短歌の先輩に聞いてみよう!第1回 〜説明的な短歌ってダメなの?〜

コラム

TANKANESS編集長のなべとびすこです。

TANKANESSでは「短歌の質問」を募集しています。

 

募集前は短歌の用語についての質問が来るのかな?と思っていたのですが、歌人によってさまざまな回答が出そうな深い質問が多かったです。

今回は2人の歌人――短歌をはじめてすぐの方から見れば「短歌の先輩」にあたる人をお呼びして、いただいた質問に答えていただきました!

歌人の数だけ答えが異なると思うので、ここで出た答えだけが正解ではありません。しかし、先輩方の意見はきっと何かの参考になると思います。

 

短歌の質問は引き続き受け付けております。

今後もいろいろな企画で活用させていただきますので、ぜひ気が向いた時にお送りください。

短歌の質問 応募フォーム

 

今回は空き家歌会、借り家歌会を始め関西でいろいろな短歌イベントを主催している牛隆佑さん。短歌結社「かりん」に所属し、TANKANESSライターとしても活動している貝澤駿一さんにお話をお聞きしました。

 

質問① 短歌を詠むとき辞書を引く?

 

言葉が出てこないとき、歌人という人たちは辞書やネットなどで調べたりするものですか?それとも自分の中にある語彙だけで勝負しますか?

(いたちたちさんからの質問)

*一般論ではなく、自分自身がどうしているか、という答えをお聞きしました。

 
 

基本的には自分の語彙ですが、「短歌に使いたい言葉」に出会うことがあります。辞書やネットで調べる時には、その言葉の背景や歴史まで注意することが必要だと思います。

 
 

固有名詞を使うときは軽く調べて間違いのないように心がけます。

それ以外で言えば、基本的には自分のわかる言葉で相手にわかるように作るようにしています。なのでわざわざ調べることはあまりしないかもしれません。

 

 

なべと:近い方向の答えかもしれませんね。

:そうですね。辞書やネットで調べて知った言葉を使うのは、基本的に無理がありますよね。言葉の意味だけでなく、ニュアンスや一般的にその言葉がどう使われているかも踏まえて言葉を選ぶと思うので、自分の中に吸収された語彙じゃないと使いにくい気がします。

貝澤:自分の外にある言葉を使うときも、ベクトルが3つくらいあるような気がします。

①旅先で出会った地名などの固有名詞を短歌に詠み込む 
②月詠で10首の短歌を作るために、テーマを決めてそれについて調べて短歌を詠む 
③相聞歌を作るとき 
とか。

基本的には知らない言葉はあまり使いたくないです。

それ以外では、題詠のときに、国語辞典でそのお題の言葉を調べて、なるべく面白い熟語を見つけて使いたいとは思います。

普段着の歌に近いものを作るときは、自分の知っている言葉で勝負しようとは思います。

 

なべと:私は自分の言葉がうまくハマっていないと感じる時は、シソーラス(類語辞典)を使ったり、本をパラパラめくったりして外から言葉を持ってくることが多いので少し意外でした。類語辞典で出てきた近い言い回しのなかからいろいろはめてみたり、和英辞典で英語翻訳をして英語の類語辞典を見てまた日本語に戻したり…外の力を借りることが多いです。

:類語辞典は一応使います。ただ、単純に言葉を入れ替えられないじゃないですか。だから参考程度かもしれません。

貝澤:よく名詞の歌人形容詞の歌人動詞の歌人 という言い方がありますが、どこに自分の特徴があるかによるかもしれません。こだわっているものが見つかるまで徹底的に調べる人もいるかもしれませんね。

:僕は名詞の歌人寄りだと思っています。短歌に使いたい名詞から考えたりします。「言葉フェチ」というか。「腐触湖」とかわからないけど使ってみたいや言葉や、知っている言葉でも「観光課」とか。題詠に近い作り方かもしれませんが。

貝澤:僕は言葉よりフレーズから作るかもしれません。

:ただ、言葉フェチが陥りがちな部分として、言葉の背景や歴史を知らずに使ってしまう危険性もあるので、注意してリサーチすることも必要です。

なべと:この前読んだ岡井隆さんの入門書『今はじめる人のための短歌入門』(角川ソフィア文庫)では、広辞苑や雑誌は「言葉の花園」だから、そこから名詞を採集すると良いという話がありました。
牛さんの考え方は日常の中で使いたい名詞にアンテナを張っていて、使いたい言葉を集めているようなイメージでしょうか。

:自分の語彙とは別に、「自分の短歌の語彙」ってあるじゃないですか?どんな言葉でも短歌の言葉にはできると思っているので、自分の短歌の語彙にしていくイメージです。

貝澤:「これは歌にしたら面白いだろうな」という言葉に出会うことはあります。固有名詞とかが多いですね――適当ですけど「サラエボ事件」とか

:いいですね(笑)

貝澤:そこから「サラエボ事件」について調べて、その結果、使いたい単語が出てきてそれを短歌にしたりはします。映画やアニメなどを見ていても、「これは短歌に使えるかな?」という視点は持っていると思います

 

質問② 説明的な歌はダメなの?

