こんにちは、TANKANESS発起人、歌人のなべとびすこです。
今回は「歌人(短歌やってる人)と俳人(俳句やってる人)、一緒に吟行(ぎんこう)に行こう!」という企画の完結編です。
(完結まで2ヶ月もかかってしまいました…)
最後は、動物園を回って作った短歌と俳句を、全員で合評していきます。
これは短歌では「歌会(うたかい/かかい)」と呼ばれるもので、俳句では「句会」と呼ばれるものです。
歌会のなかでもルールがいろいろ異なるのですが、句会のなかでもやはりルールはいろいろあるようです。
好きな歌に投票したりする場合もあるのですのが、今回は票は入れません。
匿名で作品を紙に書いてシャッフルし、順番に読み上げて、みんなでコメントしていきます!
以下、歌会&句会の様子です!
な:なべとびすこ
か:かつらいす
野:野住朋可
木:木田智美
道ゆけばラニー博子の写真あり吹きあげられたあたたかな土
な:象の名前がラニー博子でしたっけ。「吹き上げられたあたたかな土」…ってなんですかね…
野:象のところで、もう象はおらんけどラニー博子の写真が遺影みたいになってて。
もういないのにそのまま土があって、鳥がピヨピヨいたりして、きっとラニー博子が生きてたときにこの土の上を歩いたりして、土埃もあがってたやろうって、この人は思ったんかなあと
か:写真のなかで砂浴びをしてるシーンがあったのかなあとか。
ラニー博子はおらへんけど、今はスズメとかがいて、動物のいた気配があるあたたかい感じかなと思いました
な:なるほど! 今はおらんけど命の気配が残ってるということで「あたたかな」という言葉になってるんですね
木:象がいなくなるっていうのは動物園にとってはすごい大きいことだと思います
な:入り口にわざわざ「象はいません」って書いてましたもんね
木:いなくなっても「象はいたんだ」っていうのが残ってるっていうのが良いですね。
か:「道ゆけば」のところは、動物園に入っていきなり象の場所があったんじゃなくて、いろいろ回って最後のほうで象のところに着いたっていう今日の流れを踏まえてるのかと思いました。
な:あ〜! 最初は「道ゆけば」っていつでも言えるから、要るかな? って思ってたけどその解釈なら良いですね! どっちの入り口からも遠い場所でしたもんね
木:象って自分の鼻で水浴びとか砂浴びをするからラニーさんがいなくなっても土はずっとあり続けるってことかなと
な:私「吹き上げられた」のとこよくわかってなかったんですけど、「かつてラニーに鼻で吹き上げられた土」ってことですね!
木:もう吹き上がることはないかもしれないけど、その土はずっとあるよって
はさまって生きるコアラに春疾風
野:コアラは最初のとこで挟まって暮らしてたコアラですよね
な:吟行やとみんな同じものを見てるから共通認識があるので通じますよね。逆に、それを見てない人にはわかるかな〜ってなるので攻め加減が難しい…
野:「春疾風」っていう季語が「疾風」なんでめっちゃすごい風…春一番みたいな。時には嵐にもなる感じなんです。ということは、挟まってるコアラは実はめちゃくちゃ強い説…
な:あんなに風吹いてるのにあのままですもんね(笑)
野:しかも「生きる」って言ってるから、「こんな風なんて、なんともないよ!」っていういうコアラの生き様が出てて良いと思います。「挟まって」ってところにヌケ感が出てるのも良い
か:コアラののんびり感よりも「耐えて生きる」感じが出てるのが良いと思います
な:「生きる」がいいか「暮らす」が良いかとかはどうでしょう
か:「春疾風」なら「生きる」が良いと思います
木:「コアラは親指が2本」みたいな展示があったので、木をしっかり掴んで生きてるから、「生きる」が良いと思います。
あとは「木」が無いかな…。どこに挟まってるか、今日はみんなで見たからわかるけど、ちょっとわかりにくいかも…
な:確かにこれだけやと何に挟まってるかは謎ですね
野:「や」とかで切っても良いかもしれませんね
な:あ〜! 「切れ字」というやつ!
