「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?
相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。
この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。
第22回は湯島はじめさんです。
子どものころ『マンホール(原題:The Manhole)』というPCゲームに夢中になったことがある。
ゲームというよりは仕掛け絵本のようで、謎解きのようなものはあっても基本的には自由度の高いフィールドを探索したり、画面上のモチーフ(たとえば額縁だとか電話、消火器だとか)をクリックすると発生する音や視覚のエフェクトを楽しんだりというのがメインのソフトだった。
『マンホール』のタイトルのとおり、プレイヤーの探索は“マンホールの蓋を開ける”ことから始まる。
開放されたマンホールの穴からは『ジャックと豆の木』のような巨大なツル植物が天高く伸びてくる。それを登るか降るかして辿り着いた世界では、ジャケットを着たウサギやサングラスをかけたドラゴンなどの動物たちがひとの言葉を話し、エレベーターは海底と繋がっていて、屋敷の地下に広がる水路にはなぜかゾウの神様がおり、さらになぜか小舟に相乗りをして進んでゆくことになる……。
そんな世界がひたすらに続くゲームだった。支離滅裂である。パソコン通信時代特有のパキパキの色彩も相まって、調子の悪いときにみる夢のようでもある。
めちゃくちゃだけど、戦闘も恋愛も殺人事件もない、ちょっと不気味でシュールで、そしていきいきとした愛しい世界観のゲームだった記憶がある。
わたしがこのゲームときわめて近い色彩・触感を感じるもの、それが杉﨑恒夫の歌集・短歌群である。
灯を消して睡らんとする壁の絵の天使ガブリエル羽をたためよ
前面に小人あらわれ時を打つまたいくつかの別れのために
/杉﨑恒夫『食卓の音楽』
やすやすと我を呼び込む巻貝の螺旋の奥にある行き止まり
熱つ熱つのじゃがいも剥けば冬眠からさめたばかりのムーミントロール
/杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』
どうだろうか。
ひとつのモチーフにばっちり合ったピント、その具体性、視覚的イメージの立ち上がりやすさ、そして神秘とメルヘン。
種々の要素に探索ゲームめいた雰囲気を感じないだろうか。
ここからは第二歌集『パン屋のパンセ』から数首引用し、その世界をさらに紹介させてほしい。
樹枝状のブロッコリーを齧るときぼくは気弱な恐竜である
この「気弱な」がとてもいい。
戯画性というのか、杉﨑の歌に登場する主体や動物たち、ときには無生物たちのメルヘン・ナイズされた表情がとても好きだ。
一晩中義足の音を立てているエイハブ船長は冷蔵庫住まい
これも好きな一首。
エイハブ船長というのはハーマン・メルヴィル著『白鯨』という小説の登場人物の名だが「冷蔵庫住まい」という具体的かつシュールな設定なんかは非常に”探索ゲー”っぽい。ゲームの画面上で冷蔵庫をクリックすると扉が開き、そこに現れるしかめ面のエイハブ船長が想像できる。
この歌なんかはまるで空想の産物というよりは、夜やけに大きく聞こえる冷蔵庫の稼働音からエイハブ船長(小説作中でじっさいに義足を鳴らす癖があるのだ)を連想したのではないかと思うがどうだろうか。
卓の下に長い脚組むフラミンゴ 東京の珈琲はおいしいですか
この「フラミンゴ」。赤の他人なのか自身の連れに対してなのかは不明だけどおそらくは人をたとえたものなのだと思う。しかしどことなく、東京というステージ探索の途中に入った喫茶店に、ちょっと気どった様子で座っていた本物のフラミンゴであるという可能性すら感じる。わたしは杉﨑の筆致をそのように捉えている。
(余談だが同歌集には、<君の名はモモイロフラミンゴぼくの名はメールのしっぽに書いておきます>という歌も収録されており、もしかするとこの「フラミンゴ」たちは同一人物なのかもしれない。)
いくつか好きな歌を挙げてみたが、その多くが”たしかな現実世界のなかにある、身近で触ることのできるメルヘン”といった質感をもっているように感じる。
杉﨑恒夫の生年は1919年、故人である。「この世代の人がこのような作品を書くなんて」といった切り口やうたい文句をわたしはあまり好まないけれど、杉﨑の第一歌集・第二歌集がともに70代以降の作品集であるという事実には、その目を通して描かれたあざやかなメルヘンに触れるたび何度でも新鮮に驚かされる。
そして、それをとてもうれしく希望あることだと感じさせてくれる。
『すべての年齢の子供達へ・・・』
これは冒頭で話題にした『マンホール』のゲーム開始時に表示されるメッセージだ。
すべての年齢の子供達。年齢だけではなく、生まれも育ちもてんでばらばらなすべての子供達がその世界で遊び、ただひたすらに歩いたり、ときには立ち止まってなにかを眺めたり、そのうちうきうきして歌いだしたくなる。
時を越えて、何度でもあかるい探索がしたくなる。杉﨑恒夫の詩歌にはそんな魅力がある。
ちなみに『マンホール』はApp StoreやSTEAMでも購入・プレイすることができる。発売当時のものとはグラフィック等が変わっているが、雰囲気は当時のままなので興味があったらぜひプレイしてみてほしい。
この文章を書いた人
名前 湯島はじめ
2018年夏に作歌をはじめる。
かばんの会・右脳水星短歌会所属。私家版詩歌集『ジャッカロープの毛のふるえ』あります。最近ようやくコーヒーを飲めるようになりました。
Bluesky:@hayulope
自選短歌
あれほどの夏はもうないあたしたちだけプレステを持ってなかった