 

よく説明的な歌はダメといわれますが、どこに気を付ければ説明的・散文的にならずに詩歌として定型のなかで良いものになるでしょうか?

(きょん姫さんからの質問)

 

 
 

「説明的」とは、その言葉が短歌の中で辞書的な意味しか持ち得ない使われ方をしていること、と理解しています。ひとつひとつの言葉にどれだけ豊かなイメージを、言葉同士の組み合わせによって注ぎ込めるか、が短歌の言葉だと考えています。

 
 

まず、必ずしも説明的・散文的な歌が悪いわけではないと思います。歌集を読んでいると説明的・散文的な歌が必要な場面も当然出てきます。

ただ、説明的・散文的であることを避けようとすることも大切です。

僕はリズムが大事かなと思います。説明的になりそうなら、韻律の面で工夫するといいかもしれません。

 

なべと:牛さんは「説明的」という言葉を「辞書的な意味しか持ち得ない使われ方をしている」からダメというスタンスでしょうか。

:たとえば「病室の」から始まる歌があったとき、コントで病院のセットを出すように、「この短歌の舞台は病室です」という使い方をしていたら説明的だと思います。でも、他の言葉と組み合わせることで、病室の気配や匂いをイメージさせられたら辞書的な意味以外も含まれますね。その言葉を見た時に、その言葉から浮かぶ意味やイメージが1つしかないなら説明的かもしれません。

なべと:同じ言葉でも他の言葉とうまく作用していたら説明的じゃなくなるんですね。言葉を組み合わせることで、ただの説明を短歌の言葉に変えていけるんですね。

貝澤さんはまずは「必ずしも説明的・散文的な歌が悪いわけではない」というところからですよね。 

貝澤:歌集や連作のなかで、自分が良いと思う歌や、自分の世界観がよく出ている歌だけを詰め込んだとき、理解できる人は良いですが、理解できない人には届かないですよね。だから、連作のなかで状況を説明する歌や散文的な歌が必要だったりします

とはいえ、説明的な歌だと損をしてしまうこともあります。そういうときは、言葉ではなくリズムが説明的なんだと考えています。

たとえば、三句切れの歌だと単調になりがちですが、上の句と下の句をひっくり返せば、二句切れに変わります。また、初句から結句まで句切れがない歌も説明的に見られることがあります。それなら終止形の動詞を1つ入れたり、一字空けを入れたりします。

あと、英語でいう「関係代名詞」ばかりの歌は説明的に見えます。最初の言葉がつぎの言葉を説明して、また次の言葉がその次の言葉を説明して、最後に名詞で体言止めで終わるような歌です。これはそれぞれの言葉が説明書のような役割になっているときが多いので、2つの歌にわけたり、部分的に破調に変えたり、リズムの観点でこねくり回して、説明にならないように努力します。定型がある短歌だからこそできることです。

:関係代名詞的、というのはよくわかります。説明的と評価されるとき、この構造になっていることは多いですね。当然ですが、言葉(自立語)が多いと説明的になってしまうので、言葉を減らす、というのは1つの解消法です。その分、助詞や助動詞でなめらかにしていくと説明的になるのは避けられると思います。

貝澤:枕詞もそもそもはそういう意図で使われたものですよね。現代語の短歌のなかでも、言葉が多いと思ったら、なるべく意味はなく、でも歌を破綻させないような言葉が必要とされるんだと思います。小池光さんや米川千嘉子さんなどのベテラン歌人のうまいところは、すごく絶妙な距離感でひとつひとつの言葉が選ばれているところだと思います。そういった歌人の歌を勉強するのも大切だと思います。

:短歌を作りはじめてすぐの頃にたまにあるのが、名詞・格助詞・動詞という感じで「〜が〜を…」というものばかりになったりしますね

なべと:以前、新聞のライティングに慣れた方から、普段は情報を正しく伝えるために、いつ・どこで・だれが・どうした、という情報をすべて載せることに慣れているので、省略が必要な短歌は難しいと言っていました。

短歌の31文字で、通常の文章のようにすべてを説明しようとすると、1つの情報に割ける文字数が少なくなって、結局イメージがうかばなくなったりしますよね

貝澤:ただ、今の話にあったような情報が多い歌で、好きな歌があるので紹介したいと思います。

旧サイゴン 夏 男らの手から手へ運ばれていくグランドピアノ/谷岡亜紀

この歌は、「旧サイゴン」という場所、「夏」という時期、「グランドピアノ」というもの、「運ばれていく」という動作、すべての情報が入っています。でも、説明的に思えないし、深い抒情が感じられるんですよね。

