の3人は全員が明治生まれです。最後の白秋は戦時期まで生きているので、時代的には昭和の短歌までたどり着きました。

これ以降の流れを簡単に説明します。
白秋の記事で少し書いたように、戦時中の歌人たちは少しずつ自由な表現の場を奪われていったという歴史があり、終戦を迎えてから短歌は新しい時代のスタートを切っていくことになりました。戦後短歌の時代の到来です。

終戦後は、短歌についての考え方も大きく変貌する中で、現在でも教科書に掲載されているたくさんの歌人が登場し、短歌の伝統の継承と革新に貢献していきます。

近藤芳美斎藤史寺山修司塚本邦雄岡井隆馬場あき子……こうしたレジェンドたちをすべて紹介するのはそれだけで大学の講義を1年分使ってしまうくらい骨が折れるので、ここでは1950年~1980年代にかけて、論作両面で活躍した大歌人がたくさんいたという記述にとどめておきましょう。

そして、終戦からおよそ40年後の1986年に、ひとりの歌人がその後の短歌の歴史を大きく変えてしまいます。この年に「八月の朝」50首で角川短歌賞を受賞した、俵万智(1962-)の登場です。俵の第一歌集『サラダ記念日』は「歌集」というジャンルを飛び越えた空前絶後の大ベストセラーとなり、これをきっかけに短歌が一気にひろがっていったのです。俵万智がいなければ、現代の「短歌ブーム」とも呼べるような現象は起こらなかったでしょう。

ちなみに、(まったくどうでもいいことですが)僕が短歌を始めることもなかったでしょう。記憶にある僕の1番古い歌集体験は、古本屋で購入した『チョコレート革命』でした。まだ中学生だったと思います。

俵万智の登場は昭和後期~平成の短歌を語るうえで計り知れないくらい大きく、エポックメイキングな出来事だったのです。

僕が中学生~高校生のころは、俵万智は教科書に載っている歌人の最年少というのが定番でした(今では少し事情が変わっているかもしれません)。たとえば、このような歌が教科書や資料集に掲載されていたのを覚えています。

思い出のひとつのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ 『サラダ記念日』

花火はなびそこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり 『かぜのてのひら』

 

僕は中学~高校時代にかけて、俵万智の歌を教科書や便覧で読んで暗記しました。平易な言葉で書かれたこれらの短歌は、口にするととても心地よく、ついつい覚えて音読したくなってしまうような魅力があります。
今回は初心者の方にもわかりやすい俵万智という歌人の作品について、教科書に載っている代表作から最新の作品までを一気にまとめてみたいと思います。

*俵万智の著作は数多くありますが、この記事では「歌集」としてナンバリングする作品を全部で六冊とします(2021年7月現在)。それぞれに刊行年と簡単なテーマを振り返ってみましょう。

   タイトル 発行年 テーマ 備考
第1歌集 サラダ記念日 1987年 みずみずしい少女の恋  
第2歌集 かぜのてのひら 1991年 旅と人生  
第3歌集 チョコレート革命 1997年 大人への脱皮  
第4歌集 プーさんの鼻 2005年 家族の営み 第十一回若山牧水賞受賞
第5歌集 オレがマリオ 2013年 自然の再発見  
第6歌集 未来のサイズ 2020年 社会への関心 第五十五回迢空賞受賞

これ以外にも、自選歌集(いわゆるベスト盤)にあたる『会うまでの時間』(2005)や、数多くのエッセイ集・歌書等が刊行されています。

ここからは第1歌集から順番に、具体的な作品をあげながら、俵万智の魅力を解説してみようと思います。

 

俵万智の歌集全部読む

『サラダ記念日』みずみずしい少女の恋

 

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

サラダ記念日』という歌集が「すごい歌集だ!」ということは知っていても、どこがどう「すごい」のかまでは知らないという読者も多いと思います。では、どこが「すごい」のでしょう。

歴史はあるけど地味な文芸だと思われていた「短歌」という世界が、この『サラダ記念日』というたった一冊の歌集によって再発見され、社会に新しい文化を根付かせた――月並みな言い方をすれば、短歌が〈社会現象〉となった――と言えばわかると思います。

