こんにちは。篠田くらげです。
ふだん中学生に国語を教えているのですが、少なくない割合の中学生が古文を苦手にしているようです。知らない言葉ばかりでわからない……そもそも面白くない……こういう声をしょっちゅう聞きます。
もちろん、定期テストを乗り切ることだけを考えるなら、授業で先生がしゃべっていた現代語訳を無理やり覚えるといった方法も考えられます。でも入試には(たぶん)初めて読む文章が出題されます。入試を考えるなら、ある程度文法が理解できる方がいい。でもわからない……つまらない……。
だから、百人一首です。
百人一首、聞いたことあるでしょうか。そう、お正月にやるやつ。短歌がカルタになってるやつ。あれですあれです。最近は百人一首やカルタをとりあげたアニメや漫画もありましたから、そちらで覚えておられる方もいるでしょう。全部短歌になっていて、57577なのでリズムがよいです。覚えやすい。試験会場でもぱっと思い出せます。しかも大事な文法がたくさん登場します。
恋愛を詠んだ歌もいっぱいあるし、今読んでも「あー、その気持ちわかる」と思えるものもあるんです。100首あるから、気に入ったものだけ覚えたらいいじゃない?そういうわけで、百人一首の中で文法を確認するのおすすめなんです。
今日は「係り結びの法則」の話をしましょう。係り結びの法則は、ざっくり言うと次のような話です。ポイントは、形の話と意味の話をごちゃごちゃにしないようにすることです。
形の話
文の最後に出てくる言葉が活用するものであれば、その活用形は終止形。これは現代語でもそうです。「朝ご飯を食べる。」みたいにね。
では常にそうだろうか?係り結びがある場合には、そうではないんです。
文の途中に「や、か、なむ、ぞ」のうち、どれかがあったら、文の最後(結び)は終止形ではなく、連体形になります。
文の途中に「こそ」があったら、文の最後(結び)は終止形ではなく、已然形になります。
意味の話
「意味の話」はつまり、現代語訳をどうするかです。
「なむ、ぞ、こそ」は、これ、実は特に訳さないんです。意味を強めているだけなんですね。一番よく見かける間違いは、「風こそ吹け。」を「風よ、吹け。」と訳す間違いです。「吹け」はさっき<形の話>でやりましたように、已然形なんです。命令形ではない。「吹け」が現代語では命令形っぽく聞こえるからといって命令だと思ってはいけない。「風が吹く。」でいいんです。
「や、か」は、疑問か反語のどちらかです。疑問は「~だろうか」です。疑問文。問題は反語。反語ってなんでしょう。
反語というのは、「疑問文で書いてあるんだけど、実際には『そうではない』と言おうとするもの」です。現代でも、疑問文と見せかけて実際には疑問文でないもの、たくさんあるでしょう。「いま何時だと思ってるの!?(=帰ってくるのが遅い)」「そんな話、誰が信じるっていうんだ?(=誰も信じないよ)」など。反語もこれと似ていて、「~だろうか、いや、そうではない」という意味なんです。あとで歌を見るときに一緒に確認しましょう。
いいでしょうか。<形の話>では、「や、か、なむ、ぞ」が1つのグループ(文末を連体形にする)で、「こそ」が単独で1つのグループ(文末を已然形にする)なのに、<意味の話>では「や、か」が1つのグループ(疑問または反語)、「ぞ、なむ、こそ」が1つのグループ(特に訳さない)だから混乱しがち。頭の中がごちゃごちゃしないようにしてください。
ついでに補足ですが、「や、か」は、「やは、かは」という形になることもあって、この場合は反語である可能性が高くなるんです。「や、か」を見ても疑問か反語かはわからない。両方あるんですから。でも、「やは、かは」を見たら「反語かもしれないな」と思っておいて、「どうも反語だと変なようだ」と思ったら再度考えたらよいでしょう。
まとめると、この表のようになります。
歌を読もう
お待たせしました。ようやく百人一首の話ができます。
嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る(右大将道綱母)
「かは」がありますね。さっきやりましたね。「か」の形が変わったものです。だから、<形の話>でやったとおり、文末「知る」は連体形になる。
<意味の話>でやったとおり、これは疑問か反語ですが、「かは」なので、反語である可能性が高い。
文脈を見てみますと、「いかに久しきものとかは知る」は「どんなに長いものか、あなたは知っていますか」です。これだけだとよくわからない。前半を見ると、作者は「ひとり寝る」、つまり恋人が来てくれないのでひとりで寝ているんです。それをさびしい、つらい、と思っているのですから、「どんなに長いものか、あなたは知っていますか、知っていたらこんなにわたしを待たせたりしないでしょうにね、知らないんですよね」と言っているんです。だからこれは反語。意味は「どんなに長いか、あなたは知っていますか、いや、知らないでしょう」です。
典型的な問題としては、「『知る』の活用形は何か」や「『かは』は何を意味しているか」などがありまして、それぞれ「連体形」「反語」と答えておけばよろしいでしょう。
歌全体の訳は、「あなたのことを思ってひとりで眠る夜はどんなにどんなに長いか、あなたは知っているの?いいえ、知らないのでしょうね」です。ちなみにこの訳は天野慶さんの『百人一首百うたがたり』(幻冬舎エデュケーション)から取っております(天野さんありがとうございます!)
次の歌です。
月見れば千々に物こそかなしけれわが身一つの秋にはあらねど(大江千里)
「こそ」がありますね。<形の話>にありましたとおり、「こそ」があったら「已然形」になるのでしたね。<意味の話>でやりましたように、「こそ」は特に訳さなくてよくて、注意点としては「命令ではない」ということなのでしたね。
ところで、文末(結び)はどこでしょうか。「最後だから、『あらねど』!」……ではないんです。これは「月見れば千々に物こそかなしけれ。」でいったん文が終わるんです。だから、文末は「かなしけれ」です。特に訳さないのですから、「悲しい」です。命令だと考えて「月を見ると、物よ、悲しくなってくれ」とか訳すと意味が分からないですから気を付けてください。
歌全体の訳は「月を見上げるといろいろな思いが溢れて悲しくなるよ。私ひとりのための秋ではないというのにね」です。訳は先ほどの『百人一首百うたがたり』からお借りしました。
こんな感じです。英語を勉強するときに文法だけでなく、その文法が使われている例文を一緒に頭に入れると思うのですが、古文も同様にやってみてはどうでしょう、そして例文に百人一首を取り入れるのはいかがでしょう、というお話でした。それではまたお目にかかります。
この記事を書いた人
篠田くらげ
2007年、偶然聞いたラジオ番組をきっかけに短歌を始める。「未来短歌会」所属。「アポロ短歌堂」「嶌田井書店」メンバー。普段は短歌を詠んだり、書評を書いたり、文学フリマに出たりしています。
Twitter @samayoikurage
自選短歌
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