木:「に」だけやと、風が吹いてもコアラははさまっているっていう理屈になってしまって、意味がわかりすぎてしまうかも
野:「や」で切ると、コアラはコアラではまって生きていて、春疾風はコアラもいて、私たちもいるこの世界全体に吹いているように作用する感じになります
な:「切れ字」いまいちわかってなかったんですけど、そういうことなんですね…
木:私もあんまりわかってないけど(笑)「や」はどこでも入るから好きです!
野:私は「かな」が好きです!
木:「かな」可愛いね!
春・シセン・レッサーパンダ・ヒトリジメ
な:四川(しせん)レッサーパンダっていましたね
木:あ! 私はこれわかります! レッサーパンダ見てたときに、前の子どもが「シセンレッサーパンダって、みんなの視線をひとりじめってことかな!」って言ってた。
な:言ってた! 私もこれ使いたくてメモしてました。
たぶん「四川」って言葉が子どもの脳内辞書になくて、「視線」を連想したんでしょうね。レッサーパンダがほんまにそんな感じやから、賢い子どもやな〜って見てました
木:かしこい! 素晴らしい!
野:もともとは「視線ひとりじめ」があって、その間に春とレッサーパンダを入れて、この表記にしたのもかなり攻めてる!
な:ほんまは「シセンレッサーパンダ」か「視線ひとりじめ」のところを、両方にかかるようにうまくつなげてますね。
野:「春」の入れ方もスマートで、「春」と「レッサーパンダ」も合うから良いですね。これ私の特選かも!
な:そのまま言うだけなら「あの子どもがすごい」で終わるけど、この表記にしたのが技ですね
野:あっ、春もひとりじめってことか! 春も視線もひとりじめ!
な:全部にかかってるんですね!
新世界ゲートを抜けて春の雨
か:「新世界ゲート」ありましたね。今日は雨も降ってたから「春の雨」で…
わりと見たまんま詠んでいる感じでしょうか
な:「新世界ゲート」使いたかったけど、意外と難しかった…。
季語ぜんぜん知らんけど、私も「春の雨」調べてたら、あたたかいイメージというか、お祝い系の言葉ですよね。それが「新世界ゲート」って言葉と合ってるのかなって思いました。
野:新世界を抜けるまでは春の雨に気づかずに、ゲートを抜けて春の雨に気づいた感じかなと思いました。動物園という場を抜けて、現実世界に戻ったときに春の雨が降っていて、ちょっとやさしくダラダラ降っている感じで、現実への倦怠感とかも感じられました
木:「新世界ゲート」見てないかも
か:私たちが入ってきた「てんしばゲート」と逆のほうで、そのまま大阪の新世界に出れるほうのゲートですね
野:そのまま雨のなか新世界に飲みにいったんですかね(笑)
木:合いますね! 「新世界」と「春の雨」
野:これが「冬の雨」やと厳しすぎる
か:季節によって、同じように「雨」がつ付いても想像するものが違うんですね
な:春の雨以外にも「秋の雨」とか「冬の雨」とかも季語なんですか?
野:あります! それぞれ例句(れいく)があって、季語の「本意(ほい)」っていうのがあるんです。それで、この季語はこういうイメージがあるとか…。バックボーンが積み重なって、その言葉が力を持ってきて、俳句に作用してくる
木:季語さまさまですよ!
野:ほんまに! 助けられてます! その季語のイメージと、その言葉が合うのかをコーディネートしていくというか
木:コーディネートね! りゅうちぇるも言ってた! コーディネートのときに3色しか入れないようにしてるって、NHK俳句に出たときに言ってました!
な:りゅうちぇる、NHK俳句に出てたんですね
永眠を問えば「死んじゃったの」と言いちゃんとわかっている帽子の子
な:「問えば死んじゃっ/たのと言い」で、句またがり(*)ですね
*5・7・5・7・7の句の切れ目を言葉でまたぐこと
野:またラニー博子さんが…。わかってるんやこの子…
な:賢い子ども出がち
木:みんな賢くて正しい!
野:書いてたね「永眠しました」って
な:「帽子の子」ってとこでなんとなく子どものイメージが浮かんでいいですね。
野:「永眠」を問うたのは大人ですかね? 「永眠って知ってるか?」って、わからんかったら教えたろ」って感じで言ったらわかってた(笑)
木:小さい子どもやと、おばあちゃんとかもまだ生きてたりして「死」に会うことがないから、動物園ではじめて「死」という言葉を知るんかもしれませんね
な:良いですね。めっちゃこの歌好き
野:「ちゃんとわかっている」が良い!