たとえば、「付き合って1か月記念日」など、なんでもない1日を「記念日」と呼び大切にしていくという文化は、実はこの『サラダ記念日』が発祥なのですね。(そのため、七月六日は「記念日の記念日」と呼ばれています)。この歌集のすごさが少しは伝わったでしょうか。

 

「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

愛人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う

「八月の朝」

 

歌集冒頭に収められた「八月の朝」は、第三十二回角川短歌賞を受賞した俵万智の代表的な連作です。話し言葉の使用と、跳ねるような独特のリズム感が特徴的なこれらの歌には、若い女性のフレッシュな恋がみずみずしい口語で歌われています。その前年に次席となった「野球ゲーム」は、事実上のデビュー作といえる作品で、歌集ではこの「八月の朝」の次に収められています。

 

たっぷりと君に抱かれているようなグリンのセーター着て冬になる

「嫁さんになれよ」だなんて缶チューハイ二本で言ってしまっていいの

「野球ゲーム」

のちに誰もが知る名歌となった〈缶チューハイ〉の歌を筆頭に、やはり恋に恋するような少女の高揚感が魅力的です。こうした雰囲気から、『サラダ記念日』は「口語の」「みずみずしい」「恋の歌」の歌集というイメージが先行しがちです。しかし、このころすでに短歌結社「心の花」に所属していた俵は、それまでの短歌の伝統を継承するような作品も多く歌集に残しています。

 

君と食む三百円のあなごずしそのおいしさを恋とこそ知れ 「野球ゲーム」

「クロッカスが咲きました」という書き出しでふいに手紙を書きたくなりぬ 「待ち人ごっこ」

〈あなごずし〉の歌では、結句に〈こそ知れ〉という、受験生にはおなじみの「係り結びの法則」が使われています。〈クロッカス〉の歌も、先に特徴として挙げた会話体を巧みに利用しつつ、ベースにあるのは文語文体であることが、結句の〈~なりぬ〉という部分でわかります。

寺山修司の(やはり教科書に載る名作である)<きみが歌うクロッカスの歌もあたらしき家具のひとつに数えむとする>を彷彿とさせますね。俵がほかの歌人の歌もよく勉強していたと思わせる作品には、このようなものもあります。

 

空の青海のあおさのその間(あわい)サーフボードの君を見つめる 「八月の朝」

今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海 「夏の船」

 

サーフボードに乗る君が、空と海の間に漂っているように見える……これはまさしく、若山牧水の代表作<白鳥や哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふの影響を受けています。

そもそも「八月の海」という連作そのものが、海を舞台に若い男女のみずみずしい恋心を描いているという点で、牧水の青春歌集『海の声』に通じる部分があるといっていいでしょう。〈今日までに~〉の歌もよく知られた作品ですが、こうした海の擬人化も牧水が好んで用いていた手法です。

のちの俵の著作『牧水の恋』において、自らの初期作品における牧水の影響について自解を行っていますが、そのわかりやすい例がここに表れています。

つまり、『サラダ記念日』が真に革新的だったのは、短歌の「伝統」というレールに乗りながら、そこに現代的な口語体や話し言葉を巧みに融合させることによって、まったく新しい文体を作ったという点にあるのです。

この「文語・口語ミックス体」は、彼女の代名詞になるとともに、これ以降に登場するインターネットの普及を経て、現代の短歌におけるスタンダードとして確立したと言ってもいいでしょう。後発する歌人は、この『サラダ記念日』の文体を必ず通過し、咀嚼するような形で、自らの文体を作りこんでいくのです。

さて、この項目の最後に、『サラダ記念日』の注目すべきもうひとつの連作、「橋本高校」にふれる必要があります。俵は、一九八五年から四年間、神奈川県立橋本高校で国語教師を務めていました。「橋本高校」という連作は、〈恋に恋する〉若い女性というイメージとは裏腹に、実直な教師として子供たちの成長に向き合う姿が描かれた作品です。

 

