何が欲しくて短歌を「する」のか? ――杉田抱僕の場合

エッセイ

こんにちは。杉田抱僕と申します。短歌を作りはじめて約10年。結社や同人誌【※】には所属しておらず、「かばん関西」というグループに参加しています(主な活動は月に1度のオンライン 歌会【※】です)。歌を発表する場としては「うたう☆クラブ」(短歌雑誌『短歌研究』の読者投稿コーナー)のような投稿欄【※】が多く、まれにTwitterで発表することもあります。

※結社や同人誌
短歌活動をするグループ。結社の方は先生がいるなど、組織としてよりかっちりしているイメージ。同人誌は発行物を指す場合とグループを指す場合がある。結社は「結社誌」を発行する。

※歌会
持ち寄った自作の短歌について感想を言い合ったり、投票して点数を競ったりする催し。作者名は隠した状態でやることが多い。

※投稿欄
新聞や雑誌の読者投稿のコーナー。写真やイラストやおたよりが募集されるように短歌が募集される。選者のコメントが一緒に載ることが多い。

あとは、おそ松さん二次創作短歌アンソロジー『UtaMatsu season2』へ参加させていただいたり、今年2月に開催されたイベント、第1回文学フリマ広島で『ぺんぎん暮らし』という短歌と散文の本を発行したりもしました。最近は山階基さんの第一歌集『風にあたる』が届いていないか書店をチェックするのが日課です(改稿作業中に届きました!)。

自分にとっての「短歌」はだいたいこんな感じです。

 

さて。自分が短歌を始めたきっかけは、中学校の国語の授業と新聞の投稿欄、と答えることが多いです。作って、送って、載って、喜んで、始めた。実家には新聞のコピーが残っていますし、嘘というわけではありません。でもですね。

 

・その後いつから習慣的に短歌を作るようになったのか(初回投稿から次の投稿まで間が空いていたはず)

・小学校の授業でも短歌は作ったが、なぜそのとき短歌を始めなかったのか

 

このあたりのことははっきりしなくて、なので「短歌を始めたきっかけは?」とあらためて訊かれると少し悩みます。本当に、いつから、短歌を始めたんだろう。というか短歌を始めるってなんだ? 作るようになったタイミングと、読むようになったタイミングと、コミュニティに入ったタイミングはバラバラなのに……

というふうに「短歌を始めた」きっかけとタイミングは正直おぼろげなのですが、一方で「短歌を続けている」理由はそれなりに自信を持って説明できます。一つは作った短歌を褒めてもらえて嬉しかったこと。もう一つが手軽だったこと。

 

褒めてもらえたというのは、新聞での採用率が割とよかったことと、それを見た母が「やるじゃん」と言ってくれたという二つの面があります。

自分は運動もお絵かきも歌も習字も苦手で、さらに言えば母にあまり褒めてもらえないことが小さなコンプレックスでした。だから自分が作った短歌が選ばれて新聞に載る、コメントがもらえる、さらに図書カードももらえる、ということもそれぞれ嬉しかったのですが、自分にとって「得意」といえるものが見つかったこと、それを母に褒めてもらえたことで、短歌が特別な存在になったのだと思います。

短歌はビギナーズラックが多いことを知ったり、採用率が下がったり、本当に「得意」なのか悩むころにはすでに短歌にどっぷりだったのは結果オーライだったと思っています。

 

もう一つの「手軽」は、「小説を一話書くのに比べたら、短歌を一首作る方が手軽だなぁ」と思っていたということです。

短歌を作りはじめたころ、将来の夢は小説家でした。でも本格的に物語を書くわけでもなく、設定メモをちょろっと作ったり、書きかけては放りだしたり、中途半端なことばかりしていました。何かを作ることはワクワクしたし、一番身近で好きなメディアが小説だったけど、完成させる前に飽きてしまう。

そこに短歌です。

新聞に投稿するような一首ずつなら、生活のなかで浮かんできたものをメモするだけで「作品」になってしまう。それが毎週募集されて結果が出る。これってすごすぎないか!?

