【連載】宇都宮敦「現代短歌」作品連載を読む!<5>ハーフ・アスリープ

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こんにちは、橋爪です。

雑誌『現代短歌』に掲載されている宇都宮敦さんの連作を鑑賞する記事の第5回です。今回はかなり書くのが遅れてしまいました。大変申し訳ありません!

『現代短歌』3月号、まだ売ってるかな……。次号が出ているかもしれませんが、もしよければバックナンバーを手に入れて一緒に記事を読んでみてください。

*バックナンバーは現代短歌社のサイトから購入できます。

それでは「ハーフ・アスリープ」24首、見ていきましょう。

橋爪志保

2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。2021年4月に第一歌集『地上絵』上梓。Twitter @rita_hassy47
note https://note.mu/ooeai
通販 https://hassytankashop.booth.pm/

自選短歌

I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる

 

胸元のクローズアップ

 

イヤフォンの右と左が胸元でカチリと音を立ててくっつく

 

今月の一首目です。

コードつきのイヤフォンをぐるっと首にかけているところを想像しました。「カチリ」「くっつく」という、イヤフォン独特の感触が過不足なく示された歌ですが、わたしは以下の歌を同時に連想しました。

まばたきで恋に落ちたら バック・トゥ・ザ・フューチャーのドクの胸飾り/谷川由里子

の歌も、連作(「ドゥ・ドゥ・ドゥ」)の一首目の歌です。一首目という導入にある歌でかつ胸元にクローズアップされた歌だから、というかんたんな連想ではあるのですが、似たドキドキを感じるなあと思います。

 

動く歩道のように

 

カラスが食べたウニが道路にまきびしのように いやまきびしじゃないな でかいしひとつだし

 今回の連作で一番好きだった歌です。

まず、「えっカラスってウニ食べちゃうの、あんなとげとげのものを」というちょっとした驚きみたいなものがあり、「でもカラスならできないことも無いかも、器用だし」という無理矢理自分を納得させにかかるこの感じ、そこから「この主体はなんで『カラスが食べた』ってわかるんだろう」という疑問があり、そこでやっと読者は歌の「まきびし」にたどり着きます。

「まきびし」っていうのは、忍者とかが使う、踏むと痛い武器として認識されていて、たしかに「とげとげのものが道に落ちている」という、まあよくあるわけではないシチュエーションは、ある意味「まきびし」っぽい。でも、その比喩を話半分でいったん否定して、「でかいしひとつだし」という、「そりゃそうだ」感のある残りの半分の共感で落としています。

この、認識の「流れ」を「破調で」「全部書く」みたいな力業は、宇都宮さんの歌には時々見られるとおもうのですが、このユーモアを含んだ「流れ」、「流れ」ではあるんだけど、建設的だったり有意義だったりしない、何気ない感触が、まるで「動く歩道」に乗っているようで、じんわりと心地いいのです。

 

「スポットライト」は本物になる

 

交差する歩道橋のばってんの上スポットライトのさす 踊らなきゃ

 歩道橋って、たしかに十字路などで「ばってん」に「交差」している複雑な形のものを時々見かけますね。でも。でもですよ。スポットライトはさしてないはず。あれは「暗いから照らすため」の街灯です。舞台照明みたいなものとは、色も強さもきっと違う。

けれども、気分が高まって、それが「スポットライト」になることが、ある。そう見える、とかではなくて、「スポットライト」に、その人にとってはほんとうになってしまうことが、人生にはあるんだと思います。だって、「スポットライト」ってそういうものじゃないですか。

だとしたら、やるべきことはただ一つです。「踊らなきゃ」、です。

でも、実際は踊りはしないんだと思います。ふつうに歩道橋を、とおりすぎるだけなんだと思います。だって、この歌は、「歩道橋の街灯がスポットライトに見えて、場所的にもなんか踊れそうだなと思った」の書き換えにすぎないのですから。でも、こう書かないことで、「スポットライト」は本物になり、「踊らなきゃ」という感情自体が踊り出すのです。

なんとも刹那的な心の動きであり、それでいながら誠実であるような気がします。

歩道橋、という場所がいいなと思います。ちょっと高くて、舞台っぽくありませんか。

 

一匹の馬鹿

 

馬は一頭 鹿は一頭 馬鹿は一匹 いま一匹の馬鹿が駆けてく

 

馬鹿、という単語を馬と鹿に割るというよくある行為にしては、丁寧すぎます。馬は一頭鹿は一頭、って、単位の話をしてるのはわかるけど、なんだかぴょこんと馬と鹿が視界を飛び越えて通り過ぎるような感覚をおぼえます。
個人的には、「日本昔ばなし」のエンディングの、「にんげんっていいな」のアニメの絵柄で、馬と鹿がひょこひょこ現れては消えてゆくイメージ。

また、この歌では、「馬鹿」を「一匹」と数える、キュートな美学が示されています。ここでの「馬鹿」は友達か誰かかな、と想像しましたが、言うまでもなく、親しみのこもった「馬鹿」です。こんなに一字空けを使っているのに、歌が虚しくならないのは、いつも思うけれど、すごいことだと思います。

 

浅いねむりを

 

着ぐるみの頭をぬいで着ぐるみの頭を枕に浅いねむりを

 

まず、「頭をぬいで」という表現にささやかに驚かされます。「頭をとって」だと台無しなのです。もごり、と頭を剥くように取っ払うあの感覚が「ぬいで」です。

そして、着ぐるみの頭をそのまま枕にして眠ってしまう、なんとも滑稽な主体。だって身体は着ぐるみ、着たまんまなんでしょう?しかも、そんな寝にくい枕、ないほうがましなぐらいです。そりゃあ眠りだって「浅く」もなるでしょう。でも、ここではこうじゃなければ、だめなんです。だってこれが、「着ぐるみの作法」なんだから。

いや、「着ぐるみの社会的な作法」は別にあるんですよ。手を振ってみたり、軽いダンスをしたり、風船を配ったりすることです。決して頭はぬがず、です。

でも、「浅いねむり」のほうが正しい作法であるように説得される、そんな力がこの歌にはあると思うのです。それは、この歌が連作の最後にあるからかもしれません。いままでのユーモアは営業終了、とでも言わんばかりに、着ぐるみのひと、はねむりに落ちてしまうからです。でも、浅いどころか、眠れないだろうな、と思います。それどころかこの主体は、薄目を開けて、にまにま笑っていそうです。

「着ぐるみ」という「擬態」や「子供だまし」によく使われる比喩なのに、まったくそんな素振りがないところがいいですよね。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

連作の歌を全部読みたい!という方は、ぜひ「現代短歌」3月号を読んでみてください。

一部の書店または現代短歌社のサイトから購入できます。

それではまたお会いしましょう!

 

この記事を書いた人

橋爪志保

2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。2021年4月に第一歌集『地上絵』上梓。Twitter @rita_hassy47
note https://note.mu/ooeai
通販 https://hassytankashop.booth.pm/

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<0>はじめに

<1>ゴースト

<2>第二宇宙速度

<3>ディスコティカ

<4>ショートステイ

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