万智(まち)ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

ようやっと名前覚えし子どもらの答案それぞれの表情を持つ

薄命の詩人の生涯を二十分で予習し終えて教壇に立つ

シャンプーの香をほのぼのと立てながら微分積分子らは解きおり

「橋本高校」

このなかでも〈シャンプー〉の歌は特に印象的です。定期試験という緊張感の中に、シャンプーの香というどこか牧歌的な道具立てがあり、それを漂わせている子供たちが微分積分を解いている……この歌には、単なる学校の一場面を詠んだという以上のエッセンスが詰まっています。生徒たちとあまり変わらない年齢の教師が、ひたむきに微分積分を解く目の前の生徒たちをいとおしく感じるとき、そこにあるのはおそらくきょうだいや母の愛情にも似た気持ちです。

こうした教師としての子供たちへの愛にあふれたまっすぐな歌いぶりは、この後に出る歌集『かぜのてのひら』で下した決断や、『プーさんの鼻』以降の作品で自分の愛する息子へ向けるまなざしのことを考えると、非常に象徴的に映ります。

 

『かぜのてのひら』旅と人生

 

四万十(しまんと)に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら

かぜのてのひら』は、上記の歌を表題作とした、1991年発表の俵の第2歌集です。表題作では「風の手のひら」と漢字になっている部分が、歌集タイトルではひらがなに変わっています。

『サラダ記念日』の若々しい口語の勢いのある歌に比べると、『かぜのてのひら』は文語体の作品が目立ち、どこか落ち着いた印象も受けます。のちに説明しますが、それはこの歌集の中で俵がある「決断」を下し、本格的に歌人の世界へと歩み始めたことと関係があるのだと思います。

「風の手のひら」の一連は、親しい異性と高知県の四万十川流域を旅したときの作品と思われます。『サラダ記念日』にも旅の歌はありましたが、この歌集では「旅」は二十代後半の自分自身を見つめなおすきっかけになっています。また、旅先でのさまざまな人たちとの出会いが、元来言葉でものをとらえなおすことに長けたこの歌人の世界を拡張させ、より歌としての魅力が増していることにも注目します。

 

川えびの種類教えてくれし漁師ふっと娘のことを話せり

十七の冬に一人で来たという君はその日の海を見ている

高知には高知のことば「こなつ」という果実かがやく日曜の市

雨たたく室戸岬に立ちおれば未練とはなまやさしき言葉

「風の手のひら」

1首目では、川えびの漁師からふと語られる〈娘〉の話に、自分もまた〈娘〉であることを思い出しており、旅先で出会った人たちとの交流のあたたかさが感じられます。

一方で、2首目のような旅をともにする〈君〉へのまなざしのやさしさも印象的です。〈十七の冬〉という〈君〉の年齢は、俵がその年代の子供たちを教え、導く仕事をしているからこそ意味を持ってくるものでしょう。

3首目では言葉に対する率直な好奇心がこの歌人の原動力になっていることがうかがえます。

全体的に明るく穏やかな旅ではありますが、4首目の〈未練〉は俵がこの時期に人生の大きなターニングポイントを控えていたことを暗示させます。

『サラダ記念日』でも牧水のエッセンスが多分に感じられた俵の作品世界にとって、〈旅〉というモチーフは非常に重要です。『かぜのてのひら』における〈旅〉は決してセンセーショナルなものではありませんが、〈旅〉をうたうときの俵の目線はとても思索的であり、また堅実でもあり、人生のあり方を深く考えている点に注目する必要があります。

 

我一人届いてしまった空港に届かぬスーツケースを待てり 「デンマークから」

エアポートのざわめきの中に「そら」という日本語聞こえてふりむいており 「シカゴの夜」

もし我に男(お)の子生(あ)れなばこの岬の名前をつけんと思えり竜飛 「津軽」

完璧な姿ではない岩手山だからやさしいのだとも思う 「賢治祭」

どの歌にも〈旅〉の非日常の中でふと浮かび上がってくる〈われ〉の自己意識が表現されています。〈旅〉によって自己を発見していく20代後半の作者は一方、その日常として「恋」と「仕事」をありのままに歌い上げます。ここでは「恋」の歌ではなく「仕事」、つまり教員としての歌を取り上げてみたいと思います。

 

「先生」と常に誰かが戸をたたく私を私にさせぬがごとく 「修学旅行」

ピストルの音 一斉にスタートを切る少女らは風よりも風 「風よりも風」

その日その風の中にて生徒らとともにかじりし焼きソーセージ 「さよなら橋本高校」

 

