本ッ当に好きな短歌の本 教えてください〜鈴木晴香編〜

エッセイ

「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?

相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。

この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。

第9回は鈴木晴香さんです。

 

 

雪は人をおとずれる 人が河沿いの美術館をおとずれるのに似て/服部真里子『遠くの敵や硝子を』

穂村弘さんがパーソナリティを務めるNHKラジオ深夜便「ほむほむのふむふむ」に出演したとき、私の大好きな1首としてこの歌を紹介しました。

渋谷のNHKのラジオブースに、穂村さんとディレクターの山田亜樹さんと一緒に閉じ込められるという極限の緊張状態で、私はこの短歌のどこがどう大好きなのか、思うように伝えることができませんでした。

そのことを繰り返し思い出して(多くは寝る前です)、ああ、本ッ当に好きな短歌の本も説明できないなんて情けなくて恥ずかしくてどうしようもない、みなさんごめんなさい、と後悔しながら数ヶ月が経ったいま、それでもやっぱりこの歌の良さを言葉にすればするほど、その美しさから離れてしまうような気がしています。

例えば、恋人に「どこが好き?」と聞かれたとき。やっぱりそれにもうまく答えられなくて、誤魔化してしまったりする。目の形が好きだと言ってしまったら、好きの本質が逃げていってしまう。そんな気がしませんか。服部さんの歌には、そういう魅力が隠されていると思うのです。

 

雪の音につつまれる夜のローソンでスプーンのことを二回訊かれる

六面を紙につつまれ冬の部屋に届くバターのほのあかるさよ

ローソンのレジで会話をし、バターを箱から取り出す。どれも、毎日のほんとうになんでもないできごと。ねえ誰か聞いて聞いてというような、大事件が起こったわけではありません。それなのに、どうして世界はこんなに輝いているのでしょう。「二回訊かれ」たのは、〈私〉の答える声が小さくて店員さんの耳に届かなかったからかもしれません。あるいは店員さんが寝不足だったからかも。いずれにしても、重大な意味を持つわけではなく、特別に意識することもないような「スプーンのことを二回訊かれる」が、服部さんの手の中の31文字の器に入った途端、特別なメッセージとして響くのです。秘密の暗号が、その二回の繰り返しに隠されているのではないか。そんな物語を感じます。

バターの歌もそう。あの硬くて柔らかくてひんやりと重みのある直方体が、神託のように感じられるのです。服部さんの歌を読んでいると「歌のネタになるような劇的なことが起こらないかなあ」なんて考える心がけがらわしいように思えてきます。詩は、いつでも目の前にあるのだから。

2首ともに「つつまれ」るという動詞が含まれているところも深遠です。ミステリーに登場するような密室の静けさ、この世から隔てられている情景が見えてくるようです。

そう、この世。

この世からつめたい水を逃がすこと父のため桃を洗った水を

パジャマのボタンを留めるいつかこうして天国の硬貨を拾う

今宵あなたの夢を抜けだす羚羊れいようの群れ その脚のしき偶数

横断歩道を渡ったらすぐそこにこの世ではない世界がある。この世とそうでない世界がそんな繋がり方をしているみたいです。日常の世界を描いているのに幻想的な空気につつまれているのは、もしかしたらこのことと関係があるのかもしれません。天国から見ればこちらが天国で、夢の世界から見ればこちらが夢の世界。服部さんはそのように世界を見ているのではないでしょうか。

 

雪は人をおとずれる 人が河沿いの美術館をおとずれるのに似て

そして、冒頭の歌。

「雪は人をおとずれる」。もうこれだけで痺れてしまうフレーズ。雪というものはただ降るのではない。ひとりひとりの人間を訪ねてやってくるのだ。それは、人が河沿いの美術館(それは少し遠くて、わざわざ電車に乗っていくようなところにありそうです)をおとずれて、静かに絵を眺めるのに似ている。美術館で人がそうであるように、雪は人に何か話しかけたりしない。でも、他でもないその絵に、その人に、時間をかけて会いにきたんだ

この歌で、「人」は特定の誰かではなく存在としての「人」、〈私〉とは距離を置いて描かれています。別の世界からこの世界を見たときの、人の営みの不思議、雪の不思議をトレース紙に写し取ったよう。一体どこから「河沿いの美術館をおとずれるのに似て」という比喩が生まれるのか。その回路が全く見えないところに、神秘的な魅力を感じます。

こうやって文字数を費やしたところで、この歌の魅力が伝わったようには思えません。何万文字使っても、この31文字には届かないのです。意味に手を伸ばしながらも、意味をほどかないままに受け止める勇気。服部さんの歌を読むときに必要なのはそんな勇気です。人間を、臓器>細胞>分子>原子>素粒子に分解していっても、その人がどんな人物であるかはわかりません。それと同じように、意味を明快にしてゆく過程で手のひらからこぼれ落ちてしまうもの、混沌や唐突さ、飛躍。そこに宿る美を、服部さんの歌は教えてくれます。

私がこの歌集を好きなのは、絶対に真似できない圧倒的な魂を持っているから。何度でも打ちのめされたくて、何度でも読み返しています。

 

この文章を書いた人

鈴木晴香(すずき・はるか)

1982年東京都生まれ。大阪在住。歌集『夜にあやまってくれ』(書肆侃侃房)、『心がめあて』(左右社)、『荻窪メリーゴーランド』(木下龍也との共著、太田出版)。塔短歌会編集委員。現代歌人集会理事。

X: UsagiHaru
HP:http://suzukiharuka.info/

自選短歌

きみが見た夜がわたしのものになるくちづけるとは渡しあうこと

 

今回紹介した短歌の本

  • 『遠くの敵や硝子を』服部真里子

「本ッ当に好きな短歌の本 教えてください」バックナンバー

第1回 榊原紘さん編

第2回 谷じゃこさん編

第3回 藤宮若菜さん編

第4回 虫武一俊さん編

第5回 志賀玲太さん編

第6回 武田ひかさん編

第7回 岡本真帆さん編

第8回 ショージサキさん編

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