旧サイゴン 夏 男」という一字空けや、「男らの手から手へ運ばれていく」という書き方に、作者が外から俯瞰で見ているような書き方、最後に「グランドピアノ」という名詞で余韻を残す…というふうに、いろいろな工夫がされています。こういう工夫があれば、情報が多くても、説明的にならないこともあります。

なべと:毎回このレベルを目指すのはなかなか困難とは思いますが、こういった名歌を知ることで、情報が多い=ダメ ではないことを知っておくのは良いですね

貝澤:この歌で省略されているのは、この状況を「自分(私)が見ている」という情報です。この省略が効果的なんだと思います。どの情報を捨てれば1番叙情的に見えるのかを歌人は考えているような気がします

なべと:どの情報を捨てるかは大切ですよね。初心者向けの短歌ワークショップで、内容を絞りましょう、という話はよく出ます。内容だけではなく、どの言葉を捨てるか、というのも大切ですね

 

なべと:牛さんは言葉をどう組み合わせれば豊かなイメージを作れると思いますか?

:難しいですね…。いろいろな組み合わせをチェックして試行錯誤しながら、イメージが広がるような良い組み合わせを選ぶ感じだと思います。

僕も説明的だけど好きな短歌を紹介しておきます。

聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火薬庫/塚本邦雄

この歌も説明ではありますが、「聖母像」と「火薬庫」の言葉の組み合わせで、最後に聖母像が破壊されるようなイメージを読者に想起させられます。また、言葉の並びがカメラの視点移動のようになっていて、言葉から映像的なイメージを提示しています。

質問に「散文的」という言葉もありますが、最初の頃「散文的でよくない」と言われるとよくわからなかったんです。散文は小説のイメージだったので、小説は説明的ではないだろう、と思っていました。小説家のなかにも韻文の要素を持つ文体の方もいるので。

指摘された「散文的」というのは新聞記事的な文体だったんでしょうね。散文的という言葉も指摘としてわかりにくいのかもしれません。

なべと:言葉が単に情報を伝えるためだけに機能していて、かつリズムの面でもあまり工夫されていないと、良い歌になりづらいのかもしれませんね

貝澤:内容よりも、散文的な「文体」というものもあるかもしれません。それは全く悪いことではなくて、1つの文体として出来上がっている気がします。

 

質問③どこまでが短歌なの?

 

いわゆる5・7・5・7・7の韻律に収まらない「破調」の短歌というものがありますが、どこまでが「破調」で、どこからが「短歌ではない」のかその境界はどこにあるのでしょうか?

(ひげっちさんからの質問)

 

 

突き詰めていくと、「作者本人がどう思っているか」でしか言えないのではないかと思います。極論、写真や絵を短歌と呼んでさえいいと思っています。個人個人の短歌観や韻律感覚によるところが大きいと思いますが、僕自身、まだ自分の感覚をつかめている気がしません。

 
 

どこからが破調というより、全体として31音に近ければ短歌とみなすような風潮が出来上がってきているような印象です。

話し言葉の短歌の登場で、以前に比べて定型のありかたも大きく変わってきたなと思います。

 

なべと:牛さんは答えを出すまでにだいぶ悩んでましたね。

:一言でいえば「わかりません」ということです(笑)

なべと:本人が「これは短歌です」と発表したら、極論をいえば写真や絵でも良いということでしょうか。

僕は大学で万葉集を学んでいましたが、その頃は短歌を作ることはありませんでした。30歳前後で枡野浩一さんをきっかけに短歌に興味を持ち始めて、「短歌ヴァーサス」という短歌雑誌を読んだんです。雛鳥が初めて見たものを親と思うように、初めて見たものを短歌だと思うわけじゃないですか。その「短歌ヴァーサス」には大破調の歌はもちろん、記号を用いた短歌や一文字も文字を使っていない短歌が載っていて、最初の頃にそれを見たので…

なべと:「これも短歌だ」と思ったわけですね。

:もうひとつ大きな出来事がありました。高校生相手の授業のときに、「こんな短歌もあるんですよ」と枡野浩一さんの短歌を紹介したんです。すると生徒から「これは短歌じゃないです」と言われてしまいました。なので、「ここで切ると5・7・5・7・7になるんです」と返しましたが、「でもこれは普通の文章ですよ」と言われてしまいました。

そのときに「短歌ってなんだろう…」となってしまいました。その生徒の感覚も間違っていないと思ったので。それまで短歌に触れてこなかったし興味もなかった高校生だったんですが、それでも「短歌観」のようなものを持っているんですよね。