<万智(まち)ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校>と歌っていた学生気分の抜けない(?)新米教師は、いまや修学旅行の引率を任せられるまでになっています。

1首目では、生徒たちの前で常に〈万智ちゃん〉ではなく〈先生〉であり続けなければならないことに、少し違和感を持ち始めているのでしょう。

一方で、2首目に見られる青春への賛美や、3首目のような温かい目線からもわかるように、自分を慕い、頼ってくれる生徒たちへの愛情は決して消えることはありません。しかし俵は、恋に仕事に旅に、様々な経験を積んでいく中で成長を重ね、ついには学校を去るという決断をするのです。

 

四回の春夏秋冬くぐりくぐりぬけてさよなら橋本高校 「さよなら橋本高校」

 

橋本高校での経験もまた、俵にとっては長い人生のどこかに〈旅〉として刻まれるものだったのだと思います。それは後年、俵が少なくとも歌集の中では高校教師としての歌をほとんど残していないことからもうかがえます。

これ以降、俵は専業の歌人として活躍していくのですが、その転換点となった『かぜのてのひら』は次作の『チョコレート革命』の奔放さの陰に隠れてしまい、あまり目立たない歌集です。しかし、「恋」のイメージで語られがちな俵の作品を「旅」や「人生」という視点で読み直すという意味では、『かぜのてのひら』は地味ながらも非常に重要な歌集であるといえるのではないでしょうか。

 

『チョコレート革命』大人への脱皮

 

男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす

チョコレート革命』は、1997年に発表された俵の第3歌集です。前作の『かぜのてのひら』がややおとなしい雰囲気の歌集であったのと対照的に、『チョコレート革命』はずっと奔放で、のびのびとした恋の歌集という印象があります。表題作はまさに、煮え切らない男に対して理屈ではなく感情で勝負してきてほしいという、女の恋の駆け引きのような場面が描かれており、与謝野晶子の<やは肌のあつき血汐にふれもみでさびしからずや道を説く君>のような燃え上がる恋の息吹を感じさせる作品です。

『チョコレート革命』では、常に主体、つまり〈われ〉と〈君〉との間に、ある関係性が示唆されます。読者はそれを前提に恋の歌を読んでいくのですが、その赤裸々さにふっと身構えてしまう部分もあるでしょう。

 

優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球が来る 「だあれもいない」

家族という制度のなかへ帰りゆく君はディオールの香り残して 「チョコレート革命」

はじまりも終わりも見えぬ千曲川どこまで続いていくかこの恋 「もどり橋まで」

焼肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き 「シャネルの泡」

 

『チョコレート革命』は小説ではないので、こうした関係性の顛末について作品内でくわしく語られることはありません。しかし、作者の属性が作品の主体と強固に結びつきやすい短歌という形式において、このような関係性を描くこと自体が非常にリスキーであると言えます。〈優等生〉の歌に象徴的に描かれているように、俵はこれらの作品の中で「若々しい」「みずみずしい」といった『サラダ記念日』以来の自らの属性を破壊しようと試みています。

高校を退職し専業歌人になった俵にとって、『チョコレート革命』は若さというしがらみからの解放、清廉さからの脱却、そして大人への脱皮という意味があったのではないでしょうか。

 

一方で、『チョコレート革命』には意外にも〈優等生〉的な作品も多く収められています。『かぜのてのひら』では俵が旅の歌人であることに触れましたが、『チョコレート革命』の旅の歌は自分自身とともに社会を見つめる切り口を持ち、より完成度が高い作品です。例えば、「スモーキーマウンテン」という連作ではフィリピンのスラム街を、「カルカッタ」の一連ではインドの光景を描いていますが、旅の規模もそこから人間という営みそのものをとらえる視点も以前とは比べ物にならないくらいダイナミックになっています。

 

欲望は日に曝されてコンドームを拾える少年の風船遊び

文明とはすなわちゴミの異称にてコーラの缶を投げる青空

「スモーキーマウンテン」

 

