「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?
相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。
この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。
第19回は田丸まひるさんです。
2024年の夏の終わり頃の夜に、それまで人生で一度も食べたことがなかったはずなのに、なぜか急にフタバ食品のサクレレモンが食べたくなって、「今すぐにサクレレモンを買ってきて」という言葉が口をついて出てきた。
今すぐにサクレレモンを買ってきて。そうじゃなければ。
今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて/佐藤真由美『プライベート』
そもそもわたしが妻ではあるものの、普段自分が妻とか思ったこともないし、そうですね、設定するならイマジナリー妻と別れてほしいなんていう気持ちを想像する。まあ、たぶんそうじゃない。
結婚どころか誰かとの交際すら経験したことのなかった、ただただ昼休みも放課後も図書室にこもって大量の小説をむさぼるように読んで、精神だけは大人になった気でいた田舎の高校生がこの歌を初めて見た瞬間のほうが、「妻と別れて」ほしい気持ちに驚いて、共感していたような気がする。
妻と別れて。こっちを選んで。でもどうせ、またどっかにいっちゃうんでしょう。愛は、キャラメルコーンのように軽く、とけていく。
高校2年生の冬に、学校の図書室の新刊コーナーに置かれていた枡野浩一『かんたん短歌の作り方』を手に取ったのは運命だったのかもしれない。
それまでも俵万智『サラダ記念日』などは読んでいて短歌のリズムに心惹かれていたけれど、少し上のお姉さんがこんなにストレートに真正面から、でも心理的には後ろから刺すように恋を歌っていることに衝撃を受けた。
ほかにも、天野慶、加藤千恵、脇川飛鳥など、今でも好きな歌を覚えている歌人に憧れて、自分も短歌を詠んでみようと思うきっかけになった。
2002年に『プライベート』の初版がマーブルブックスから出版されたときはとてもうれしくて、本、それも歌集を予約して買うという初めての経験をした。大学の生協で注文したのだったと記憶している。
歌集は鞄に入れて持ち運べる絵本のようなたたずまいで、字がピンクやダークチョコレートみたいな色だったり、縦書きや横書き、イラストも挟まれていて、最初から読んでもいいけど、ぱっとめくってこの歌いいなと感じられることもあった。
マスカラがくずれぬように泣いている女を二十五年もやれば
ありがとう いつも一緒にいてくれて たまに一緒にいないでくれて
目をつむり飛び込みかけた信号でやさしく拾ってくれるタクシー/佐藤真由美『プライベート』
いつか好きな人の前で泣くことがあれば、マスカラはくずさないようにしようと思った。無理だった。
好きな人じゃなくて男友達に「マスカラって好きじゃないな」と言われたことばかり覚えている。まあ昔のマスカラって今ほど繊細に綺麗には塗れなかったしな。
一緒にいてほしくて、時々放っておいてほしいのは、好きな人であればなおさら。できるだけ一緒にいたいのに、こんな自分を見せたくないとか、好きな分だけなんとなくしんどくてうっとうしくなるとか、相手には本当は言いたくない。
そしてみんな、誰かに、どこかで救われないと生きていけない。落ちるような瞬間というものはあって、その時に引っかかって落ちないで済むのは偶然のためなのか、その偶然が起こりえる必然があるのか。
人が、それも知らない人であっても、ただ人がいることで必然が生まれているのでは、と思いたい。
この歌集には、「あるある」「それは別れたほうがいいって」など言いたくなるような好きな歌はもっとたくさんあって、でもそういう歌のことは、真夜中にも開いているお店の居心地のいいソファに沈み込んで、お酒とかお茶とか飲みながら「この後どうする?」「帰る?」って言いながら話したい。いや帰んないでしょ。
2004年には、佐藤真由美さんが審査員をしていた集英社文庫主催の「恋する短歌☆コンテスト」(この☆のあたりに時代を感じる)に応募して、ありがたいことに大賞をいただいた。
ヲタク気質のせいか、その時にお会いしたかったと今でも思っている。
同時期の2004年に第一歌集を出すにあたってプロデュースをしていただいた荻原裕幸さんには『歌の彩事記』馬場あき子(読売新聞社)、『短歌を楽しむ』栗木京子(岩波ジュニア新書)を勧められ、いい感じの振り幅であっという間に短歌の深い深い沼に落ちて行った。短歌、楽しいね。
いろんなことあっても今幸せなのはいろんなことがあったからなの
いいことがあってもいいななんとなく好きだった人が花くれるとか/佐藤真由美『プライベート』
今も暗唱できる歌たち。シンプルな幸せな歌に見えるけれど、その気持ちに至るまでの過去の積み重ねを思う。
自分がつかみとるものでも、人からちょっとおすそ分けをいただくようなことでも、なんかいいことがあるといいな、と思う。
ちなみにサクレレモンは買ってくるたびに5歳の子どもが半分以上食べていた。秋に入って店頭から消えて、わたしの夏が終わった。
この文章を書いた人
田丸まひる
歌人、精神科医。「未来短歌会」「徳島文学協会」所属。「七曜」同人。短歌ユニット「ぺんぎんぱんつ」にて、しんくわと活動。歌集に『晴れのち神様』『硝子のボレット』『ピース降る』、共著に『うたわない女はいない』など。趣味は宮本佳林さんとハロー!プロジェクトの応援。
自選短歌
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今回紹介した短歌の本