な:単なる言葉の理解だけじゃなくて、もっと感情的なところまでわかっている感じがします
野:ちゃんとわかるのは難しい
水色も肌の色だと「はだいろ」が何色もある君のパレット
野:水色も肌の色だ が「君」の主張で、肌色がいっぱいあるよ、ってこと…?
な:たぶんマンドリルのやつですよね? 「あんなに肌が水色のことある?」みたいな
野:あ〜マンドリルか!
な:だいぶ前に、「はだいろ」が今では「うすだいだいいろ」になって、っていうテーマで書こうとしたら、ただの一般的な主張になって書けんかったことがあったんですけど、これは絶妙に良いところをついてると思いました。
人間の肌は水色では絶対ないけど、マンドリルっていう人間に近いサル系の動物が「水色」をしてて、だから「はだいろ」に水色も含まれるっていうのが面白いですね
野:読んだときにちょっと引っかかったのが「肌の色だと」のところ
木:スッと読むと一発で意味がわかりにくいかも…
野:もし俳句的に書くなら、「水色も肌の色なり」で1回切って、とか。俳句の人は「切れ」がめっちゃ好き(笑) そういう癖がある
か:意味の切れ目でスパッと切れるほうがいいってことですね
な:口語で「水色は肌の色だよ」っていうセリフにするのはやるかも。切れ字を使う発想がなくて…。現代語でずっとやってるから急に「なり」とかは使いづらい。「かな」やと疑問系っぽくなるので自分ならセリフにするかな…。
確かに「水色も肌の色だと」なら、「水色も肌の色やったとしたら」…って感じにもなりますね
野:「たとえばAがBだとしたら〜」みたいな意味になりそうなので、ここをもうちょっとすっきりすると伝わりやすいかも
木:景(けい)としてはどういう…あっ、俳人はすぐ「景」を気にする
な:俳人あるあるなんですね(笑)
木:子どもに教えてるのか、子どもに言ってるのかどっちかなって。子どもが「水色が肌の色だ」って理解してるのか、親が「水色の肌の色もあるよ」って教えてるのか
野:「君のパレット」やから、君がパレットにいろんな色を載せてて、「水色も肌の色として使うんだよ」って言ってる…っていう景。水色も具体的やし、パレットって言葉も具体性がある
な:パレットは具体的にあるものというよりは「頭のなかの辞書」とか、気持ち的なものだと思いました。固定観念にしばられている人とか、知識だけで水色は肌の色やって言う人じゃなくて、体感としてわかって、多様性を認めている感じやと思いました
木:メッセージはすごいある
薄氷や虎に無骨な頸の骨
な:頸…あご(顎)? いや、「くび」か…
木:ほんまに骨!って感じの「くび」
野:これって普通の首と意味違うんかな…、頸椎(けいつい)の「頸」
な:薄氷(うすらい)は何ですか?
木:春になって氷が溶けるやつ…?
野:いや、冬じゃない…? こんなときこそ歳時記!
な:ちなみに何月から春ですか?
野:2月の立春から春です。でも吟行やと、「嘱目(しょくもく)」っていう、そこで見たものは季節が違っても季語として使えるっていうのがあります。即興的に目に入ったものやからいいよっていう
木:「春先になって」…あれ?
野:冬の季語やと思ったんやけど…。歳時記によって季節が違ったりもするんです
な:え!そうなんですね
木:あっ、2つある。春先になって氷が張って寒さが戻ることと、冬の氷が溶け残ったのどっちにでも使えるみたい
な・野:へぇ〜!
か:「無骨な頸の骨」が良いですね。氷のパキッとした感じと無骨な頸の感じが合ってる気がします。春になったのに今日は急に寒かったので、その寒い感じが出てると思います
野:虎は意外と顔が大きいなあと思って首に注目してなかった。首も太くて短いっていうので無骨っていうのがわかります
な:私自身は気にならないんですけど、骨を表現する時に「無骨」っていう骨という言葉の入った形容詞を使うのってどうですか?
