「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?
相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。
この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。
第3回は藤宮若菜さんです。
藤宮若菜さんの「本ッ当に好きな 短歌の本」
『空中で平泳ぎ』福島遥(株式会社スペースシャワーネットワーク)という歌集は、いまわたしの手のなかでぼろぼろの姿になってひかっている。
17才だった。生涯聴きつづけるだろう、と直感した音楽をつくり歌ったひとは、時を同じくして短歌という形でふたたびわたしの人生を変えた。
灰色がこの世でいちばんうつくしくなる瞬間にぼくは泣いてる
ひとよりもがんばらなくてはならなくてそれなら鳥になったらいいよ
永遠がないのではない永遠の手前にいつもY字路がある
/福島遥『空中で平泳ぎ』
ありあまる絶望のなかに、たしかな光をみた。取り返しのつかない瞬間、失くしたものたち、いつか忘れてしまう日々。行き場のないすべてがこの歌集には詰まっていた。
本格的に短歌をつくろうと決めたのはそのときで、高校生だったわたしの心は、短歌に、この歌集に、ほんとうの居場所を求めていたのだと思う。
校門を飛びだしてすぐにスカートを折ったあの瞬間も、ひとりライブハウスに向かっていたあの瞬間も、最寄駅のトイレで友達とグロスを塗り直したあの瞬間も、抱えきれない死にたさに蹲ったあの瞬間も、いつだってわたしの通学鞄にはこの歌集がひっそりと収まっていた。だれにもみせないお守りみたいに。たったひとつの祈りみたいに。
翌年刊行された、ミニ歌集『この夏の話』福島遥(私家版)。
もうこれはわたしのためのひかりではないということだけはわかった
とりあえず冷凍ご飯あたためて嫌になるまで一緒にいよう
/福島遥『この夏の話』
ほんの薄い、ひとりきりの夏の夜に撫でたくなるようなちいさな歌集。ひとつひとつの歌から滲みでるやりきれないさみしさを、心の片隅で大切に抱きしめた。
そして、27才の夏。あれから10年が経ち、名義を変えて刊行された写真歌集『壊れていてもかまわない』雲居ハルカ×町田千秋(私家版)を、わたしはなかなか開くことができなかった。いま、彼女が書くものはなんなのだろう。この10年間、なにを見てなにを感じ、どんなことを短歌という形に預けたのだろう。期待と恐怖がないまぜになってページをめくる手が震えた。
バスで十五分だけれど明日からたぶんどこよりも遠い街
ずれたなら二周遅れでもう一度合わせにいくよ 愛の話よ
選ぶってすごいことだねいつの間にみんなここからいなくなったね
/雲居ハルカ『壊れていてもかまわない』
生活と、祈り。壊れかけたすべてのものに宿る、二度と届かないような、それでもすぐそばにあるような、ほんとうのこと。ひさしぶりに彼女の短歌にふれて、ひどく息が苦しかった。けれどそれは、やわらかく肌に馴染んだ毛布にすこしずつすこしずつ絞められているような心地のよい苦しさで、1首読むたび自分が生きてきた10年間の日々のひとつずつが浮かびあがってくるようだった。
選んできたこと。選ばなかったこと。離してしまっただれかの手、諦めてきたものたちの影、傷だらけになりながら繋いできた命。どんなときも近くにあった、書くという行為。わたしはどうしたって書くことをやめられないと思った。やめないでいようと思った。
好きすぎてこれ以上読めない小説みたいだどうかずっと生きてて/雲居ハルカ『壊れていてもかまわない』
生きてて。わたしの愛した音楽も、文学も、思想も哲学も、ぼろぼろになったこの歌集たちも、たったひとりのあなたも、どうか。どうかずっと、生きていてね。
この文章を書いた人
藤宮若菜
1995年生まれ。2012年、福島遥の短歌に出会い本格的に作歌を始める。日本大学藝術学部卒業。2021年、『まばたきで消えていく』(書肆侃侃房)を刊行。2022年、『春だったわたしたちへ』(第1.5歌集・私家版)を刊行。
Twitter:@___wknf__
自選短歌
寝ころんであなたと話す夢をみた 夏で畳で夕暮れだった
今回紹介した短歌の本
- 『空中で平泳ぎ』福島遥
- 『この夏の話』福島遥
- 『壊れていてもかまわない』雲居ハルカ×町田千秋