「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?
相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。
この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。
第5回は志賀玲太さんです。
志賀玲太さんの「本ッ当に好きな 短歌の本」
悔しいと思わせてくれるような、自分を嫉妬でめちゃくちゃにしてくれるような、そんな本との出会いが好きだ。
偉大な先人の紛うことなき傑作に触れる時間だってもちろん楽しくて、得るものもたくさんある。それでも、そんな作品は時にどこか遠くにあるもののように感じられて、そんなことはないはずなのになんだか薄っぺらなものに思えてしまうことだってある。
自分のこの目に映る場所にあって、辿り着けそうにも思えるのに実はガラスの壁で阻まれているような、「お前はここには届かないんだ」と突きつけてくるような作品に当てられた時の、あの絶望感に似た何かこそが好きだ。
初谷むいの歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』(書肆侃侃房)との出会いは、どちらかと言えば淡白なものだったような気がする。当時の私はまだ短歌という存在のことも、そこに広がる世界のことも知ったばかりで、ひとまず色んな歌集を手に取ってみては、その度に「こんなのがあるのね」と手探りで確認しているような時期だった。そんな折に購入した初谷むいの歌集は正直を言えば初読ではピンとこず、これは自分の住んでいる世界とは違う世界の歌で、私のこれからには関与しないものと思い本棚に置いていた。
それから余計に短歌というジャンルにのめり込むようになると、いつしか私は苛烈に「新しさ」を求めるようになっていた。それまで形式と文脈にがんじがらめにされたような美術のルールに身をやつしていたことが災いしてか、短歌という領域でも自分という存在を押し殺して、まだ見ぬ表現に手を伸ばすことこそが正しいのだと、そう思っていた。無知を棚に上げて、短歌は私性に何十年振り回されているんだ、くだばれとさえ。
ただ、そんな目で短歌を見ていれば見落とすものも多く、何より自分で歌を詠むことすら無価値に思えてきてしまっていた。私は何か間違っているのではないかと、慌てて家中の歌集を読み直している最中、あったのが『花は泡、そこにいたって会いたいよ』だった。
どこででも生きてはゆける地域のゴミ袋を買えば愛してるスペシャル/初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』
その頃の自分にとって、初谷むいの詠む歌は確かに劇薬だった。おそらく自身の人生を、そして自身そのものを捧げなければなし得ないであろう表現は、あまりに眩しかった。本棚の奥に遠ざけていた歌集は、私がこれではないと拒んだものではなく、気付けばどうやっても自分のなれないものに変わっていた。そこではっきりと、嫉妬の念に駆られたことを覚えている。ああ、今の私の口じゃ愛してるスペシャルを放つことはできないんだ。
もういいよわたしが初音ミクでした睫毛で雪が水滴になる
ぼくはきみの伝説になる 飛べるからそれをつばさと呼んで悪いか
/初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』
それから今に至るまで、私の頭の中の見えるところには、愛してるスペシャルが居座り続けている。初谷むいの歌における軽薄さは、ほとんど兵器だと思う。それも、澄ました顔をしてぶん回すには、あまりに質量が伴いすぎている鉄球のような兵器だ。歌を受け取り、それが鉄球であると気づいた時にはもう避ける術は残っていない。
そして、第2歌集である『わたしの嫌いな桃源郷』(書肆侃侃房)刊行の報を聞いたとき、感じたのは素直な喜びだった。慌てて飛んだ書籍ページに記載された収録歌に、やられたと思った。
それはたとえば、百年育てて咲く花を信じられるかみたいな話?/初谷むい『わたしの嫌いな桃源郷』
より自由に、より軽やかになった第2歌集。こちらの歌は最初の句を7音として77577の形(初句七音)で読めるが、読点で区切られて以降の句は、なんだかもうほとんどリズムなどお構いなしに突っ込んでくるような印象さえある。さらっと過ぎ去る余韻の中に、提示された壮大な疑問文の感触が残る歌だ。
体感的には、『わたしの嫌いな桃源郷』は『花は泡、そこにいたって会いたいよ』に比べて、鉄球からより鋭利な槍のようなものに変わったような印象だが、力強い兵器には違いない。鉄球で殴られ、槍で貫かれた私の残機は今も減り続けている。
会ったことのない人を好きになったり それがすてきな切符になったり
再会のためのパスワード nandodemo 今世も来世も今日のつづきよ
/初谷むい『わたしの嫌いな桃源郷』
「こうなりたい」と「これとは違う自分が欲しい」の狭間で、私はこの2冊の歌集をこれから何度も読み返すのだろうと思う。私も私を捧げるから、スペシャルな何かをどうかください。
この文章を書いた人
志賀玲太
1996年、東京都生まれ。東京藝術大学美術学部を卒業。現在はWebメディアQuizKnockの編集・執筆に携わっている。トップバリューのペペロンチーノで生きている。
Twitter @Petzvaled
note https://note.com/shigareita
QuizKnock https://quizknock.com/author/shiga
自選短歌
バスタオルほつれる無期の生活に終わりの色を白だと思う
今回紹介した短歌の本
- 『花は泡、そこにいたって会いたいよ』初谷むい
- 『わたしの嫌いな桃源郷』初谷むい