【連載】宇都宮敦「現代短歌」作品連載を読む!<4>ショート・ステイ

コラム

こんにちは、橋爪志保です。

宇都宮敦さんの作品鑑賞評の記事では3カ月ぶりになります。

今回すこし書くのが遅れてしまいました。『現代短歌』11月号をもう手に入れているという方も多いかもしれませんね。今号は、「第一回BR賞」(※書評に特化した賞)の結果発表の号でもありました。

それでは今回も「ショート・ステイ」24首、楽しんで見ていきましょう。

橋爪志保

歌人。2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。その他の参加同人誌に、「鴨川短歌」「のど笛」「短歌の世」など。著作に、合同歌集『ベランダでオセロ』。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。
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自選短歌

I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる

どんな絵だろう

 

ベタ塗りにされていたから夜としか思わなかった 昼だった 青空だった/宇都宮敦

 

ベタ塗りということは絵なんだろうけれど、青空を描いた絵と、夜空を描いた絵を間違えるって、そんなことある?と思ってしまいそうになります。

でも、たとえば水色とか黒ではなく、空が(クレヨンの「あお」みたいな具合の)真っ青にベタ塗りされていたら、たしかにどちらの空なのかは判断に苦しむのかもしれません。「昼だった」とわかったのは、絵の作者に訊いたからなのかな。いずれにせよ、主体にとって、「夜としか思わなかった」状態からは、絵の印象ががらりと変わる瞬間だったのでしょう。

結句の「昼だった 青空だった」は大幅な破調ですが、「昼」と「青空」、二度推すことによって、奥行きが出ているような気がします。

 

雪山ごっこ

 

寝たら死ぬっていってるそばから嬉々として寝ようとするんじゃないよ わーー寝るなー/宇都宮敦

 

やりとりがかわいすぎて、思わず笑ってしまった歌です。

寝たら死ぬっていってる」のは、べつに本当に雪山とかにいるわけではなくて、たとえば主体が長話をしているときに相手に寝させないように言っているだけ、とか、映画などをふたりで家で見ているときにふざけて言っているだけ、とかその程度のシチュエーションかなあと思いました。それとも、眠りにつく間際で、「雪山ごっこ」でもしているのかな。だって、相手は「嬉々として寝ようとする」のだから。

「寝たら死ぬ」みたいなおふざけルールが日常のなかで自然発生する愛しさ、みたいなものがまずあるとして、そのルールを守ろうとしてみんな動くんじゃなくて「死ににいこうとする」、ルールを無視しようとする相手のお茶目さ、口語でそんな会話を表す軽さ、などなど、いろいろな要素がからみあって、この歌が良い歌になっているような気がします。

最後の「わーー寝るなー」、「―」を2個続けて書く書き方は、日常の、それこそ親しい人に向けたLINEやメールなんかではよく使われますが、短歌の中ではあまり見ません。口語的筆記、とでも呼べばよいのか、よくはわかりませんが、可能性を感じます。

 

また、この歌も構造が似ているという点から思い出しました。

海にくれば海での作法に従って つまりははしゃぐ はしゃぐんだよ こらっ/宇都宮敦『ピクニック』

これも、主体が決めたルール「海でははしゃぐ」に、相手はノッてこない。「雪山ごっこ」がわざわざ無視されたように、相手のキュートさが存分に描かれています。どちらの歌も、相手は笑っているんだろうな。

 

転がる言葉

茶番好きだよ 麦茶はもっと好き ビールも麦だなんて麦すごいね/宇都宮敦

 

初句からまず驚かされます。

茶番」って、あまり好きか嫌いか言いなすこと自体珍しいような気がするからです。でも、会話の中に出てきて演じられるさりげない「茶番」みたいなものに愛しさを感じる理由はわかります。

でも、そこから言葉は転がっていき、「茶」繋がりの「麦茶」の話に変わります。「茶番」と「麦茶」を比べている雑さにちょっとくすっときてしまいますが、最後は「ビールも麦」、つまり「ビール」の原材料が麦であること、ついでに「麦」への賛美へと、言葉はさらに転がります。あれ、「茶番」が好きっていう話をしてたんじゃなかったっけ……。

]最後まで読んでいくと、「茶」どころか「好き嫌い」の話さえすり替わってしまっています。まるで、「マジカルバナナ」のような歌です。

でも、そもそも会話というもの自体、たいていこんな風に進行していくものではないかとも思うのです。でも、それをひとりで言ってのける態度は、それこそ「茶番」、滑稽で面白く、くだらなく愛しい演技のように感じられます。

 

あのときの猫たち

そういえば 夏 いつのまにネコたちは網戸にのぼらなくなっていた/宇都宮敦

 

この歌を見たとき、宇都宮さんの作品のファンなら、この歌を思い返すことと思います。

 

夏 耳に光をすかしネコたちは網戸をのぼる やめれ やぶれる/宇都宮敦 『ピクニック』

 

上記の有名な歌をふまえて、あのネコじゃん!!!と、なるのです。しみじみと、「そうか、もうのぼらないのか……」と感慨にふけってしまいます。ネコにも「網戸のぼりブーム」というのがあって、それが過ぎ去っただけなのか、それともネコが老化(成長)したからのぼれなくなったのかはわかりませんが……。

それにしても、「夏」という字は字空けをはさむと見栄えがぐんとよくなってイメージがしやすくなりますね。

 

へこめばふくらむ

ありえないほどねじれてる寝姿のネコのへこめばふくらむおなか/宇都宮敦

 

ありえないほどねじれてる」のはネコの胴体のことなのかな。たしかに、人間だったら痛いような角度でゆうゆうとふんぞり返っているネコ、時々見ます。

注目したのは「へこめばふくらむ」という表現です。これを従来の書き言葉で丁寧に書くと、「へこんだりふくらんだりするおなか」なのでしょうが、これだとまどろっこしくて、つまらない。なんというか、書き言葉の力に支配されている状態、というような感じがします。

「へこめばふくらむおなか」は、なんとなく文法上にきびしさがあるような気がしますが、へこむ→ふくらむ→へこむという呼吸にあわせて上下するおなかの臨場感が出ています。

この連作は3分の1くらいがネコの歌で構成されています。宇都宮さんの歌は、『ピクニック』のときからネコの歌がとても多かったのですが、ひとつの歌のかたまりでここまで多いのは初めてでしょう。

ペット(と思ってよいと思います)の歌は、飼い主の愛情が変な角度で入ってしまうと読者を冷めさせてしまうこともあるのですが、ここでは、ネコの動物的な態度がありありとそのまま描写された歌が多く、読むほうも楽しくなってきます。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

連作の歌を全部読みたい!という方は、ぜひ「現代短歌」11月号を読んでみてください。

一部の書店または現代短歌社のサイトから購入できます。

それではまたお会いしましょう!

 

この記事を書いた人

橋爪志保

歌人。2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。その他の参加同人誌に、「鴨川短歌」「のど笛」「短歌の世」など。著作に、合同歌集『ベランダでオセロ』。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。
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自選短歌

I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる

 

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<0>はじめに

<1>ゴースト

<2>第二宇宙速度

<3>ディスコティカ

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