野:私もちょっと思う…。あと、「無骨な」が骨の説明になってしまっているので、もう少し有り様というか、骨がどうなっているかを知りたいかも。虎の骨というだけで「無骨」という感じは出てるかなあ
木:たしかにホネホネやね
か:繰り返すことによる面白さもありますよね
野:それを狙ってるのかも
木:音は気にならんけど漢字で見たら骨ばっかりやね
か:これも「や」で切れて、薄氷の上を虎が歩いてるっていうわけじゃなくて、場面が変わって…っていうことですか?
な:薄氷は薄氷で存在して、季語のイメージがあったうえで、虎がおって、その虎は頸の骨が無骨ですよ、ってことでいいんですかね
野:そんな感じやと思います。同じ画面のなかには居て、「どんな画面かな?」って見た時に、薄氷の持っている雰囲気のなかに虎がいる…っていう風に読む人が多いかな。完全に別々のものではない、ってことが多いです。わざと別々のものを組み合わせて、新しいイメージを作る人もいますけど
な:なるほど!
野:たとえばここで「ストーブや」とかがあると、自宅と虎がいる場所が完全に別になって相互作用が起きない
な:俳句は相互作用が大事なんですね
か:虎があんまり寒がってなさそうというか、無骨なかっこいい感じが出てて良いと思いました
旧世界ザルに届かぬ春の雨
か:「旧世界」が出てきました!
木:出てきましたね〜!
か:旧世界ザルは空は見えてるけど、檻の中にいるから「春の雨」が届かないんですね。本当は自然界にいるから届くはずやのに。
掲示板に書いてた説明は、「旧世界」がアジアとかユーラシア大陸で、南米が「新世界」らしいんですけど、「旧世界」っていう字面だけで見るとまた違う想像が広がって、春の雨が届かない世界のサルというのが面白いと思いました
な:「旧世界」なら屋根がないはずやから、雨が届かないわけがないけど、動物園にいるから雨が届かないってことですね
野:「届かぬ」が何か詩的なものがある気がしますね。「届く」より「届かない」ほうが良いかなって
か:これを詠んでいる作者は、自分は雨に打たれているのにサルには届かないから、すごく遠くに旧世界ザルがいる感じがしますね
木:自分とサルの距離感もすごく出てると思いました。もともと人間もサルやのに、もう戻れないというか、遠くに行ってしまった感がある
野:「旧世界」ってところに時間的な広がりが出てくる気がして、うまく言葉を使っていると思います
な:さっきの「春の雨」なんでしたっけ?
木:「新世界ゲートを抜けて春の雨」です
な:これは「旧世界ザルに届かぬ春の雨」…逆や(笑)
野:対になってる!
な:「新世界ゲート〜」のほうは、春の雨のあたたかさが新世界ゲートと合ってるって話でしたけど、今回「旧世界」と春の雨なんですね…でも届いてないから旧世界との断絶になっていいんかな
か:これが冬の雨やったら、さっき言ってたようにイメージが変わるけど、「春」は新しいものが来るみたいなイメージで、「旧」という字と離れてるから良いんじゃないでしょうか
野:「旧世界〜」のほうは、作者は出てきてないけど、目線的には、旧世界ザルには春の雨は届いてなくて、自分は春の雨を浴びているようなイメージがある。自分にとってはなんとなく甘いイメージがある春の雨やけど、旧世界とは断絶がある感じになってるのかなと思います。
どちらも「世界」の区切りがあるところで共通していて、それを「春の雨」という舞台装置を使ってうまく演出できているのかなと思います。
あくびするだけでかわいいマンドリル尻尾を落とした僕たちよりも
な:あくびしてましたねマンドリル。動物があくびしてるとかわいいけど人間があくびしてると下品な感じになりますよね…
木:不思議ですね
か:小さい子までですよね。大人があくびしてても…
な:でも綾瀬はるかならいける!
木:いけそう! 多部未華子も!
