階段歌壇 第5回「植物」総評&第6回募集のお知らせ

企画

みなさんこんにちは、橋爪志保です。ようやく涼しくなってきましたね。半袖はもうそろそろ着られなくなりそうです。いかがお過ごしでしょうか。

今回は初のテーマ詠。テーマは「植物」でした。「植物」にかかわる短歌であれば、直接字を詠みこんでなくてもOKってやつです。選をしているときは、まるで植物園に行ったかのようなわくわく感が味わえました。今回も、歌を送ってくださった方の熱意に心からの敬意と感謝を。ありがとうございます。

今回は特選1首、秀逸2首、佳作3首をご紹介します。

橋爪志保

2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。2021年4月に第一歌集『地上絵』上梓。Twitter @rita_hassy47
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自選短歌

I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる

 

階段歌壇 第5回「植物」総評

特選1首

雑草という名の草はないという人も会社で雑用をする/カラスノ

 

「雑草」の歌は、今回何首かあったのですが、いい歌になるかの別れ目は、それをどう調理するか、にかかってきます。これは皮肉というかたちでうまくまとまっています。

「雑草という名の草はない」みたいなことをこれ見よがしに言う人、確かにいますね。もちろんそれは間違ったことではありません。道ばたとかに生えた草をまとめて「雑草」、と言いなす暴力性みたいなものは、たしかに存在します。

「雑草」と言っているのは、例えばその草の名前を知らないから、ということもありますし、畑などで栽培した植物との差別化をはかるため、ということもありますし、もちろん別に悪い言葉ではないのですが、字面どおり「雑」な呼び方とはいえるのかもしれません。
(個人的には植物に名付けをすること自体にも暴力性が伴うので、「雑草という名の草はない」と言われただけでは、暴力の問題は回避できてないだろ、と思っているのですが。)

そんな、「雑草という名の草はないという人」(以下「雑草さん」と呼びます)も、「雑用をする」――たとえば「雑用」係として任命されても「雑草」のときみたく疑問を呈さなかったり、みずから「さて、雑用してくるか」みたいに言ったりするわけだというのです。
(「雑草さん」がひとつひとつの仕事を心のなかで「雑用」と呼ばずにやっているかどうかは、はたから見ただけではなかなかわかりません。でも、「雑用をする」と主体が言えているということは、何か発言や行動があったと思われるので、そう読みました。)

「雑草さん」の主張する論理を当てはめてみると、「雑用」という言葉でさまざまな(ときに細かく、ときに目立たない)仕事をくくるのは、暴力的な行為でしょうから、ここにもツッコんでいいはずなのに、それはしないのです。

「雑草さん」の一貫性のなさを、主体は小気味よく歌のなかで指摘します。そこに、過剰な嫌味は存在しません。ただ、それを淡々と述べることで、歌が生き生きと呼吸しています。

 

秀逸2首

この花が造花だとしてもうれしいしあなた次第で枯れてしまうよ/Re:Makita

 

ぎょっとしてしまう歌、だと思います。イメージを頭のなかで映像にすると、「造花」がぱっと浮かび上がってきたと思ったとたん、「造花」であることを裏切って枯れてしまうそれも同時に見えてきました。これは言葉でしかなせないわざだな、と思います。

簡単な言葉で書かれた短歌ですが、実際に読み解いていくのは少し難しいです。

「造花だとしても」は文法上は仮定だけれど、わりと確定に近い仮定という感じがしています。「造花だとしても」ってわざわざ言うくらいだから、「この花」は、少なくとも見た限り「造花」っぽいところがあるんじゃないかな、と読みました。でも、「この花」を目にした主体は、本物の花なのかどうか最終的にはわかってなさそう。

それに対して、「枯れてしまうよ」は仮定ではない。なかなかの説得力で出されたような気にさせる断定です。決して嘘でない「うれしい」の気持ちと並列で書かれているからかもしれません。この強さには目を見張るものがあります。だって、この主体、「造花」かどうかもわかってないんですよ。なのに、「枯れてしまう」んです。そこはゆるぎなく確実なんです。

当たり前のことを言います。「造花」は通常枯れません。というか、「造花」のメリット(?)みたいなものがあるとするならばそこです。でも、ここでは「造花」であろうとなかろうと、「枯れてしまう」ような力がある、と言っています。

そもそも、この歌における「花」は、相手への心よせの感情(恋愛感情とはもちろん限りません)の比喩くらいに捉えると自然なんでしょうが、その場合ふつうは、「造花」という比喩をとことん利用して短歌を作ってやりたくなるものです。

造花→偽物だけど枯れない、生花→本物だけど枯れる、という式にのっとって、例えば「この感情は偽物だからずっと続くね」みたいなことを言ってみたり、「この感情は本物だから花の咲く短い間楽しもうね」とか、言ってみたくなります。けれど、(「この花が造花だとしてもうれしい」までは、なんの変哲もない「文章」なのですが)「枯れてしまう」と断定で言った時点で「造花」という比喩から享受できる効果には目もくれていないのです。その潔さに参りました。

「あなた次第で」と言ってはいますが、「枯れ」させようとする力は、主体にもありそうです。そのくらいまがまがしい。

人の感情を「花」にたとえて、造花 or 生花で感情の真偽を言いなす手つきに既視感がないかといったら、まああるのですが、この歌はそのような他の類似作とは一線を画しているような気がしました。力業、という感じですね。

 

煙草だってまさか火をつけ吸われると思ってないよ優しくしてね/5.74ft

一瞬、「植物」をテーマにした歌と捉えることに迷いが生じましたが、「煙草」も加工前はれっきとした植物ですし、この歌の内容だと、吸う状態の「煙草」になる前の植物の姿まで想像できそうなので、大丈夫だと判断しました。

