平成2年(1990年)生まれの歌人が、「自分自身の29年間を振り返る短歌を詠む企画」、「あなたの29年間は」、全6回の連載ですが、今回で4回目、後半戦のスタートです。
今回も、
・自身の29年間を振り返る境涯詠(短歌20首連作)
・ミニエッセイ
をご紹介します。
第1回 神丘風さん、嫉妬林檎さんの作品はこちら
第2回 神丘風さん、嫉妬林檎さんの作品はこちら
第3回 なべとびすこさん、継野史さんの作品はこちら
山下翔
『白桃』
ひとり母に父の四人が一人づつ子を生ましめてわれら兄弟
アイスの実〈白桃〉のひとつぶひとつぶにまじりてゐたる桃の汁あはれ
はつなつのよべよりつづく雨のすぢ太くなりつつ晴れあがりたり
アガパンサスの花を散らして降りたりし入梅のまへの雨のかそけさ
窃盗の父をむかへに行きしとき橋の往来に雪ながれをり
雪の日の父の車の助手席にはなやぎゐたり小学一年のころ
籠いつぱいの蜜柑とどきて冬ぢゆうを食べて凌ぎしこともありたり
包丁にいろいろの切り方剝き方をためせば蜜柑のひと冬が過ぐ
子を宝ならしむるは親の業なりと彫る碑も古びたるかな
あぢさゐの路をあゆめばおもひだす花咲くごとく球成るごとく
紫陽花ははじめからそこにあつたのに咲いたときだけがあぢさゐの露
父の日と言ふときにおもふ父の顔ひとつもあらずわれは忘れて
〈平和園〉知らざるわれが会ひたりし名古屋の朝に四人目の父
酔ひふかき知らぬをとこにからまれて啜りをへたる台湾ラーメン
甘鯛のフライひたして雨の夜のウスターソースは口がおぼゆも
千切りのキャベツにかけて豚カツにかけて目玉焼きにもかけて食ひしよ
たのみたる肉焼けていく網の上のかぎろひの町の雨もゆらげる
反りかへる傘をもどして歩き出すなにごともなかりしごとき顔して
けはひして身をちぢむれば影ゆきて黒き揚羽の体がさまよふ
口の渇きが喉へおよんでいくときの朝たれの手かわれを絞りぬ
ひとり立ち
物心ついて以来、ひとり立ちということをずっと考えてきたようにおもう。
いつかひとり立ちをする。ここではないどこかに出て、わたしを知らない人たちと、まっさらな人間関係のなかで自分の望む暮らしをする。ささやかだが欲しいものを手に入れて、一緒にいてほしい人たちに囲まれて、なにかを心配したり不安におもったりせずにすむ暮らし。
そういうものが、ここを抜け出したところに当然のごとくあると、信じていた。だから我慢をした。にこにこして、できるだけ波風をたてず、いまをやり過ごすことに集中した。簡単なことではなかった。それなのにいつも、そんな暮らしはどこにもなかった。その場凌ぎだけがうまくなった。ひとり立ち、ということを全然わかっていなかった。
どんな人にも逃れようのない人生がある。自分という身体と、自分が自分であるという感覚とをだれもが逃れがたく抱えている。ここではないどこかに逃れたとして、逃れるわたしだけはどこまでもついてきて離れない。
だからいまを、生きるよりほかない。そういうことが少しずつわかるようになってきた。それなのに、ともおもう。
今でも時折、ここではないどこかを夢想してしまうのだ。
『白桃』山下翔 作者紹介
長崎県生まれ。福岡市在住。二〇〇七年、短歌をつくりはじめる。二〇一八年、歌集『温泉』を刊行。第四四回現代歌人集会賞、第四九回福岡市文学賞(短歌部門)、第六三回現代歌人協会賞を受賞。「やまなみ」所属。
・ブログ 凡フライ日記
・Twitter @Yamashio_
自選短歌
草食んでぢつとしてゐる夜の猫とほいなあ いろんなところが遠い
西村曜
夢に遅れて来た子ども
一九九〇年十月彦根市生
