短歌のターニングポイント<1>〜はじめて結社の見学に行った日〜

エッセイ

現在、短歌結社「かりん」に所属する小田切拓が結社に入会してから体験したこと、その後挑戦してみた新人賞のことなどをシリーズにして話していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

*「短歌結社とは」?
短歌の掲載誌を発行したり歌会などの活動を行う集団。主に主宰者と他の選者などの方が中心となって活動する。その人に合う結社選びをすると、自作の成長や豊かな人間関係にもつながる。

短歌結社に入るまでの話はこちらから。

 

短歌結社に入ると決めたものの、僕にはあまりにも予備知識が無かった。

今でも現役で当時知っていた歌人は、馬場あき子、佐々木幸綱、俵万智、穂村弘、枡野浩一のみ。歌集も『サラダ記念日』とあと数冊だった。これでは、どこの結社に入れば良いのか判断が出来ない。

それでも、国語便覧で好きな歌を見つけてから、学生歓迎の結社を探した。

とりあえず「かりん」と「心の花」が見学できそうだったので、前者の連絡先を調べて「かりん」の見学に行った。

2015年の1月のことである。「かりん」本部に連絡すると、日取りと場所(中野サンプラザ)を教えて貰った。

会場には、少し離れたところに馬場あき子先生が座っていて「教科書や便覧の世界の人を初めて実際に見るなぁ」と少し不思議に思った。

最初の歌会で見てもらう歌はとっておきの作品にしたい。書き溜めた中から「考える短歌」と読売歌壇に掲載された歌をまとめてメモしてきた。

今にして思うと、どの作品を見て頂くかは選んでおくべきだった。歌会のルールと見学者がどんな経験が出来るかを簡単に述べておく。

普段からの参加者は、順番に指名されて歌の感想を貰う。感想を言う人も順番に指名して、他の人の歌の感想を言う。

一人当たり
①当てられた人の感想
②挙手による感想
③編集委員(全体のまとめ役)の感想

を貰う。感想を言うのも歌会でやることの一つと言える。

しかし、見学者にいきなり批評までさせてしまうのは負担が大きい。
それゆえ見学者は、自作を一首だけ持っていき、歌会の流れを見学する。そして自作の感想だけを少し多めに時間を作ってもらい意見を会員が言う。

その時、なるべく馬場先生や実績のある歌人から感想をもらえるように司会の方が段取りをしていく。

だから、その時の僕は、歌を持っていくなら一首に絞るべき状況だった。

しかし、司会の方が歌を持っていくと、馬場先生は歌を何首もスッと読んで、

「これが良いじゃない」と言った。

こんなにも哀しみ抱え生きてても授業に出れば春はあけぼの

蓬莱の玉の絵なんか渡してもあの子は困った顔をするだろう

上記の2首を褒めて貰った。初めて来た初心者だから暖かく迎えてくれた部分もあったのかもしれない。しかし、持っていった歌の中でこの二つの歌が馬場先生の作風・テーマである「現代を生きる自分と古典の融合」に響いたのかな、そうだったら嬉しいと思っている。

ところでこの二首とは別に、以下の歌も取り上げて貰えた。

誰からも見えない花に水をやるあなたみたいに強くならなきゃ

その時に、この歌の解釈をどう取って貰えるかで少しハラハラしていた。

と言うのも、今まで他の人に見せて、

「誰からも見えない花にも水をあげているあなたみたいに強くならなきゃ」

という意味で作ったのだが、

「誰からも見えない花に水をやる。あなた(花)みたいに強くならなきゃ」

と解釈されることも多かったからだ。もちろん、歌をどう解釈するかは人それぞれだし、作者の意図が汲み取られないのであればそれは僕の実力不足だ。

それだけわかりづらい歌だったと言えるけれど、米川千嘉子さんが、

「作者はおそらく、誰かが見てなくてもお花に水をやる強さを持つあなたに憧れがあるのでしょう」

と言ってくださった。自分の投げたボールが、米川さんのミットに収まった気がした。

嬉しさのあまり、

「米川さん、合ってます!!」

と絶叫してしまい、

「こんなこと言って大丈夫だったかな……」

と我にかえって青ざめた。

でも、米川さんはさらっと流してくれてむしろそのお言葉で会場は笑いに包まれた。

褒める褒めないより、自分の意図を理解してくれたことや、同じ絵を描けたことが嬉しかった。そして、師弟関係はあっても、そこに風通しの良いさまざまな年齢の人間関係があることに惹かれた。

「心の花」も興味はあったけれど、今日の出会いは運命だ、と思い、歌会を終える頃には「「かりん」に入ろう」と即決していた。

その日の歌会後は、馬場先生と皆で喫茶店「ルノアール」でお茶をした。その後も、中華料理店でご飯を食べながら歌のアドバイスを貰えた。とても貴重な機会である。

「表記に迷ったら平仮名にするといい」
「歌の題材に迷ったら辞書を引いてみなさい」
「歌人は50代から良い時期が始まるのよ」

特に最後の言葉は、勇気と説得力を貰える言葉だった。歌人のピークはずっと先にある、長い旅路で構わないんだという勇気。

そして、50代以降で良い歌をたくさん作る新しい先輩たちの存在が何よりの説得力だった。

それから毎月10首郵送し、郵送した月の2ヶ月後の号に掲載された5〜8首の中から一首を歌会で評し合う日々が今も続いている。

僕は土日出勤も多く東京から遠いため、近年なかなか歌会に参加できていないが、つくば支部で活動することが多い。オンライン歌会にも復帰しようと思う。

つくば支部やオンライン歌会については、この連載でまた後ほど取り上げたいと思う。

そして、同じ時期に入った仲間も増えて「若月会(みかづきかい)」という若手の掲載欄や活動もどんどん出てきた。

そして、「かりん」に入った僕は、「全国大会」などの多くのイベントに参加することとなる。

(続く)

 

この文章を書いた人

小田切拓

92年生まれ。「かりん」所属。18歳の時、手に取った雑誌で短歌投稿コーナーを見つけ、歌を詠み始め楽しさを知る。友人が引くほどのサッカーオタク。第29回現代学生百人一首入選。第42回かりん賞受賞。第66・67・68回角川短歌賞予選通過。

Twitter:@rKGlC6f6HEUiU2r

note:https://note.com/takuan12/

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