「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?
相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。
この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。
第11回は永井駿さんです。
わたしの涙腺は、生まれつき壊れている、と思っている。
涙腺が壊れているせいで、小さい頃は「男のくせに」としょっちゅう揶揄われた。涙目になるまでのスピードなら、3秒で時速100kmに到達するチーターにも負けない。嬉しい時も、悲しい時も、悔しい時も真っ先に反応する涙腺と、かれこれ30年以上付き合っている。
そんな瞬足の涙腺を持つわたしだから、大人になった今も映画館の予告編で複数回落涙することは当たり前だし、本編では泣きどころと頻度がおかしいと引かれることもある。そういう最初からバカな涙腺を、大人になった今は結構いいやん、と思っている。
いいやん、と思う理由は色々ある。色々あるが、壊れているなりにこの涙腺はわたしという感情のセンサーであり、眼を満たす水分はすべてわたしの本当である、と言える。そういうセンサーを持っていると、他人の評価にぶれなくなる。壊れてはいるけれど。
遠くから来る自転車をさがしてた 春の陽、瞳、まぶしい、どなた/東直子『回転ドアは、順番に』
そんなわたしが、何度再読しても一首目から涙を溜めさせられてしまう『回転ドアは、順番に』穂村弘,東直子(筑摩書房)という本がある。引用した歌が、その一首目だ。
歌集は、ちょっと変わったハーフフィクションだと思う。作者名があって、内容は虚像だったり実像だったり、発話者が作者だったり作者でなかったり。その作用なのか、ある一首や「連作」という何首かの塊に涙を落としても、歌集全体に涙した覚えが、今のところ無い。
しかし、この本は通常の歌集と構造がかなり異なる。穂村と東が男役と女役となって、短歌と短い文章でラブストーリーを紡いでいく。そして、この物語は文庫本の裏表紙を読めば、あらかじめフィクションであることが分かる。
隕石で手をあたためていましたがこぼれてしまうこれはなんなの/東直子『回転ドアは、順番に』
隕石のひかりまみれの手で抱けばきみはささやくこれはなんなの/穂村弘『回転ドアは、順番に』
これはなんなの、と思う。他人の、しかもフィクションのふたりの夢のような呼応に、どうしてか胸が痛めつけられる。言葉にしたことはなかったが、誰かを思うことはいつも「これはなんなの」を抱えることだったと、最初から知っていたような気持ちになる。
出会いから、親密な関係になり、肉体関係を結び、少し倦怠期を迎える。そんなどこにでもある恋愛の流れがこの本の中にもあるのだが、それを短歌で表現することで、よりソリッドになっている。
喧嘩喧嘩セックス喧嘩それだけど好きだったんだこのボロい椅子/東直子『回転ドアは、順番に』
ボロい椅子が、目の前に置かれる。わたしたちが過去に経験した恋愛はすべて、ボロい椅子だったのかもしれない。頽廃的な上の句がリアル。だらしなさのなかの愛情は、結構捨てたものではない。
と、ここまで書いて、なぜ何度再読しても一首目から落涙するのか、ここから先の核心は書けないことに気がついた。書いてしまったら、わたしと同じようにあなたの涙腺が壊れなくなる。それは悔しい。
この本は歌集と小説の両方の性質を持っているように思う。普通、小説を誰かに勧めるときにその結末を言うことはない。そんなことをすれば、非難轟轟で友達を失うだろう。だから、性質は小説に近い。
そもそも歌集には結末が無い(本としての終わりはあるが)。だから歌集の場合、安心して一首一首を紹介できる。ただ、歌集自体の説明はなかなか難しい。歌集を読みこなすのが難しい、というのは、もしかしたら明確な結末が無いからなのかもしれない、と思い至った。
その点『回転ドアは、順番に』は物語だから、ちゃんと終わりが来る。それでいて、一首一首語りたくなる歌ばかり。歌集と小説の、いいとこ取りのような。
そして、物語には再現性がある。回転ドアが回り続けるように、また、一首目をその円環の中で味わうことができる。
だから、短歌を読みたいのだけれど物語に身をゆだねたい、という気持ちのときは、必ずこの本を選ぶ。
泣きたい、というよりは「センサーが作動しているか」を確かめたいときに聞く音楽や観る映画がいくつかあって、わたしにとってはその仲間として、この一冊がある。
短歌でもあり、物語でもある、不思議な本。あなたが初めて読む短歌の本としても、短歌に慣れ親しんだあなたが次に読む本としても、この本はどちらの期待にもきっと応えてくれるはず。
そして願わくば、わたしほどでなくていいので読後には袖をしっかり濡らして、その回転から出られなくなってくれれば、わたしはうれしい。
日溜りのなかに両掌をあそばせて君の不思議な詩を思い出す/穂村弘『回転ドアは、順番に』
この文章を書いた人
永井駿
1989年兵庫県生まれ。東京在住。料理が趣味。好きな食材は栃尾揚げ。
塔短歌会、同人「苗」「△」所属。
渋谷ヒカリエ8階「渋谷○○書店」内、私家版歌集を中心に扱う「渋谷Longbooks」運営中。
2022年迄「長井めも」名義で活動。2023年より現名義。
2021年東京歌壇年間賞。第69回角川短歌賞佳作。
X:longmemo_tanka
note:https://note.com/choro/
自選短歌
手は渚 あなたに触れているけれどあなたにふれていなかった日の
今回紹介した短歌の本