短歌とミニエッセイ「その木の名前」

エッセイ

5月には行かないだろうあの街にこぼれるようにさみどりの花

名前は記憶をつなぎとめる糸のようなものだと思う。もしかしたら、人間以外の生き物たちは名前がなくても生きていけるのかもしれない。カラスは「カラス」じゃなくてもいいし、タンポポはおそらく自分が「タンポポ」と呼ばれていることを知らない。あるいは、彼らには彼らにしかわからない自分たちだけの名前があるのかもしれない。それは、もちろん人間にはわからないことだけれど。わたしは、生き物に名前がついていることが(誰かが生き物に名前をつけたということが)うれしい。名前があるおかげで、何度も再会することができるから。

毎年、同じ季節に通る道がある。その街の美術館で、8月から9月にかけておこなわれる展覧会を見るためだ。その道には、いろいろな街路樹が植えられており、木の根元には、小さな草花が咲いていたり、夏の暑さで萎れていたりする。道は、途中で川をまたぐようにして、先へ続いている。あるとき、その川と交わる辺りに、大きな黄緑の実を5、6個、房のようにつけた木が立っているのを見つけた。ビワの実ほどの大きさだけれど、黄緑でつやはなく、果物ではないようである。家に帰って調べると、「オニグルミ」の実だった。種子は熟すと食べられるらしい。なるほど、「鬼」か。街の中で目をひく存在感があるものなあ、と思って、そのままその木のことは忘れていた。

「花の」って続けるはずが「花野」って変換されて踊りだす君

その木に再会したのは、つい先日のことである。5月に入ったばかりのある晴れた日、連休が終わる前に初夏の花を堪能したいと思い、植物園へ向かった。淡いピンクのモチツツジ、真っ白のハナミズキに黄色の濃いヤマブキ、クリーム色のモッコウバラ、それから何が咲いているだろうか。心持ち浮かれながら植物園に入ると、新緑の木々がまぶしく、ウグイスやヤマガラがあちらこちらでさえずっていた。どの木もはつらつとした明るい黄緑色で、5月の風に気持ちよさそうに揺られている。

新緑のトンネルのような林の道を抜けて芝生の広場に出ると、枝を大きく横に広げた木が堂々と立っていた。他の木と同じように明るい早緑色の葉を繁らせているのだが、何かシルエットが違うように思う。近づいてみると、葉に隠れた枝から、柔らかい毛糸で編んだみつあみのような、かんざしから垂れる花飾りのような、ふさふさした長いものがいくつもまっすぐ垂れさがっている。色は、マスカットを思わせるような明るくて爽やかな黄緑だ。さらに近づくと、それは小さな花が集まった房だった。そして、木の下のネームプレートを見ると、これが、あの「オニグルミ」だったのである。

オニグルミの木

オニグルミ、こわくて強そうな名前で、こんなに優しくて綺麗な花をつけるのか。数年前の夏に見た、あの大きな実はこの花からできるのか。別々の場所で、違う季節に見た二本の木がつながった瞬間だった。夏にしか行ったことのないあの街のオニグルミも今、そよ風に早緑色の花房を揺らしているのだろうか。

オニグルミの花

かつらいす

なべとびすこさん主催の「短歌ど素人の会」をきっかけに、2014年から短歌をつくり始めました。知れば知るほど広がってゆく大きな海のような短歌の世界を、これからもゆるゆると旅していきたいです。

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