な:好きな有名人を言うコーナー(笑)
か:「尻尾を落として」現代社会に生きている僕たちよりも、あくびするだけでかわいいって思ってもらえるなんていいなあっていう気持ちが出てますね。
野:上の句まではかわいくてポジティブな感じなのに、下の句で急に人間としての自虐みたいなのが…やっぱり私たちは「尻尾」を失ったことで、マンドリルにはある大切な何かを失ってしまった感が…(笑)
「落とした」も、単に失くしたというよりは、選択の上で落とすことを選んだ感じが出てると思いました
木:尻尾いらんもんね
な:進化の過程で不要と判断したはずやのに「落とした」と書くと欠落した感じになりますよね。知らん間に落として、気づいた頃には戻れない。あとマンドリル2回目ですね
か:こっちは「マンドリル」って言葉が入ってるからわかりやすい
な:ただ、マンドリルである必要性がどこまであるかですよね。あくびするだけでかわいいのは他の動物でもあるし。類人猿じゃないと意味はないですけど、テナガザルとかでも良いんかっていう
木:チンパンジーとかはダメな感じする。この歌の場合は
野:チンパンジーは人間と近すぎるんかな
な:マンドリルはさっきの歌でもあったけど、色とか形状が信じられないですもんね。あと、上の句は母音が「あ」ばっかりでのんびりさせて、下の句で急変する
野:後半は「お」が多いですね
※あくびするだけでかわいいマンドリル尻尾を落とした僕(ぼく)たちよりも
赤字が「あ」音で、青字が「お」音
キャプションの追記は手書き春コート
な:鹿のやつ!
野:鹿のやつですね。追記もですし、全体的に手書きが多かった。「春コート」だから春ですね
な:季語を調べてたら、「コート」自体が冬の季語なんですね。でも春に着るコートもあって、それが「春コート」?
野:そうですね。でも「秋コート」はたぶんない(笑)
な:「秋ジャケット」とか「秋ブルゾン」もないんですね…
野:「春ショール」はあります!
か:着目点が良いですよね。この場面は見てたけど俳句にできなかった
な:俳句のときめちゃくちゃ悩むのが、「キャプションの追記は手書き」まで作ったとして、最後の季語の選び方がわからないんです
野:けっこうダジャレというか、音は意識します。「か行」が出てきたら「か行」とか…
※キャプションの追記は手書き春コート
(赤字が「か行」)
野:いろんなのを取っ替え引っ替えしながら響きが良いものや辻褄の合うものを選びます。でもあんまり意味が近すぎると「つきすぎ」ってなるので
な:短歌でも「つきすぎ」は言われますね
野:「そこまで説明せんでもいいやん、他のものを持ってきたほうが世界が広がるやん!」っていう
(「つきすぎ」がなんでダメなのか言葉で説明しづらかったけど、腑に落ちた気がする)
野:この「春コート」がハマってるかどうかはわからない…
か:「春コート」があるから、外に出てるのはわかりますよね。「キャプション」だけやと何のキャプションかわからんけど、コートがあるからきっと外で張り紙とかを見てるんやろうってわかる
な:今日は私たちが同じ景色を見たからすぐわかるけど、「キャプション」だけならTVの字幕のことかもしれませんもんね
ゴリラより後に発見されたからハゲゴリラって呼ばれています
木:嘘?! 誰が?
な:今日ゴリラいなかったですよね…?
野:(インターネットで調べたら)「ハゲゴリラ」って呼ばれてる世界に一頭のゴリラがコンゴ共和国にいます
な:猿コーナーに掲示とかあったんですかね?
それか、最初に名前をつけられた動物がおって、それに対して手が長いから「テナガザル」ってつけられるとかあるじゃないですか。ハゲゴリラが先に発見されたらそれが「ゴリラ」やったはずやのに、人間が発見した順番で悪口まがいの名前がつけられる…
木:ハゲゴリラに似たやつが見つかったら「ニセハゲゴリラ」で、ニセハゲゴリラに似たやつ見つかったら「ニセハゲゴリラモドキ」ってなりそう!
