本ッ当に好きな短歌の本 教えてください〜榊原紘 編〜

本ッ当に好きな短歌の本_榊原紘サムネイル エッセイ

「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?

相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。

この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。

第1回は榊原紘さんです。

 

榊原紘さんの「本ッ当に好きな 短歌の本」

 

真っ暗な部屋で、アニメ『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第2期を観ていた。12月30日、年の瀬も年の瀬だった。

9時間が経っていた。アニメは完結し、涙を拭いていた左の手の甲は赤く、がさがさになっていた。

『鉄血のオルフェンズ』はキャラクターのほとんどが孤児で、生き延びるためには手段を選ばない。

労働のために非人道的な手術を受けることになっても、争いで人の命を奪うことになっても、善悪でなく、そうしなければ生きられなかったというもっと根本的な理由に子どもたちは迫られる。

それを観続けるのはこたえたけれど、容赦のないストーリーと素晴らしい台詞たちを覚えていようと目を凝らしていた。

2日後には新年を迎える部屋で、望んで傷つき続けていた。

善悪を越えたところにある、ただ生きていることへのひりつきを、最も感じさせてくれる歌人がいる。真鍋美恵子だ。

今日の在り方にいつはりはなし魚買ひて濡れたるつりをわれは
に受く/真鍋美恵子『白線』

「今日の在り方にいつはりはなし」という強い断言が、初句(ここでいう「今日の在り方に」。57577でいう最初の五の部分)の字余りの勢いと共に提示される。

魚を買ったお釣りを受け取ったとき、そのお釣りが濡れていたという描写は、その魚屋の店構えを想像させる。個人で経営しているような、町角の、決して大きくはない店だ。

『白線』の前の歌集『径』が1944年に刊行され、『白線』が1950年に刊行されたことを考えれば、「今日の在り方にいつはりはなし」の重みが変わってくる。

戦争を経験した人たちが、生きるために命をもらうこと、生き残った人間同士で物を売り買いすること。それらがすべて「今日」に包含される。そこにある生活は良いとか悪いとか、美しいとか汚いとかではない。ただ、「真」なのだ。

掌で受けた硬貨の硬さやわずかな水滴によってもたらされた冷たさを、「今日の在り方にいつはりはなし」という実感へと飛ばす、その見事な腕力。

 

黍畑に押しひろがりてゆく雲の重量感を
に感じ居り

広大な黍畑の上に広がっていく雲を頭で感じるためには、一度自らの上空を振り仰がなければならない。そしてまた前を向き、この肉体の上に雲が今もあり、広がっていることを信じなくてはならない。

この歌を読むときのカメラの動きは、空から一人の人間の頭へと移っていく。けれど読み手の心は、最後にはやはりその雲の広がりへと還っていく。どうしてこんなに多層的な歌が作れるのだろう?

生きるために耕した黍畑を前に、届かないのに重みを感じられる雲を上に見て、人は生きる。

真鍋美恵子は現代歌人協会賞に選ばれた第4歌集もすばらしい。ホームページに引かれた歌をここにも引く。

月のひかり明るき街に暴力の過ぎたるごとき鮮しさあり

桃むく手美しければこの人も或はわれを裏切りゆかん

/真鍋美恵子『玻璃』

光によって照らされることは、暴かれることに似ている。

桃をむく手に美しさを見出しながらも、そこで思うのは「この人も或はわれを裏切りゆかん」という予感だ。ほとんど確信かもしれない。一瞥して、綺麗だと思うところに踏み込むと、そこには何らかの荒々しさや、かなしみを帯びたものが見えてくる。

真鍋美恵子の歌は、死や崩壊の予感を鋭い手つきでそぎ落としてその断面を見せてくる。なので、すごい歌だと思うと同時に、何か見てはいけないものを見てしまったようなショックを受ける。

同じ歌人の歌集を何冊か読んだら、この時期の歌は好きじゃないと思ったり、この歌集は響かなかったと思ったりするのに、真鍋美恵子には感じたことがない。どの歌集を読んでも新鮮に傷つく。

生きる上で「傷つかないこと」は、自分のなかで優先順位として高くない。観るのをやめればいいのに暗い部屋で望んで傷つき続けたように、読むほどにショックを受けることをやめられない。

そこに生きているからだ。画面の中で、本の中で、そしてそれを受け取る私自身が。

傷つきたくないのなら、『鉄血のオルフェンズ』なんて、真鍋美恵子の歌なんて、触らなきゃいいだけだ。

 

この文章を書いた人

榊原紘さんのアイコン写真

榊原紘(さかきばら・ひろ)

1992年愛知県生まれ、奈良県在住。
第2回笹井宏之賞大賞受賞、第31回歌壇賞次席。
2020年第一歌集『悪友』刊行、翌年重版。
ゆにここカルチャースクールで「推しと短歌」の講師を務める。

Twitter:@hiro_geist
公式サイト:https://hiro-tohma-official-website.com/

自選短歌

立ちながら靴を履くときやや泳ぐその手のいっときの岸になる

 

今回紹介した短歌の本と作品

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