 

そうして短歌に興味を持つようになり、家の本棚にあった『短歌はじめました。』(穂村弘・東直子・沢田康彦/角川ソフィア文庫)シリーズや『短歌パラダイス』(小林恭二/岩波新書)、その他穂村弘さん関連の本を中心に知識を増やし、大学入学後にかばん関西に参加したり、大会やシンポジウムなどのイベントにも参加してみたりと世界が広がる……といった感じで今に至ります。

さすがに今は「短歌は手軽」と無邪気に言うことはできませんが(“ひとまず形にする”という点ではすごく手軽で、トライ&エラーを短いサイクルで回せるのは強みだと思います。でも“いい短歌”に対する勘を養ったり、連作【※】でまとめたりするのはぜんぜん手軽じゃないです)、生活のなかで起こったこと、感じたこと、考えたことなどを“ひとまず”書きとめておくツールとしてはやっぱり手軽で、時期によって数は増減するものの短歌を作ること自体は習慣化しているのは、この手軽さがあってこそかなと思います。

※連作
短歌の形式の一つで、複数の短歌が時系列やテーマを持ってひとまとまりになったもの。タイトルを持つ場合が多い。小説の連作短編集に近いイメージ。

少し話がずれますが、ここ数年思っているのは、自分含め「短歌が趣味」という人にとって、短歌は「読む」や「作る」というより「する」ものなんじゃないか、ということです。自分は「作る」から短歌を始めましたが、いつの間にかもっと広い「短歌をする」が居場所になっていました。

 

たとえば新聞や雑誌、コンクールに投稿してその結果に一喜一憂すること。

歌会に参加して自分の歌を評してもらったり、自分の解釈と人の解釈を比べること。

早く読みたくて仕方がない歌集の発売日までドキドキして過ごすこと。

短歌を通じて知り合った人と短歌に限らずいろんな話をすること。

本やネットプリント【※】を発行すること。受け取ること。

そこに感想を送ったりもらったりすること。

シンポジウムや講演を聞きにいくこと。

ずっと好きだった短歌の作者さんに会ってお話すること。

二次創作短歌【※】を通して好きなアニメや漫画の世界に浸ること。

短歌カードゲーム ミソヒトサジ〈定食〉」や「いちごつみ」【※】など短歌を使って誰かと遊ぶこと。

※二次創作短歌
短歌形式で作られた二次創作作品。たとえばTwitterでは「#おそ松短歌」(アニメ『おそ松さん』)、「#進撃短歌」(漫画『進撃の巨人』)、「#刀剣短歌」(ゲーム『刀剣乱舞』)などのハッシュタグで発表されています。二次創作短歌とは何ぞや、を概観するには『二次創作短歌非公式ガイドブック』(BL短歌合同誌実行委員会)がオススメです。
 
※ネットプリント
登録しておいた文書や画像を、一定期間中コンビニのコピー機で印刷できるサービス。自作のフリーペーパーを全国のコンビニで配布できるイメージ。略称は「ネプリ」、「ネップリ」。
 
※いちごつみ
短歌のしりとり。一つ前に作られた短歌から好きな一語を拾って次の短歌を作る。具体的なルールは千原こはぎ「いちごつみ・しりとり・鬼シーリズについて」『こはぎうた』にまとめられています。

短歌にはいろいろな形とそれぞれの面白さ、面倒くささがあって、人によって好みや向き不向きも当然あります。自分にとって幸福だったのは、そのいろいろな形のなかでも「承認欲求」と「手軽さ」というそのとき欲しかったものにつながる「短歌」に出会えたことなのでしょう。

そしてまた自分なりの形で短歌を続けてきたことで、「短歌について話す」TANKANESSという「短歌をする」場に誘っていただけたことも一つの幸福だと思います。この記事を読んでくださったあなたにも、あなたに合った短歌との出会いがあれば――それがすれ違いでなく出会いになるのであれば――これ以上嬉しいことはありません。

この記事を書いた人

杉田抱僕

短歌と読書と好きなものを布教することが好き。推し歌集は『しんくわ』(しんくわ/書肆侃侃房)です。この歌集を読んで短歌が面白いと全人類に気づいてほしい。

Twitter @hoboku_57577

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