な:「モドキ」を見るたびに「それはお前(人間)の主観やろ」って思いますもんね
野:「呼ばれています」やからハゲゴリラ目線(笑)
な:でも「呼ばれています」にすることで、皮肉が強くなりすぎないのも良いですね
木:動物園って掲示で動物にフキダシつけて喋らせたりするから、そういうの有りそう
野:口調が軽いから救いがありますね
狼の展示室には日曜の顔の私が映ってゐるよ
か:ガラスの中に狼がいて、狼を見るたびに自分の顔が映ってて、仕事のときじゃない自分の顔や!って思うときの感じ
な:狼はもう日本では見れないから、非日常的な空間やのに、ふと日常に飛んでいくのが良い
か:自分の顔と並べるのが「狼」なのも良い
な:「日曜の顔」は柔らかそうやし、かっこいい狼の対比になってますね
野:「狼の展示室」って聞いたときに、動物園の檻じゃなくて、道の駅とかにある剥製のを思い浮かべてしまうかも…
木:私もそう思いました。生きてる狼がいる景がわかるかどうか
な:たしかに「展示」って言われると死んでる感が…。動物園って動物のことを「展示」って呼ぶけど、「動物園」って情報も入ってないですもんね。「ガラス」の情報もないけど…
か:後半の「日曜の顔の私が映ってゐるよ」はすごく良いので、前半でもうちょっと実際の景色をイメージさせるのが良いかも
な:前半12文字で頑張っていただくしか…!
野:「展示場」はまた違うしなあ
な:「狼のガラスの檻に」とかなら一応わかるか…それがいいかも微妙やな…。場所より生きてる狼の描写があった方が良いんですかね
か:狼に焦点を当ててる歌じゃなくて、映った自分の顔がメインやから、狼を詳しく書く必要はないかもしれませんね
春温し爬虫類館にて眠る
な:爬虫類館あたたかかったですね! ここだけ四季が変わってた
野:あそこだけ熱帯でしたね
木:行きたかった!
な:「春温し」は普通に春があたたかいっていう季語ですか?
野:「温(あたたか)し」自体が季語なんですよ。「温(ぬく)し」は…。たぶん「水温(みずぬる)む」っていう季語があるので、それかなあ。
な:ワニがいたから、水の感じもあるのかもしれませんね
野:爬虫類館全体の印象があたたかかったからこの季語なのかもしれませんね。自分も寝てたのかも
か:「春」「温い」「眠る」が同じ感じになりますかね
な:つきすぎになるんかな…
木:「爬虫類館」って、たぶん春じゃなくても年中あたたかいですよね
な:たしかに、真冬でも爬虫類館やからあたたかいですよね。四季の概念がない場所の季語…難しいですね
動物を展示してない檻のなか勝手に生きるだけのアメーバ
野:これ韻踏んでないですか? なんか読んでるとラップ感が…
な:「勝手」「だけ」「アメ」が踏んでるか…
(自分で作ったけど気づいてなかった)
野:完全に何もいない檻ですかね。「なか」で切れて…。檻の中にアメーバがいるという読みですか?
か:そう思いました
野:勝手に生きてる感が、動物と共存するんじゃなくて生きるっていうのが、寂しさもありつつ愉快さもあって良いですね。あんまり感情がこもってないのが良いかな。アメーバに自分に引き寄せすぎるとしんどいかも
木:動物園にいって動物がいない場所を詠むのが新しいというか…ひねくれてますね
か:これを読むと動物園にいるのはわかりますね
遠吠えの狼の眼の閉ぢかけなり
野:字余りや…
木:ちょっと気になってしまう
な:5・7・6か…。こういう「なり」は「や」とかじゃダメなんですか? 切れ字ではない?
野:「や」なら、一回そこで切れて、また展開しないといけないかも。「や」で終わりはあんまりないかも
な:字余り解消の案でしかないですけど、「遠吠えの狼の眼は閉じかけて」みたいな終わり方ってあんまりしないですか? 字余りしてまでの「なり」って何か意味あるんでしたっけ…?
木:「なり」は切れ字じゃないかも。ただの言い切りかな。「けり」の方が、その手前を強調してる
か:5・7・6は字余りですけど、これはちょっと余韻があって良いかも。狼の眼が閉じかけていて、そのあとどうするんだろう、って想像させる
何もない道を進んでしまひけりアシカの檻に鳥がまじつて
か:鳥が混じってましたね
な:ほぼほぼ鳥の展示でしたもんね。何もない道も進んでしまいましたし…
木:ホッキョクグマまで遠かった。アシカがいたのって檻かなあって
野:鳥は入り放題でしたね
か:私たちは行き止まりがなくて何もない道に迷い込んでしまったけど、鳥たちもあそこに迷い込んだのかもしれないですね
な:今日はいっしょに周ったから情景はわかるけど、そうじゃなくて読むと、何もない道がもっと人生的なことで捉えられそうですね。何もない人生を送ってきてしまったなあ、みたいな。アシカの檻に鳥が混ざるように、自分も別の場所に迷い込んでしまったみたいな。むしろその解釈のほう面白そう
か:吟行を離れても、歌の意味は伝わりそうですね
野:こういう「けり」は短歌では有りですか?
