本ッ当に好きな短歌の本 教えてください〜柴田葵編〜

エッセイ

「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?

相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。

この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。

第14回は柴田葵さんです。

 

2005年4月、私はある金融機関に新卒で入社した。

言葉を濁して言うなら当時はさまざまな事柄が是正される前で、新入社員は朝8時に出社する必要があり、22時まで残業しても残業していなかったことになり、女だという理由で私は名刺をつくってもらえなかった。

通勤には片道1時間半かかった。暦通りの勤務だから土日は休みだが、誰かと会う気力は残っていなかった。土曜はひたすら眠って体力の回復に務め、日曜はたいてい町田(神奈川県に間違えられやすい東京都の一部、なんでもある)の本屋をぶらぶらしていた。幸い、好きな本を買うお金は今よりも持っていた。実家暮らしだったし、他にお金を使う時間もなかったからだ。

そんなある日、大型書店で目に留まったのが『サラダ記念日』俵万智(河出書房新社)だ。

「有名だけれど読んだことはないな」と思い、手に取った。

万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校/俵万智『サラダ記念日』

開いた瞬間、目に入った短歌に驚愕した。みずからを「万智ちゃん」呼びである。「まち」って名前かっわいい。

ところで私は前述の通り、町田の書店にいる。当時、私は町田のふた駅隣の淵野辺に住んでおり、その数駅先に橋本駅がある。親類にはむかし橋本高校で教員をしていた人がおり、そういえば俵万智さんのことを同僚として知っていると言っていた。そういった面でも親近感がわいた。

そのまま少しだけ立ち読みをした。最初に載っている連作は、1986年に角川短歌賞を受賞した「八月の朝」だ。(もちろん、当時の私は連作という形式があることも、角川短歌賞も知らなかった)

砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている/俵万智『サラダ記念日』

大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋/俵万智『サラダ記念日』

それならば五年待とうと君でない男に言わせている喫茶店/俵万智『サラダ記念日』

面白かった。うっすら砂のついてしまった卵サンド、そのやり場のなさ。東急ハンズの紙袋の歩くのに邪魔なほどの大きさ、その重さや高揚する気持ち。待つ男が誰だかわからないけれど、別の男もいて、この女性もいて、なにその短い一行に凝縮された三角関係。「それならば」ってどんな条件だったの?

そのままレジに向かって購入した。なお、私の『サラダ記念日』は393刷だった。あなたの『サラダ記念日』は何刷ですか? とてつもない数字だと思う。

まったく短歌に触れてこなかった人間が、手を取り、そのままレジに持っていく、それこそが『サラダ記念日』のパワーを示していると思う。版を重ねるのも納得だ。私は脈々と発生する読者のなかのひとりになった。

『サラダ記念日』があまりに面白すぎたので、他の歌集も読んでみようと思った私は、その翌週末、ヴィレッジヴァンガードで『ラインマーカーズ』穂村弘(小学館)を購入した。

俵万智さんと穂村弘さんが同期であるとか、そういったことは当時は知る由もなく、完全にジャケ買いだった。表紙のデザイン、カラーに惹かれて手にとり、中身をみたら、『サラダ記念日』とはまた別の雰囲気でぐんぐん読めた。

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ/穂村弘『ラインマーカーズ』

声がでないおまえのためにミニチュアの救急車が運ぶ浅田飴/穂村弘『ラインマーカーズ』

『サラダ記念日』には夢中になり、『ラインマーカーズ』には傾倒してしまった。私は「自分でも短歌を書いてみよう」と思った。そして少しずつ書きためて、結構たまってきたから「どうしたものかな」と思って調べてみたところ、30首あれば「短歌研究新人賞」というコンテストに応募できると知った。早速応募してみた。なんと軽いノリだろうか。

いま振り返ると「ほむほむ」の影響が大きすぎるというか、そのスタイルをただ真似しただけの短歌だった。それでも、佳作として5首誌面に載った。私はとてもうれしかった。そして満足してしまった。

それからも、たまに短歌を書いて1、2度ほど何かに応募した気もするが、箸にも棒にもかからず、他の歌集も読むこともせず、私の生活からは完全に短歌がなくなった。

私が継続して短歌に取り組もうと決めたのは、『サラダ記念日』を読んでから9年ほど経過したある日、金融機関を辞めて、アメリカで生活しだしたときだ。家族の海外勤務に帯同したのだ。

限られた海外渡航の荷物のなかに、私は、『サラダ記念日』も『ラインマーカーズ』も無意識に入れていた。その2冊の歌集のおかげで、私は今回こうしてTANKANESSにエッセイを書いている。

 

この文章を書いた人

柴田葵(しばた・あおい)

第2回石井僚一短歌賞次席、第1回笹井宏之賞大賞。歌集『母の愛、僕のラブ』(書肆侃侃房)

Twitter @hellothisissbt

https://lit.link/aoisbt

自選短歌

バーミヤンの桃ぱっかんと割れる夜あなたを殴れば店員がくる

 

今回紹介した短歌の本

 

「本ッ当に好きな短歌の本 教えてください」バックナンバー

第1回 榊原紘さん編

第2回 谷じゃこさん編

第3回 藤宮若菜さん編

第4回 虫武一俊さん編

第5回 志賀玲太さん編

第6回 武田ひかさん編

第7回 岡本真帆さん編

第8回 ショージサキさん編

第9回 鈴木晴香さん編

第10回 多賀盛剛さん編

第11回 永井駿さん編

第12回 toron*さん編

第13回 西村曜さん編

 

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