ガンジスは動詞の川ぞ歯を磨く体を洗う洗濯をする

一億総中流となり中流の我ら貧富の誤差にこだわる

「カルカッタ」

俵は旅の目的までは決して語りません。現実を淡々と描く姿勢は、単なる観光客というよりはジャーナリストのようでもありますが、しかしそれで現実に対して何かができるというわけではないのです。恋愛の関係性においてはある奔放さを見せた主体が、旅の、とりわけそこで目にする厳しい現実に対しては驚くほどシャープな一面を見せているのが面白いです。

 

年下の男に「おまえ」と呼ばれいてぬるきミルクのような幸せ 「ぬるきミルク」

シャンプーを選ぶ横顔みておればさしこむように「好き」と思えり 「ポン・ヌフに風」

 

〈優等生〉であった自分にまとわりついていた屈託が、大人の恋によって少しずつ剝がされていく。それは同時に武器であった若さを失っていくほろ苦い恋であることも、『チョコレート革命』というタイトルによってほのめかされています。この歌集は、あえて述べるのであれば「問題作」に位置づけられるかもしれませんが、『サラダ記念日』の無邪気な少女性を脱却した新しい俵万智が見られる優れた作品であることは間違いありません。

 

『プーさんの鼻』家族の営み

 

生きるとは手をのばすこと幼子(おさなご)の指がプーさんの鼻をつかめり

プーさんの鼻』は、俵にとって初めて歌集に贈られる大きな賞を受賞した作品です(第十一回若山牧水賞)。前作『チョコレート革命』から8年後の2005年に刊行された本作では、シングルマザーとして愛するわが子と暮らす日々の営みや、子育てをしていく上での新鮮な驚きなどが歌われています。

「恋」と「旅」を主要テーマとしていた『サラダ記念日』~『チョコレート革命』の第1章は息子の誕生によって終わりを告げ、『プーさんの鼻』以降は子育てと生活、社会をありのままに見つめる俵万智の第2章が始まります。

 

バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ 「プーさんの鼻」

みどりごと散歩をすれば人が木が光が話しかけてくるなり 「夏の子ども」

たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやるいつかおまえも飛んでいくから 「つゆ草の青」

揺れながら前に進まず子育てはおまえがくれた木馬の時間 「木馬の時間」

 

〈バンザイ〉の歌では、新しい命の誕生に最大限の賛辞を送っています。シングルマザーという選択を世間にどのように批判されようとも、〈生まれてバンザイ〉という感動は変わらないのです。〈みどりご〉の歌ではわが子の誕生によって〈散歩〉という日常の見方も変わってくるという、みずみずしい感覚が歌われています。〈たんぽぽ〉の歌にはかつての高校教師時代の教え子に向けられていた優しいまなざしが感じられます。そして、〈木馬の時間〉の歌はこの歌集を代表する歌のひとつです。母と子だけの穏やかでかけがえのない時間を、〈木馬の時間〉と表現したところに俵万智らしさが結実していると言えるでしょう。

 

こうした子育ての歌と表裏一体になるものとして、『プーさんの鼻』ではこれまでの歌集ではあまり歌われてこなかった家族というテーマが浮かび上がってきます。として子育てをうたうようになった俵は、としての自らの家族の在り方を見るようにもなるのです。それを象徴するような一首が、歌集の冒頭近くに収められています。

 

年末の銀座を行けばもとはみな赤ちゃんだった人たちの群れ 「プーさんの鼻」

 

〈赤ちゃん〉を身近に感じる生活になって初めて、人はみな〈赤ちゃん〉としてこの世に生を受けたことを思い起こす。年末の銀座を闊歩する人々の群れが、かつては〈赤ちゃん〉だったことに思い至るとき、作者はそこに人間が、あるいはすべての生き物たちが必死につないできた生命のリレーの尊さを感じています。そしてそれは、いま自分が守らなければならないたったひとつの命、つまりかけがえのないわが子に対する愛情と、かつては自分も家族からそれを受ける立場であったことに気づく作者の母としての成長でもあるのです。

 

根拠なき自信に満ちて花を描く父は父らしく老いてゆくらし 「父の定年」

父のこと今年はおじいちゃんと呼び我が四十の夏は来たれり 「夏の子ども」

新郎と呼ばれて顔をあげている弟はずっとずっと弟 「弟の結婚」

母の切るメロンは甘し四十になっても私はあなたの娘 「メロン」

 