な:私が現代語で書いてるから「けり」は使わないですけど、上の句で意味が切れるのは普通にありますね
狼のくしゃみとなりの人くしゃみ
な:かわいい! 狼の強いイメージからのくしゃみのギャップがいいですね。今の時期(春)、人間がくしゃみしてるのは普通ですけど、狼がくしゃみしてることで、人間までやわらかい感じに見える
野:隣の人のほうが狼より大きいくしゃみしてそう。かわいいくしゃみの人いますよね
木:あくびと同じで、何が違うんやろう
か:リズムが良いですね
木:くしゃみも冬の季語…
な:季重なりってやつですよね…やっぱりダメなんですか?
野:絶対にやっちゃダメってわけじゃなくて、例もあるんですけど。基本的には、季語ってすごく強いワードなので、ふたつあると感動が分散する。一句のなかで意味を持ちすぎる言葉があるとしんどいので。ふたつあると、主の季語、従の季語とかならすんなり読めるかも
木:そこまで違和感がなければ
な:俳句を作ってみたら、季語と思ってないやつが季語の可能性あるじゃないですか
木:それは調べますね。まあいいやって思うときもあります
な:くしゃみと狼かさなっちゃった…じゃあゴリラにしよ!とか?
野:ありますね。「納豆」とかも季語なんですよ。「冷蔵庫」とか
な:罠すぎる!
野:だからそこまで気にしすぎなくてもいい
木:明らかに「スイカ」「夏休み」とかはちょっと
野:一句で17音しかないのに、ふたつも入れるのはもったいないよ、っていうくらいですね
か:どこに焦点を当てさせるかですかね
うららかやひとりふたりと猿数へ
か:みんな猿数えてましたね
野:人間を数えるみたいに「ひとりふたり」って
な:私、人間を数えてるんかと思いました。でもたしかに猿を数えてそう
木:私もそう思います
か:大きい猿はたしかにひとりふたりって数えたくなる感じがありました。数え方とうららかが合ってる
な:うららかってリズムも良いし、ひとりふたりのリズムもいいですし
か:ラ行が多いですね (※うららかやひとりふたりと猿数へ)
な:猿は季語じゃない?
野:猿は季語じゃない! でも猿回しは季語!
木:罠ばっかり
雛遊キリン越しに見るハルカスも
か:カップルのキリンいましたね
木:コウヤくんとハルカスちゃん
な:ハルカスちゃんは正直ハルカでよかったんちゃうかって思いましたけどね
野:「雛遊」が歳時記に載ってない
木:こっちには載ってる! 古くは桃の節句のことらしい(この日は3月3日)
野:おめでたい感じってことですね。女の子のすくすく成長するイメージとハルカスの空に伸びてる感じ、キリンの背の高い感じと合ってるかなって
か:ハルカスが見てるんじゃなくて、私がハルカスを見てるんですかね
な:私→キリン→ハルカス ですかね
木:中八(なかはち)!
(※短歌は初句、二句、三句、四句、結句と分かれるが、俳句は上五、中七、下五にわかれていて、この句は中七が8音になっているので「中八(なかはち)」)
な:中八ってやっぱりあんまり良くないんですか?
木:あえてやるときもあります。句によって気にならないときもある
野:流行の最先端ではない…
「越し」でもう見てるから削って、「キリン越しのあべのハルカス雛遊」にするとか
な:中八にするくらいなら上六(かみろく)ってことですかね
木:上七もやります! 短歌の場合、最後の七七が八でも気にならない感じはありますけどね
な:短歌は初句六音やとけっこう勇気いる気しますね
木:ハルカスやとキリンのハルカスちゃんがいたから、「あべのハルカス」ってちゃんと言った方が良いかもしれませんね
熊穴を出そうで鉛色の雲
野:「熊穴を出(い)ず」っていう春の季語があるんです。春がきて熊さんの眼が覚めて穴を出た!っていう
な:「出そうで」やからギリギリ出てない
か:黒い熊が、一頭は外に出てた、もう一頭は中にいましたね
木:歳時記に「熊穴を出(い)ず」載ってないです。関係ないけど、カーニバル(謝肉祭)が春の季語です! だから今「どうぶつの森」でカーニバルやってるんや!