崩壊と崩壊の間に生まれ来てケーキの苺はさいしょに食べる
おねえちゃんだからねおねえちゃんだから蟻の巣穴に注ぐカルピス
西暦を認識したのは一九九九年、歴史を認識したのは二〇〇一年九月
チャンネルはそこで変えられ十歳のわたしは後の崩壊を知らず
絵画棟森閑として思い出す過去は想える未来と同じ
二〇一一年某月 京都の私立美大に在学
かつて夢みた将来はセーラームーンいまなら卒業そしてプリキュア
同年三月
「突の字の『大』のとこさあ、来るなって手を広げてる人っぽいよな」
同年八月石巻市
崩壊のまた壊滅の街に来て平沢進の歌詞をおもった
平沢進「RIDE THE BLUE LIMBO」(二〇〇三年)
残骸に被われる陸 まだ何も見ていない目を見開いている
二〇一二年十二月 就職活動解禁
何も見ていない目で見る四季報の四季にさくらは咲くのだろうか
二〇一四年四月 大学卒業
死にたさはこぼしはしたが拭くまでは至らなかった豆乳飲料
履歴書の「卒業」からの空白を陸地のない白地図と呼びたい
れーめんおくちかられーめんおくちから冷麺を置く力ならある
二〇一五年六月 短歌をはじめる
青葉雨。投稿フォームに満ちていく架空のあなたとの相聞歌
二〇一六年四月 未来短歌会入会
未来とは未だ来ない今そのときに白あんパンを手に取るだろう
あなたって彼方のことだ胸過ぎるとおい球場レフトの座席
二〇一七年某月神戸市
ここもまた傷をもつ街 花時計前に落ち合い肉食いに行く
二〇一八年八月 結婚
二人称「あなた」が固有名詞になるヤバさにしばし目を剝いている
同年同月 第一歌集『コンビニに生まれかわってしまっても』
Oさんに『コンビニ』よかったよと言われコンビニオーナーみたいな気持ち
わたしなら夢に遅れて来た子どもケーキの苺ははんぶんこする
二〇一九年八月神戸市
崩壊の壊滅のいま澎湃(ほうはい)の街にひと時暮らす、あなたと
すいかあるいはカレーのおかわり
二〇一八年の夏に第一歌集を出し、秋に母を亡くした。わたしの短歌の子ども時代も、またわたし自身の子ども時代も昨年でかんぜんに終わったのだとおもう。
わたし自身の子ども時代は、中高での不登校を経て高卒認定受験、なんとか美大に進学するも就活で病み大卒後はひきこもりと「生きづらさ」を絵に描いたようなものだった。ただでさえ心配性の母は、人と同じ生き方ができない娘を心配しつづけた。そんな母が何度も誇らしげに語るわたしについてのエピソードがあって、それは幼稚園のお昼の時間にすいかだかカレーだかが出て、わたしがそれをおかわりした、というものだ。それだけの話を母は事あるごとに繰り返した。
痩せぎすでちりちりのクセ毛で、お絵かきと絵本がすきで「もっとおそとであそびましょう」と連絡帳に書かれて帰ってくる、人見知りではにかみ屋で、運動会のお遊戯で一人だけ立ち尽くしている、そんな子が、みずからすいかだかカレーだかをおかわりした。こんな子だけど、生きていけそう。母はそうおもったにちがいない。だから繰り返しこの話をしたのだ。
母がいないいま、だからわたしがわたしにこの話を繰り返すしかない。こんなわたしも、生きていけそう。わたしはすいか、あるいはカレーのおかわりのぶんだけ、世界に自己を主張できる。
『夢に遅れて来た子ども』西村曜 作者紹介
未来短歌会所属。第一歌集『コンビニに生まれかわってしまっても』(書肆侃侃房)
Twitter @nsmrakira
自選短歌
コンビニに生まれかわってしまってもクセ毛で俺と気づいてほしい
次回予告
次回は11月11日(月)の公開を予定しています。
*「あなたの29年間は」連載、まとめて読むにはこちらから