「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?
相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。
この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。
第23回は岩倉曰さんです。
オタクは歓喜した。
必ずや✝︎狂愛✝︎する短歌本のなにがオタクを✝︎狂愛✝︎せしめるかを余すことなく開陳せねばならぬと決意した。
オタクには短歌がわからぬ。(これって短歌なんだろうか)と思いながら自作をネットの片隅に放出し、いいねの数をチラチラ伺い、自分を満足させてきた。けれども、よその人が作ったおもしれー短歌については、人一倍敏感であった。
本ッ当に好きな短歌の本を紹介するにあたり、オタクは本棚を舐めるように確認し、いくつかの候補を絞り出した。十冊くらいになった。
しかし、紹介できるのは三冊までという決まりがある。オタクは決断を迫られた。
オタクは大体十人の竹馬の友から、最高のセリヌンティウス、セリヌンティウスオブセリヌンティウスを三人選ばなければならぬ。
竹馬の友に優劣をつけるなんて本来なら滅相もない話である。
それに、上手に語れるだろうか。
ただ好きなものの話をするだけだと思っていたのんきなオタクも、だんだん不安になってきた。
しかし、走ると決めた以上、オタクは走るしかない。
素っ裸で三発殴られる結末が待っていたとしても。
1冊めは、『トントングラム』伊舎堂仁(書肆侃侃房)。
わたしは短歌でめちゃくちゃ笑いたい。笑える短歌を探して情報を漁るゾンビと化しているフシがある。もっと効率よく動けるゾンビになるためになんで笑っているのかずっとずっと考え続けているのだけれど、いまだに答えは出ない。
無理矢理理由づけをするならば、ものすごい発想に出会ったときの感動が笑いという反応で表れているのかも知れない。それも、奇妙であればあるほど良い、というか。
そもそもタイトルがトントングラムである。なんで?? と思いながら、表題歌に行き当たる。
男の子ならば直哉、女の子ならば㌧㌧㌘にしよう/伊舎堂仁『トントングラム』
なんで?? がより深まる。
㌧㌧㌘を人名に採用しようとしている、というシチュエーションはどういう脳の使い方をしたら出てくるものなのだろうか。
誰に理解されなくとも、本人はものすごく考えて付けているであろう名前。にしても㌧㌧㌘。㌧㌧㌘に気を取られていたけれど、そういえば男の子は「なおや」ではなく「なおちか」なんだなあ。絶妙に考えられていそう。え? どっち? そもそも名付けにおいて考えられているかいないかを考えることは当事者以外に許されること?
と、必死こいて読み解こうとはしてみるのだけれど、結局読んだ瞬間の反応は、なんか笑ってしまった、だった。
他のどこにもない、独特な味わいの短歌が詰まっている。これみたいな歌集、と思いながら探しても、全然見つからない。それが嬉しくて悲しい。
2冊目、『恋人不死身説』谷川電話(書肆侃侃房)。
キモカワなピンクの女の子のイラストは一度見たら忘れられない。電子書籍がどこかに行ったのでこのたび買い戻させていただいた。ピース。
会いたいと何度祈ったことだろう 電車の窓にだれかのあぶら/谷川電話『恋人不死身説』
電車の、たぶんドアの近くに乗っていた誰かの皮脂汚れを見つけたらしい。
世にあまたある祈りの中でもこの祈りが一番心の奥に入ってくる感じがする。
歌集の中に散見される、一見不衛生なものに愛を見出しているところがものすごく真実に感じる。清潔な恋の歌も素敵だなとは思うのだけれど、わたしは多少不衛生なところまで踏み込まれないと機微がわからない人間らしい。
これまで、この歌集について「短歌をはじめたての人でもわかりやすい」と複数の人が評しているのを見聞きしているのだが、やっぱりこれだけわかる言葉ばかりなのにどこでも感じたことがない味わいってすごいし、何年経ってもずっと好きだ。ああ電話さん電話さん。
3冊目、『私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない』/田中有芽子(NextPublishing Authors Press)
たんたか短歌(ラジオ石巻というローカルラジオ局でやってる短歌の番組。みんな聴いてくれよな)で紹介することになったのがきっかけでハマった。
読んでいるとなんとなく、たまとかを聴いてるときと近い感覚になる。
ものすごく現実を細かく描写しているかものすごく現実離れしているかのどちらかの歌を好きになりがちなのだけれど、後者の理由でこの歌集はとても気に入っている。
江戸城の松の廊下で横並び一人1台チョロQ持って/田中有芽子『私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない』
だいぶ古いものとちょっと古いものの掛け合わせ。想像するとなんとも不思議でキュートな絵面だ。リズムの気持ちよさもあってか、確か一読で記憶できたような気がする。
歌集のどこを読んでも、どの歌もキャラが立っている。なんだかやたらと楽しくてしょうがない。
そして改めて読み返すとものすごく現実離れした言葉選びでものすごく現実を細かく描写している歌もたくさん入っていた。つまり好きでしかない。
絶対みんな言ってるはずだけどわたしもめちゃくちゃ思ってるから言っておくと、五十音で並べてあるのすごい良いですよね。発想のぶっ飛び感が増してて。
こうして三冊の好きなところをぐちゃぐちゃ述べてみたところ、はっきりと、わたしは花鳥風月より奇想天外派であることが飲み込めてくる。
で、三発殴られるかどうかについては、こっちが勝手にセリヌンティウスとか言っても向こうはオタクのことなんか知る由も無いから殴りようもない。一方的に友達だと思い込んでいただけである。そして、これからも一方的にそう思い続ける。
そこで願わくは、わたしの人生をもっともっとたくさんのセリヌンティウスでいっぱいにしたい。
こういう性質の人物におすすめの歌集があったら、なにかの手段で教えていただけるとありがたい。
ああ、楽しかった。走り疲れたので、寝る。
この文章を書いた人
岩倉曰
主にインターネットで自作の短歌を発表している。宮城県石巻市の若手短歌愛好会『短歌部カプカプ』に所属。ラジオ石巻『短歌部カプカプのたんたか短歌』に出たり出なかったり。三度の蟹より蟹が好き。第二歌集『ハンチング帽のエビ』Kindle版を販売中。老け顔。
自選短歌
最近はどうかといえばコンセントみたいな顔で暮らしています
今回紹介した短歌の本