「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?
相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。
この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。
第10回は多賀盛剛さんです。
はじめまして、ぼくはこんな短歌をつくってます。
さっきまであるいてた、みたいにたちどまって、その、なんまんねんもまえの、なんまんねんもあと、
でもあんまり短歌にみえへんかもしれません。
これから大好きな短歌の本のはなしをします、でもそのまえにいままでのはなしをします、でもこれからはなすことはもう、ぼくもなにでよんだんか、そもそもよんでもないんかもしれへんのですけど、むかし、和歌は歌でした。ながかったり、みじかかったりしたけど、それは2拍子でうたわれたから、音の数が奇数のときは、そのあとに休符をぴったりはさむことができました、せやから、奇数の数の音のかたまりが、ひとつのかたまりになりました。
現代でも短歌は句読点をほとんどつかいませんが、でも日本の書き言葉はそもそもずっとしばらく句読点をつかいませんでした、句読点がつかわれるようになったんは江戸時代くらいからでした、さらに本格的につかわれるようになったんは明治以降でした、黙読の普及と関係があるのでは、とも言われてます、それまではなにを読むにもみんな声にだして読んでました、でもそれは声をのこすことができる技術もそんなにない時代のことのはなしで、それなのにそんなことがわかるのは、たとえば明治は、汽車のなかでみんな新聞を音読していましたが、にんげんは耳できいてそれをあたまに記録できるので、こういうことが記録されました。
明治はそれまでといろんなことがかわりました、でもこう言ってみると、それまでといろんなことがかわらなかった時代なんてないような気もします、でも明治には明治にかわったことがありました、標準語、ていうものができました、なんだかいろいろあって、日本は、国、ていうひとつのまとまりになろうとして、国の言葉をつくろうとしました。
国のなかにいるいろんなひとたちも、それぞれいろんなことをかんがえました、言葉のこともかんがえました、いま、を表現するために、声をそのまま文字にしようとかんがえたひとがいました、それまでのように、書かれたものを声にするんやなく、じぶんたちの声自体を文字に書こうとしました、たとえば、句読点をつかうと、普段のじぶんたちの話してるときの言葉の調子が、そのまま書きあらわせるような気がしました。
短歌、ていうものがうまれたのも明治でした、それはそれまでの和歌とはちがうものでした、それまでの和歌とはちがうものをつくろうとして、それを短歌て言うことにしました。
明治43年に土岐善麿さん、当時は土岐哀果という名前でした、その土岐哀果さんの『NAKIWARAI』という歌集がでました。
❛ Oyasuminasai ❜ no aisatsu,
❛ Ohayô ❜ no aisatsu no,―
Kono futari no Ichinichi./土岐哀果『NAKIWARAI』
この歌集は句読点とかをつかってます。じぶんたちの普段の声を短歌にしました。それはぼくにつながってて、ぼくはこの本が大好きです。
土岐哀果さん、土岐善麿さんは、そのあと、じぶんの声(それはあたまのなかの声もふくまれます)をもっともっとそのまま短歌にしました、それはそれまでの短歌の調子とはちがってきたので、口語自由律短歌て言われました。
僕が今求めてゐるもの、それはただひとつ、僕のリズムをリズムとするものを/土岐善麿『新歌集作品1』
いまではあんまりみいひん口語自由律短歌は、昭和のはじめから昭和16年ごろまではけっこうさかんでした、北原白秋さんのようなひともいっときはつくってました、短歌雑誌の投稿欄も、複数の選者のうちのひとりは口語自由律短歌をつくってるひとやったりしました、また、いろんなかんがえのいろんな口語自由律短歌がありました。
『NAKIWARAI』につよい影響をうけたのが石川啄木さんで、『NAKIWARAI』を読んで『一握の砂』を3行書きに編集しました、『悲しき玩具』では句読点とかもたくさんつかいました。
石川啄木さんにつよい影響をうけたのが当時の社会主義の歌人でした、石川啄木さんのように、じぶんたちの生活、暮らしをしっかり短歌にしようとしました、それは、じぶんたちの声をそのまま表現するために、口語自由律短歌へ変化していきました。
渡辺順三さんていう当時の社会主義の歌人のかたがいて、ぼくは渡辺順三さんの『烈風の中を』ていう自伝をよみました。そのはなしをします。
いろんな時期があり、いろんな短歌をつくられましたが、これは昭和14年の歌集のなかの短歌です。
ゆったりした
せかせかした
おもい、かるい
さまざまの
街の足音をきいてゐて
湧く思いがある。/渡辺順三『烈風の街』
当時、特別高等警察ていうひとたちがいて、国の状態を維持する、ていう目的で、国を変化させようとかんがえてるひとたちをつかまえたり、ころしたりしました、渡辺順三さんもつかまりました。
自由律短歌をつくるていうことは、現代にはあんまり残りませんでした、個人的な研鑽の結果、自由律短歌から定型にもどったひともいました、でも、自由律短歌をつくってた社会主義のひとたちが弾圧されたり、社会主義のひとたちでなくても、自由律短歌をつくるだけで弾圧されかねない状況がありました、自由律短歌をつくると、日本の伝統をおもんじてなくて日本を大切にしてないて言われたりしました、社会主義やとおもわれてつかまるかもしれへんてみんながおもいました、せやからたくさんのひとが自由律短歌をやめました。
それからたくさん時間がたちました、せやからぼくはじぶんの声をそのままに自由律短歌をつくってもつかまらへんくて、自由律短歌をつくりつづけられました。せやからほんまによかったとおもいました。
この文章を書いた人
多賀盛剛
1982年うまれ。京都府うまれ兵庫県在住。歌集『幸せな日々』。肩幅があるとよく言われる。
自選短歌
わたしのもっともふるいかんじょうが、もういちどわたしにおこるまで、たいへんながくいきました。
今回紹介した短歌の本
- 『NAKIWARAI』土岐哀果
- 『新歌集作品1』土岐善麿
- 『烈風の街』渡辺順三
「本ッ当に好きな短歌の本 教えてください」バックナンバー