「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?
相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。
この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。
第21回は石村まいさんです。
基本的にのんびり生きていきたいほうである。
まるくふわっと。やわらかなパンのように暮らしたい。
が、詩歌においては「するどさ」が好きだ。表現されている景、モチーフ、ことばそのもの、着眼点。なんでもいい。
ひゅっと耳のうしろをかすめていくようなつめたさに、いつも憧れている。
ああ斧のようにあなたを抱きたいよ 夕焼け、盲、ひかりを掻いて/大森静佳『カミーユ』
衝撃だった。歌そのものが斧だと思った。
大森静佳の第2歌集『カミーユ』では、作者のことばや視点のするどさが特にかがやいている。
全身できみを抱き寄せ夜だったきみが木ならばわたしだって木だ
ずっと味方でいてよ菜の花咲くなかを味方は愛の言葉ではない/大森静佳『カミーユ』
「わたしだって木だ」「味方は愛の言葉ではない」といった、つよい気持ちに押し上げられたような断定表現。それによって、歌の世界のなかに読者は引き込まれる。
ああ、わたしもきみも、木だったのか、となぜか納得してしまう。そういえば、味方といわれて純粋に良い心地はしない。
夜に息づく木々や一面の菜の花が押し寄せてきて、気づいたときにはこちらから前のめりになっている。
もっと読みたい。もっとわたしのこころを裂いてくれ、とさえ思う。
早送りのように逢う日々蒼ざめた皿にオリーブオイルたらして/大森静佳『カミーユ』
オリーブオイルを使うたびにこの歌を思い出す。
「蒼ざめた皿」はきっと冷えているだろう。切り取られた日々の回想のなか、どこかさびしげな椅子に、わたしはひとりで座っている。
もう一冊、直近で読んだ歌集として、『Dance with the Invisibles』睦月都を挙げたい。
角川『短歌』2024年10月号掲載の連作「花束と周期」に感銘を受け、すぐに購入したものだ。
タイトルからも連想させられるように、夢とうつつを行き来するような、不思議な世界がそこには広がっている。
旧仮名遣い特有のやわらかな字面でありながら、風景からうつくしさを掬いとる感覚の「するどさ」がわたしの胸を打った。
娘われ病みて母きみ狂ひたまふ幾年まへの林檎樹の花/睦月都『Dance with the Invisibles』
「病む」「狂う」という、あきらかに不穏なことばが登場するにもかかわらず、謎めいたうつくしさが読後に残るのはなぜだろう。
食べものや植物が頻繁に登場する一冊のなかで、それぞれのモチーフが姿かたちを変えながら、景そのものを包みこむ繊細なヴェールのような役割を果たしている。
蜘蛛のアパートメントと砂糖の木 十一月は夜に近づく
紫陽花が自重に耐へて咲くさまを思へりトイレで嘔吐しながら/睦月都『Dance with the Invisibles』
大人のために描かれた絵本を読んでいる心地になる。それも香り付きの。
もちろん、実際には絵は登場しないのだが、ことばの組み合わせや響き合いによって立ち上がってくる景のあざやかさと妖艶さ。
生活のすみずみにまで届く五感のするどさによって、歌の質量が増しているように思える。
気がついたときには、歌の醸し出す空気を胸いっぱいに吸いながら、ときには休みながら、わたしはその世界をひたすらにさまようことになる。
酔いしれる、というのは、こういうことなのかもしれない。
縮尺のをかしな地図のなかのやうな冬のやうな春のやうな午後をあゆめり/睦月都『Dance with the Invisibles』
この文章を書いた人
石村まい
山口出身、兵庫在住。短歌と俳句とエッセイ。第7回笹井宏之賞山崎聡子賞「ひかりまみれのあんず」、第2回カクヨム短歌・俳句コンテストニ十首連作部門大賞「whisper」・ニ十句連作部門佳作「角度」など。パンがとにかく好き。ご依頼・ご連絡等はmaishimura41@gmail.comまで。
X(Twitter):@mai_tanka
note:https://note.com/mai_ishimura
自選短歌
痩身のあなたと夢にすれ違う 祈りのように日傘を抱いて
今回紹介した短歌の本