本ッ当に好きな短歌の本 教えてください〜武田ひか編〜

エッセイ

「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?

相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。

この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。

第6回は武田ひかさんです。

 

武田ひかさんの「本ッ当に好きな 短歌の本」

子どもの頃住んでいた家は、花に囲まれていた。家の周りではツツジや、桜、夏蜜柑などが毎年花を咲かせていて、紫陽花は家の裏手にある墓地までの坂道にあった。生家を出て七年が経つ。都市であっても、紫陽花だけは意外と街のいたる場所にあって、春から夏へと向かう一瞬の時間を滴るように色を放っている。

紫陽花の奥へ奥へとさしこんだ手はふれるだれかの晩年の手に/大森静佳『ヘクタール』

大森静佳の短歌を読んでから、紫陽花が異界につながっていると気づいたのだった。これでもかと溢れている奥には死者の世界が広がっている。六月は死者のための季節。街角に植わった紫陽花はこの世からあの世に続く道にぽつねんと立つ扉なのだ。入口では晩年のひとたちが順番待ちをしていて、ときおり後ろを振り向いている。

第三句、「は」がすごい。この助詞があらわれた瞬間に、手を差し込もうとする意思を離れて、手の感覚に移行する。晩年の手に触れたときにはじめて浮き出る、わたしの手の感覚。感覚を読み手に差し出すマーカーとしての「は」。不調をきたしたときだけ喉や鼻の存在を知覚するように、触れられたことでわたしの手の存在が濃くなる。紫陽花のこちら側からあちら側に行くときに、手に意識がうつるさまの、死者の国へと連れ去られるような心地。

『ヘクタール』(文藝春秋)の言葉には身体感覚を通して、異界に接続する力がある。堂々たる発語によって本当にそうなのだと思わせてくれる。わたしがずっと短歌を好きでいられるのは、どうしようもない生を抜け出した大森静佳の言葉が読めるからだ。正直に言えば、これはまったく過言ではない。

夕闇のたががはずれてきれいだな顔面溶けてあなたにもなれる

いつか躑躅つつじが夜空を覆う いつかわたしはあなたの指を本当に食べる

/大森静佳『ヘクタール』

『ヘクタール』でもっとも胸を打たれたのは、あなたを希求する歌だ。時間が進んでいけば遠くの場所にいってしまう、あなた。大きな他者である「あなた」への目線が、異界への言葉と重なるとき、しみじみ悲しい。その歌たちをみることで、存在が縛り付けられている現在地を痛感させられてしまう。

会えなくなった人や、まだ会っていない無数の人のことを思う。この世だけではなく、あの世があること。どこかにあるいくつもの。私にはその広がりが視えない。

視たいと思う。何度でも会いたいと思う。わたしに視えているここ、ではない場所。違う場所で息をしているあなたのことを思う。願わくば、この生以外にも会える場所がほんとうにあってほしい。何度も読み返すうちに、『ヘクタール』の言葉は幻想や幻視ではなく、むしろ確固たる現実の表情で響きはじめる。わたしは、この歌集の言葉を信仰したい。

今日の昼、死期の近いひとと会った。その人はここ10年ほどで心臓と足を悪くしてしまっていたし、港の近くではもう遊ばなくなっていた。病院に駆けつけたときには彼は喋れなくなっていた。目は既に見えていなかったが、聴覚は最後まで残っているらしい。触れた手は細くて、体温はわたしよりずっと低い。手を差し出すと、指を小さく握り返してくれた。

不思議なことに、いま、いろいろな風景を鮮明に思いだす。彼の家で遊んでいた幼いころや、飼っていたうさぎの名前を呼ぶ声、フグを膨らませ海に放りなげたこと。 焼酎のお湯割りが好きだった。彼がつくった竹竿でおおきなボラを釣った。臭くて食べられないのに記念だと言って持ち帰り、冷凍してくれた。

病院から帰る道の途中に咲いている、紫陽花。地面に接してしまうくらいの大きなものがいくつもある。紫陽花の歌を読みながら、すこしだけ今日のことを書き残そうと思った。死が訪れて、奥へと進む時、手が私に触れるにちがいない。乾いて硬く、港町を生きたその小さな両手。

 

この文章を書いた人

武田ひか

自分のネガティブで人に迷惑をかけるのをやめたい、と思いながら暮らしています。短歌が好きな人・気になる人のためのコミュニティ「ヨミアウ」を運営。荻窪では金ぴか歌会を開催中。遊びにきてね。岡山大学短歌会出身。特に好きな歌人は大森静佳、竹中優子、北山あさひ、井上法子。

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自選短歌

君の打つひどくあかるい相槌に火傷のような部分があって

今回紹介した短歌の本

  • 『ヘクタール』大森静佳

「本ッ当に好きな短歌の本 教えてください」バックナンバー

第1回 榊原紘さん編

第2回 谷じゃこさん編

第3回 藤宮若菜さん編

第4回 虫武一俊さん編

第5回 志賀玲太さん編

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