俵にとっての出産というターニングポイントが、ほかならぬ家族にとってもそれぞれの人生の重要なステージと重なっていることがわかります。定年して趣味に走るようになった父は、孫の前ではすっかりおじいちゃんの顔になり、結婚して少しは立派な男になったように見える弟は、姉である作者にとっては昔と変わらない弟として現れる。一方で、娘である〈われ〉もまた、母親の前ではかつてと変わらぬ〈娘〉としての姿を見せている。どこにでもあるような平凡な家族の物語が、ここで初めて提示されるのです。

 

『プーさんと鼻』は、こうした典型的な家族像をあえて積極的に描き出すことで、逆説的にシングルマザーである〈われ〉がたったひとりの〈子〉と作り上げていく、(世間的には)特別に見える家庭を力強く肯定している歌集であると言えます。家族を歌うことは、俵にとって人生の第2ステージへと足を踏み入れていくことだったのではないでしょうか。

 

『オレがマリオ』自然の発見

 

「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ

オレがマリオ』は2013年に刊行された第5歌集です。前作『プーさんの鼻』ではほんの赤ん坊だった息子は小学生に成長しており、震災を機に移住した石垣島でのびのびと暮らしています。この歌集は親子が仙台市で暮らしていた震災時の連作「ゆでたまご」から始まり、Ⅰ部ではそこから石垣島移住後の生活を、Ⅱ部ではそれ以前の生活を歌うという、少し変わった構成になっています。

「ゆでたまご」は震災の当事者が描いた連作として、後世に残る名作と言えるでしょう。

 

電気なく水なくガスなき今日を子はお菓子食べ放題と喜ぶ

ゆきずりの人に貰いしゆでたまご子よ忘れるなそのゆでたまご

子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え

「ゆでたまご」

 

かつて恋に恋する少女だった作者の日々は、『プーさんの鼻』以降ではたった一人のわが子を守るための日々に変わっています。そんな母ひとり子ひとりの生活に「震災」という未曽有の大災害が襲い掛かってくる。〈お菓子食べ放題〉などとのんきなことを言う息子を連れて、慣れ親しんだ東北の地から脱出しようとする母。〈愚かな母と言うならば言え〉という結句には、被災地から逃げるという選択に加え、(のちにふれるように)シングルマザーであることも〈愚か〉の対象にしようとする世間に対する決別のような力強さも感じます。

石垣島に移住して以降の作品では、島の大自然に触れながらすくすくと成長していく子供の目線を通じて、作者自身も自然を再発見していく様子がのびやかに歌われています。

 

島に来てひと月たてば男の子アカショウビンの声聞きわける 「島に来て」

手で触れて食べごろを知るマンゴーの石垣島は果物の島 「オレがマリオ」

耳慣れぬ声聞こえれば「鳥?虫?」と思う我なり島に暮らせば 「海上の鳥」

「ケンカしちゃダメ」と言いつつおさな子は蝶の交尾をほぐしておりぬ 「風と遊ぶ」

 

「旅」の歌人であった俵にとって、これまで「自然」を歌うことは、あくまでも「旅」という非日常のなかで出会った新鮮な驚きを歌にするということでしかありませんでした。しかし、石垣島の大自然に「旅人」ではなく「住人」としてふれることになった俵は、日常の中で(とりわけ子供たちとのかかわりの中で)「自然」をとらえるということを発見したのです。「自然」の中で「自然」に育っていく子供たち、かつて教師であった俵であれば、それがいわゆる原始的な「教育」が求めた形であり、思想家ジャン・ジャック=ルソーが描いた『エミール』のような理想的な環境がそこに存在するかもしれない可能性に気づいたことでしょう。

 

どんといけと聞こえてくるよエイサーを踊る息子の太鼓のリズム 「オレがマリオ」

中一も小一もいる鬼ごっこ小一専用ルール生まれる 「モズクの森」

 