「煙草」という植物の用途は、たしかに他の植物と比べて特殊かもしれません。火をつけて吸うために栽培される植物。よく考えると不思議な感じがします。「煙草」に感情があったら、驚いているかもしれません。もちろん、だからといって、たとえば食べるために育てられた植物が、食べられると思っていながら育っているかと言われたら、そういうわけでもないのですが。

植物に感情を持たせることで詩をつくるやり方は、よくあるといえばよくあるし、人間のエゴが丸出しになるので、功罪あると思うのですが、この歌はあまり嫌な感じがしてきません。これは、主体自身の「煙草」というモノへの原始的な驚きが反映されているからなのだと思います。そこらへん、うまく処理できているという感じがします。

そして、なんといっても一番おもしろいのは、結句の「優しくしてね」です。

これ、何に対しての「優しくしてね」なのか、いまいち確定できません。予想外の人生(草生?)の展開にびっくりしている「煙草」に対して「優しく」する、という読みがまず一つありますが、じゃあ「優しく」ってどんな風にでしょうか。そっと火をつけそっと吸うということなんでしょうか。それは果たして「優し」いのか……?

また、「わたし(主体)」に対して「あなた」に「優しく」してほしい、と読むこともできますね。そうすると、たとえば「煙草」は「わたし」の比喩、「火をつけ吸われる」もなにかべつのことの比喩として効いてくるのかもしれません。

いずれにせよ「優しくしてね」の結句を読んだ瞬間に「人間の関係性」をともなう「感情」がにゅっと出てくるので、ものすごい迫力があります。

初句から四句まで、感情の話をしていたところに、結句でもっと輪郭のはっきりした感情をぶつけてくる。その、絶妙なバランス感覚がおもしろい歌だと思いました。

 

佳作3首

閉館の合図とともにほんらいの姿に戻るサルスベリたち/うゆに

 

「閉館」とあるから、植物を展示する施設かなにかでしょうか。

「開館」中の、われわれが見ている「サルスベリ」の「姿」は「ほんらいの姿」ではないというのです。「閉館」後、動物のようにくねくね動きだしたり、からだを横たえたり、するのかもしれない。「ほんらいの姿」を具体的に描かないことによって、想像が広がる作品となりました。

いや、ただ「閉館」後にライトアップ等の演出が終了して「ほんらいの」明るさなどに戻る、とかいうだけの話なのかもしれないのですが……。なんだかそれだけじゃないような気にさせます。

 

 

蔦たちに編みぐるまれたビルディング 愛されるってこうだったよね/四辻さる

「蔦」でいいのに、「蔦たち」と書くことで、不気味な立体感が出ています。「編みぐるまれた」という表現がかなりいいですね。「編む」+「くるむ」。ちょっと造語ぎみですが、「編みぐるみ」という単語があるのであまり違和感がありません。「蔦たち」の動きがかなり的確に示された表現だと思います。

また、上の句が「愛される」ことをさす具体的な景であると、下の句では言っています。少し構図が単純で説得力がない気もするので、改作の余地がまだありそうです。

 

 

オリーブがあらゆる銃から芽吹く日を最後に人の姿を見ない/旭イヅル

ノアの方舟の話でのオリーブがそうであるように、この歌でもオリーブは平和の象徴として使われています。葉の「芽吹」いた銃は使い物になりませんからね。

この歌は、街から人がいなくなって荒廃してしまった様子を描いています。人間がいなくなる日まで平和は来ないという皮肉にもなっています。

31音で広大なSF的世界観を演出するのは難しいのですが、うまくやれているな、という感じがします。

 

今回のまとめ

以上です。掲載された方、おめでとうございます!素敵な歌をありがとうございました。

はじめての「テーマ詠」、いかがだったでしょうか。

まだまだ「テーマ詠」は続きますよ。次のお題は「学校・学生」です。「学校」「学生」という単語は詠みこまなくても大丈夫。自由に発想を膨らませて作ってみてください。

ランドセルの歌や、文化祭の歌、単位を落とす歌、などなどなんでも来いです。

みなさんの素敵な歌をお待ちしています。

 

それでは次回のお知らせです。

階段歌壇 第6回テーマ詠「学校・学生」募集のお知らせ

  • テーマ 「学校・学生」 
    (詠み込み必須ではありません:学校・学生をテーマにした歌であれば、歌の中に「学校」「学生」という単語は入れなくてもかまいません)
  • 応募期間 2020年10月5日〜25日
  • 発表  2020年11月上旬(TANKANESS記事内で発表します)  

 

応募フォームに筆名、メールアドレス、短歌を記載のうえご応募ください。 

 

<注意事項>

  • 未発表の自作の短歌に限ります。(掲載された短歌は既発表作品となります。)
  • 1人3首まででお願いします。(1つの応募フォームで3首まとめて応募が可能です)

 

いただいた歌は、すべて選者(橋爪志保)が目を通して選をし、上位者の歌とコメントを発表します。

また、入選作のなかから最もよかった短歌を「特選」とし、短歌に関するデジタルグッズ(スマホ用壁紙など)を賞品としてお送りします。

階段歌壇 第6回応募フォーム

 

そこのあなた、あなたの短歌をわたしに読ませていただけませんか?

 

この記事を書いた人

橋爪志保

2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。2021年4月に第一歌集『地上絵』上梓。Twitter @rita_hassy47
note https://note.mu/ooeai
通販 https://hassytankashop.booth.pm/

自選短歌

I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる

 

階段歌壇 バックナンバー

第1回 募集のお知らせ

第1回 題「星」総評

第2回 題「生」総評

第3回 題「音」総評

第4回 題「地」総評

 

 

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