「おすすめの短歌の本を教えて」と言われたらどう答えますか?
相手の好みを聞いたうえで答えることもあるでしょうし、「好きだけど絶版だからこの歌集はやめておこう」「好きだけど個人通販でしか買えないから大きな書店で買える本をすすめよう」「有名すぎて知っているだろうからこの本はやめておこう」と思うこともあるかもしれません。
この企画はそういった条件は全く気にせず、とにかく「本ッ当に好きな 短歌の本」についての思いを書いてもらうリレーエッセイ企画です。
第18回は田中ましろさんです。
三つ子の魂百まで、という諺があるように何もかもが初々しく感じる時代に出会ったものたちはいつまでたっても光り輝いて見えるものだ。
「本ッ当に好きな短歌の本」というお題をもらい、自らの10余年の短歌生活を振り返ってみて、最初期に出会った2冊の書籍がすぐに思い浮かんだ。これが「本ッ当に好きな短歌の本」かと問われたら、もしかすると「本ッ当に忘れられない短歌の本」かもしれないが、それだけ鮮明な記憶を残しているのだからこれはもう「好き」と呼んでも間違ってはいないと思う。たぶん。
ヤクルトの古田のメガネすごくヘン もっといいのを買えばいいのに/すず
『短歌はじめました。 百万人の短歌入門』(角川ソフィア文庫)
短歌を詠み始めて入門書のような書籍を何冊か読み漁ったあと、タイトルに惹かれて買ったこの本はそれまでに得た知識から自分の中で勝手に決めつけた「短歌」の定義を見事に壊してくれた。
マガジンハウス社の編集者をされていた沢田康彦さんが短詩に興味を持ったことをきっかけに、ファックス短歌の会『猫又』を立ち上げ、自らの人脈を生かして集めた作品たちを穂村弘さん、東直子さんとの座談会形式で解説する、という構成。日頃短歌など詠まない人たちがお題を与えられ、わけもわからず詠んだ作品たちなのに何故かこれがすごく面白い。
最初に引用した短歌は競泳の千葉すず選手が詠んだ作品。「ヤクルトの古田のメガネ」は一定の年齢以上でないと理解ができないかもしれないが、知っている人なら大体すぐ頭に浮かぶ。監督や解説者時代の古田ではなく、野村ID野球の申し子としてヤクルトスワローズの正捕手をしていた時代の古田選手だ。気になる人は「古田敦也 選手時代 メガネ」でググっていただくと見た瞬間、これか、と気付けると思う。
…なんというか、衝撃的だった(メガネではなく収録作品が)。定型かどうかも怪しい作品たちに対してごく当たり前のように穂村さんと東さんが解説していく展開に、短歌って本当に自由なんだなと痛感したし、肩肘を張って詠まなくてもいいことを思い知らされた。
インドにはいろんなことがあるもんでたまごの黄身も白くてびっくり/鶯まなみ
ふと思う 日の丸の赤をきいろに そんなバカな/ターザン山本
あなたはいわしの骨よとびきりの 弱くしなって刺さると抜けない/ねむねむ
そやからなそこをおさえなあかんねんおさえへんからプリッといくねん/えやろすみす
なにより良かったのは東さんと穂村さんが『猫又』同人の作品を解説する中で、作歌においてやってもよいこと・やらない方がよいことを、ごく自然に示してくれているところ。一字空けの意味、安易に使いがちな単語を使う覚悟、句またがりが読者に与える効果、一首の中で使う動詞の数をどう考えるかなど、短歌を詠むときの基本的な心構えはひととおり学べたように思う。
扉の向うにぎつしりと明日 扉のこちらにぎつしりと今日、Good night, my door!/岡井隆
同人以外の作品も解説の中で時折引用される。強引なルビはなるべくつけない、つけるならとことん攻める、という示唆をもらったのもこの本だった。
これとは対照的にもう1冊、ひたすら「写経」をした歌集がある。コピーライターの世界では名作コピーを書き写すことで書く技術が上達するという教えがあり、短歌を上手に詠むために「とにかく写経だ」と思い込んでいた当時。
噴水に乱反射する光あり性愛をまだ知らないわたし/小島なお『乱反射』
近年になり復刻版も発売されたが、私が「写経」したのは2007年に発売された角川書店版のほう。丁寧に描写される景色とその着眼点の面白さ、さらには景色に委ねられた感情が立ち上がってくる感覚。届けたい想いを景色の描写に背負わせるという詠み方を答えから紐解くように書き写してコツを掴もうとしたのが懐かしい。
もう二度とこんなに多くのダンボールを切ることはない最後の文化祭
一面のはすの葉揺らす夏のかぜ陽炎みたいな世界にひとり
デラウエアひとり食むとき水滴がひたりひたりと夜の腕つたう
一冊に通底する仄寂しさや孤独感がページをめくるたびに蓄積して、読み終わる頃には心に穴を空けられるような一冊。『短歌はじめました。』で触れた作品とは対極にあるようなこの作品群もまた同じ短歌であることがとても興味深く、そのどちらも面白いと思ってしまったせいで長らく自分の作風が定まらない原因にもなった。
(というか正直、いまだに自分の作風が固まっているとは思っていない笑)
懐かしさのあまり一気に書き殴ってしまった…。
あらゆる試みを許してくれる懐の広さが短歌の魅力なんだとしたら、早々に作風やテーマを固定することが勿体無くも感じるし、これからもマイペースに自分が短歌を楽しめる方法で付き合っていこうと思う。
この文章を書いた人
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田中ましろ
歌人、写真家、映像作家。2010年より短歌×写真のフリーペーパー『うたらば』を企画・制作。近年は短歌と写真や映像を組み合わせた作品づくりに力を入れています。
歌集に『かたすみさがし』、写真歌集に『燈心草を香らせて』『ストレイシープ』など。
X: https://x.com/tnkmsr
Instagram: https://www.instagram.com/mashiro_tanka/
YouTube: https://www.youtube.com/@tnkmsr_tanka
自選短歌
記憶ひとつも上書きできない人間は高性能で不器用すぎる
今回紹介した短歌の本
- 『短歌はじめました。 百万人の短歌入門』穂村 弘, 東 直子, 沢田 康彦
- 『乱反射』小島なお