一方、Ⅱ部で描かれているのは震災・石垣島以前の母と子の記録です。『プーさんと鼻』から続けて読んでいくことで、ぐんぐんと成長していく幼子との生活を追体験することができます。『サラダ記念日』からの読者のなかには、子育ての苦労や楽しさを共感的に読んだ方もいるのではないでしょうか。

 

アルバムに去年の夏を見ておりぬこの赤ん坊はもうどこにもいない 「蝶のいた夏」

園バスに流行(はや)りの言葉満ちる秋「おっぱっぴー」と子が降りてくる 「夢の木の実」

ランドセル投げておまえは走り出す渦巻くような緑のなかへ 「星のクイズ」

 

引用した3首の間だけでも、乳幼児~園児~小学生へという時間の流れが克明に描き出されています。同時に、このⅡ部では「シングルマザー」であることに対する作者の葛藤が、作品の中に表れている点がとても重要です。

 

幼稚園の見学すれば父の日の父への手紙並ぶ教室 「東京タワー」

観覧車のぼりゆく午後 簡潔に母と子という単位を乗せて 「夢の木の実」

母は母、マザーはマザーでいいのにね しんぐるしんぐる銀杏(いちょう)降る道 「星のクイズ」

 

前作のような〈生まれてバンザイ〉の赤ん坊時代は終わり、子供が成長して社会との関りを持ち出すにつれて、「シングルマザー」という〈自然〉ではない状況に作者自身も強い屈託を感じるようになります。一度は肯定したはずのその選択に、迷いが出てくることもあったでしょう。しかし、収録順こそ反転していますが、こうした葛藤の歌はⅠ部ではあまり見られなくなります。おおらかな島の〈自然〉に触れたことで、みずからの在り方もまた〈自然〉だと思えるようになった、これもまた俵にとっての〈自然の発見〉であると言えるのではないでしょうか。

 

『未来のサイズ』社会への関心

 

制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている

 

未来のサイズ』は、2020年発表の俵の第6歌集で、2021年7月現在で最新の歌集です。この歌集で俵が第五十五回迢空賞を受賞したことは、一般のメディアにも大きく取り上げられました。石垣島で過ごした最後の数年間を描くⅡ部、子供の進学のため宮崎に移り住んでからの生活をつづったⅢ部に加え、コロナ禍以降の作品を収めたⅠ部と盛りだくさんの構成になっています。

 

『未来のサイズ』のこれまでになかった特徴は、次のような歌に表れています。

 

地図に見る沖縄県は右隅に落ち葉のように囲われており 「アコークロー」

殺人の婉曲表現「人災」は自然のせいにできないときの 「未来を汚す」

声あわせ「ぼくらはみんな生きている」生きているからこの国がある 「海辺のキャンプ」

 

1首目は沖縄県の政治的事情を加味して読むべき歌ですが、自然への素朴な感情を歌っていた『オレがマリオ』のころと比べると、視線がぐっと社会への関心へ寄ってきていることがわかります。2首目は2014年に起こった韓国・セウォル号沈没事故をうたった連作からの引用です。〈人災〉という言葉がこののち世界を震撼させるコロナ禍を予告しているようにも読めます。3首目では子供が歌う童謡の一節を引用しつつ、〈この国〉に生きるということの意味を分かり始めた子供たちへ、社会を見つめるまなざしを持つことを説いているように思います。

このような、『未来のサイズ』における社会への関心は、子供が成長したことによって、歌人が歌人の〈目〉で社会をとらえることができる余裕が生まれてきたことを思わせます。親子は石垣島を離れ、進学のため宮崎県へ移住することを決めますが、子供は親元を離れて学校の寮で暮らし始めます。普段は離れて暮らす息子を思いながら、その目線は遠く未来の〈この国〉を見つめている、そこに歌人として円熟期を迎えた俵万智の真骨頂があるのです。

 

子らは今そのあいさつの意味を知る 命「いただきます」ということ 「いただきます」

『君たちはどう生きるか』を読み終えておまえが生きる平成の先 「コペルの時間」

中国のニュース聞くとき張君を思え国とは友のいる場所 「友のいる場所」

 

口蹄疫や鳥インフルエンザの悲しみがまだ残る宮崎という地で、子はまたすくすくと育っていく。「いただきます」の意味を改めて教える必要はないけれど、それを体感して〈知る〉ことになる子供たちを俵は未来を見る目で見つめています。