その2つの経験が大きくて、どんなものも短歌と言っていいんじゃないか…と思い始めました。

逆に、単に5・7・5・7・7に当てはまっていたからと言って、短歌とは言い切れないとも思っています。

なべと:5・7・5・7・7のリズムだけが短歌のアイデンティティではないということですね。

貝澤:いま活躍している若手歌人の間では、定型を唯一の拠り所とする短歌観はなくなってきたように思います。

印象的だったのは、土岐友浩さんの『Bootleg』(新鋭短歌シリーズ)で、街中の31音っぽいものを集めて短歌として載せている連作があったんです、

そのときに、5・7・5・7・7というよりは全体的に31音に近いものを短歌とみなしているんだな、と思いました。

定型によって担保されているのが「偶然短歌」(Wikipedia日本語版の文章の中から偶然5・7・5・7・7のリズムが含まれている文章を取り出したもの。『偶然短歌』飛鳥新社 いなにわ 著、せきしろ 著)で、内容によって担保されているのが土岐友浩さんの連作の短歌だと思いました。

最先端の若手歌人の中には全部で31音のものを話し言葉で短歌として表現しているひともいます。

言葉の切り方で、強引な句またがりだったり、1音足せば定型になるものをしなかったりしていても、その人なりの考えでそうしているんですよね。だから、個人的には定型にしたほうがいい、とは言えるけど、何が何でも定型にしないといけない、とは言えない

短歌というジャンルの最近の傾向として、定型(5・7・5・7・7)というものが崩れ始めているというのは言えると思います。

もしかしたら以前に比べて若い世代の内面の感覚が肥大化してきて、定型に収めづらくなった、ということもあるかもしれません。

質問への回答としては、最近の短歌は「全体が31音に近ければ良いんだよ」という感じでしょうか。

:僕が初期に知った短歌に「手荷物の重みを命綱にして通過電車を見送っている/枡野浩一」というものがありますが、ここでは「命綱」が「いのち/づな」と句またがりになっています。ところが近年は、たとえば「いのちづ/な」となっている句またがりも多いです。

それで先ほど話に出たような「全体が31音に近ければ」という感じになってきた気がします。

貝澤:もちろん短歌作品として提出されたものは短歌として読む、というのはあると思います。この質問された方はもしかしたら「これは短歌ではない」と誰かに言われたんでしょうか…そういう方の意見はあまり聞かなくても良いように思えます。

:やっぱり「歌会」に提出されたら短歌として読まれると思います。「うたの日」(だれでも投稿できる短歌投稿サイト。サイト上で毎日歌会が行われている)でもそうですよね。

その一首が短歌か短歌でないか、というよりは、歌会や歌集などの場に境界があって、読者の意識が変わるのではないかと思います。

たとえば「歌集」と書かれた本に俳句などを入れたらどう読まれるかは気になりますね(笑)

貝澤:「これは短歌ではない」と指摘されるときに、リズムなどの形式面だけでなく、内容的に「短歌ではない」という場合もあると思います。「君が考えていることは短歌では表現しきれないよ」とか「これは短歌じゃなくて漫画で表現したほうが面白くなるよ」ということだったり。

「これは短歌ではない(=別の手段で表現したほうが良いんじゃないですか)」という場合もある気がします。

さっきの「説明的な短歌」という指摘も、あなたには言いたいことがたくさんあるから「短歌ではなくエッセイで表現したらどうですか?」という意味なのかもしれません

 

まとめ

今回は3つの質問を紹介しました。質問を見て改めて自分の短歌観と向き合うことができました。また、他の方の意見を聞くことは非常に勉強になりました。

今回はお二人の歌人に話を聞きましたが、周りに歌人の友達がいない方もいると思います。そんなときは、初心者向けの短歌の入門書を読み返すのもおすすめです。よくある質問に対する回答が載っていることも多いからです。

今後もTANKANESSではいろいろな疑問にお答えしていきますので、ぜひ質問が思い浮かべばいつでもお送りください1

 

「短歌の質問」応募フォーム

 

今回答えてくれた短歌の先輩

 

牛隆佑

1981年大阪府生まれ。空き家歌会管理人。「フクロウ会議」メンバー。

「消燈グレゴリー その三」(ブログ)

「空き家歌会」

「フクロウ会議」

Twitter @ushiryu31

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貝澤駿一

1992年横浜市生まれ。「かりん」「gekoの会」所属。2010年第5回全国高校生短歌大会(短歌甲子園)出場。2015年、2016年NHK全国短歌大会近藤芳美賞選者賞(馬場あき子選)。2019年第39回かりん賞受賞。

Twitter@y_xy11

note:https://note.com/yushun0905

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この記事を書いた人

なべとびすこ(鍋ラボ)

TANKANESS編集長。短歌のワークショップをやったりボードゲームを作ったりしています。短歌カードゲーム「ミソヒトサジ<定食>」「57577(ゴーシチゴーシチシチ)」制作者。

Twitter @nabelab00

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