な:そんな繋がり方します?(笑)
か:どうぶつの森で謝肉祭ってやばいですね
な:肉側ですもんね…
か:出そうで出ない熊と、空の鉛色の感じが良いと思います。まだ出れない気持ちがある
木:出えへんのかい
な:こんだけ鉛色やし、まだ出んとこ、っていう
作者発表!
最後にそれぞれの歌・句の作者を発表します!
道ゆけばラニー博子の写真あり吹きあげられたあたたかな土/木田智美
はさまって生きるコアラに春疾風/なべとびすこ
春・シセン・レッサーパンダ・ヒトリジメ/かつらいす
新世界ゲートを抜けて春の雨/かつらいす
永眠を問えば「死んじゃったの」と言いちゃんとわかっている帽子の子/木田智美
水色も肌の色だと「はだいろ」が何色もある君のパレット/かつらいす
薄氷や虎に無骨な頸の骨/木田智美
旧世界ザルに届かぬ春の雨/なべとびすこ
あくびするだけでかわいいマンドリル尻尾を落とした僕たちよりも/なべとびすこ
キャプションの追記は手書き春コート/野住朋可
ゴリラより後に発見されたからハゲゴリラって呼ばれています/かつらいす
狼の展示室には日曜の顔の私が映ってゐるよ/野住朋可
春温し爬虫類館にて眠る/かつらいす
動物を展示してない檻のなか勝手に生きるだけのアメーバ/なべとびすこ
遠吠えの狼の眼の閉ぢかけなり/野住朋可
何もない道を進んでしまひけりアシカの檻に鳥がまじつて/野住朋可
狼のくしゃみとなりの人くしゃみ/木田智美
うららかやひとりふたりと猿数へ/野住朋可
雛遊キリン越しに見るハルカスも/なべとびすこ
熊穴を出そうで鉛色の雲/木田智美
まとめ
ということで、歌人&俳人コラボ吟行〜天王寺動物園は完結です!!
作品を見てから改めて吟行パートを見るといろいろ発見があるかもしれません。よかったらこちらも読み返してみてください!
この〈中編〉には私が歌会・句会に出さなかった短歌・俳句も載っています。
木田さんもnoteに今回の吟行で作った短歌を載せてくださっているのでこちらもお読みください!
この記事を書いた人
なべとびすこ(鍋ラボ)
TANKANESS編集長兼ライター。短歌カードゲーム「ミソヒトサジ<定食>」「57577 ゴーシチゴーシチシチ(幻冬舎)」、私家版歌集『クランクアップ』発売中。
Twitter @nabelab00
note https://note.mu/nabetobisco
通販 鍋ラボ公式通販
自選短歌
ふるさとと呼ぶには騒がしすぎる町 でもふるさとを他に知らない
ゲスト
かつらいす
なべとびすこさん主催の「短歌ど素人の会」をきっかけに、2014年から短歌をつくり始めました。知れば知るほど広がってゆく大きな海のような短歌の世界を、これからもゆるゆると旅していきたいです。
Twitter @v_vTitiu
自選短歌
目を閉じて私の髪は赤毛って想像したら少し楽しい
野住朋可(のずみともか)
平成4年愛媛県生まれの会社員。
俳句雑誌「奎」副編集長。関西現代俳句協会青年部所属。
自選俳句
湯豆腐の豆腐以外のおおざつぱ
うまさうに煙草をつぶす夜学生
木田智美(きだともみ)
1993年3月24日生まれ。大阪府在住。吹田東高校在学中に俳句甲子園出場。大学在学中に関西俳句会「ふらここ」入会。俳句雑誌「奎」同人。挿絵担当。句集に卒業制作「シュークリーム」(2015年、私家版)
ノート https://note.mu/kidatomomi
自選俳句
さっきまでピアノの部屋の蝶だった