『君たちはどう生きるか』は平成も終わろうかとする2017年、突然再版されブームとなり、多くの小中学校で課題図書として読まれてきました。かつて〈木馬の時間〉を共に過ごしてきた息子が、いま追体験する〈コペルの時間〉には時の流れの大きさを感じますが、俵が見ているのは実はその先の〈未来〉にほかなりません。

3首目では、子はついに〈この国〉を飛び出すまでに成長し、国際交流という華々しい場へ出ていくのですが、〈張君〉の歌はそんな息子がはぐくむ小さな友情へ向けた賛歌でもあります。同時に、友情だけでは片づけられない複雑な事情が〈中国のニュース〉の中にあることも、さりげなく子供に伝えようとしているのでしょう。

 

『プーさんの鼻』以降、子と一体になるように歌ってきた俵にとって、『未来のサイズ』で見せた社会への関心は、ありきたりな言葉で言えば〈子離れ〉という俵自身のライフステージの大きな変化を感じさせます。一方で、〈未来〉を次の世代に残すという大人の責任を、一貫して子を歌い続けることで果たそうとしていると言うこともできるでしょう。そんな歌人が、突然日常のすべてを奪い去ってしまった〈コロナ禍〉を歌うというのもまた、必然であり避けられないことだったのです。

 

会わぬのが親孝行となる日々に藤井聡太の切り抜き送る

布マスク縫う日が我にも訪れてお寿司の柄を子は喜べり

手伝ってくれる息子がいることの幸せ包む餃子の時間

感染者二桁に減り良いほうのニュースにカウントされる人たち

「今日は火曜日」

 

俵万智の「社会への関心」は、まだ始まったばかりであるともいえます。子供を見つめ、日常を見つめ、次々と移り変わっていく社会を見つめてきた俵万智は、一年後、五年後、十年後は予測できないようなその〈未来〉をどのように歌っていくのでしょうか。その問いは俵だけではなく、これからも歌を読み続けるすべての歌人へ向けられていると思います。

『未来のサイズ』というタイトルは、どうしても過去を振り返ってしまいがちな〈短歌〉という文芸が、これからの予測できない〈未来〉を歌う可能性を見せたという意味で、非常に示唆的なタイトルだったのです。

 

おわりに

というわけで、俵万智の六冊の歌集すべてを解説していくという企画、ここまで読んでいただいてありがとうございました。この記事の構想自体は「教科書」シリーズを始めたころからあったのですが、実は最近短歌総合誌で似たような企画があり、完全に先を越されてしまいました。何事も思い立ったら早めに行動することですね。それを改めて実感しました。

最後に、この記事を読んで、「俵万智の歌集を読んでみよう!」と思ってくれた皆さんには、ぜひ、最新作の『未来のサイズ』から読むことをおすすめします。もちろん、もっとも広く読まれている歌集は『サラダ記念日』なのですが、社会が大きく変わろうとしているまさにいま、この瞬間に詠まれた歌が収録されている『未来のサイズ』を読むことで、これからの「短歌」という形式を深く考えるきっかけになると思います。

もちろん、あくまで筆者のおすすめなので、好きな歌集、手に取った歌集から読み始めても構いません。今回で紹介した作品以外にも、本当にいい歌がたくさんあるので、ぜひ自分の目で確かめてもらいたいなと思います。

 

それでは、長くなりましたが。また次回の記事でお会いしましょう!

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

この記事を書いた人

貝澤駿一

1992年横浜市生まれ。「かりん」「gekoの会」所属。2010年第5回全国高校生短歌大会(短歌甲子園)出場。2015年、2016年NHK全国短歌大会近藤芳美賞選者賞(馬場あき子選)。2019年第39回かりん賞受賞。

Twitter@y_xy11

note:https://note.com/yushun0905

自選短歌

まっさらなノート ピリオド そこにいるすべての走り出さないメロス

 

「教科書に載っている歌人の作品を読んでみよう」シリーズ バックナンバー

第1回 石川啄木『一握の砂』編~

第2回 若山牧水『海の声』編

第3回 北原白秋『桐の花』編

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