現在、短歌結社「かりん」に所属する小田切拓が結社に入会してから体験したこと、その後挑戦してみた新人賞のことなどをシリーズにして話していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
*「短歌結社とは」?
短歌の掲載誌を発したり歌会などの活動を行う集団。主に主宰者と他の選者などの方が中心となって活動する。その人に合う結社選びをすると、自作の成長や豊かな人間関係にもつながる。
前回の若月集と若月会に気付かされた話はこちらから。
「短歌のターニングポイント」も最終回となる。ここで、馬場あき子先生との新たなエピソードと、最後に伝えたい思いを書きます。
結社に入って1,2年目のことだったと思う。自作の短歌を東京歌会で披露した。
棚の奥付箋だらけの本二冊努力は認める、明日は元旦
この粘っこいネチネチとした歌を、馬場先生が添削してくださった。それは、歌評でもあり、アドバイスでもあり、背中を押す(叩く?)それらのすべてだった。
棚の奥付箋だらけの本二冊すべて忘れる、明日は元旦
そして馬場先生は、笑顔でこう付け加えた。
「努力を認めているようじゃだめよ。すべて忘れなさい。すべて忘れて新しい年を迎えるのよ」
今にして思うと、今までの連載記事の総括とも言えるような添削とご指導のお言葉だった。
ところがあろうことか、23,4歳の僕は心の奥で拗ねてしまった。多分、顔に出ていたと思う。若さと無知は恐ろしい。
短歌の最前線を走るレジェンドに心から応援してもらったのに、自作の至らなさも認めない図々しさ。あの頃を思うと冷や汗が出る。
家族の中でも特に本好きではあるが、短歌には疎い母に、この話をした。
「へえ、馬場先生ってことはもちろん馬場あき子さんでしょ。すごい人に見て貰ったね」
馬場先生の添削の話をすると、文学に一定の理解がある人は先生のすごさに引っ張られてしまいすぐに返答を返してくれない。
「『努力を認める』を『すべて忘れる』にねえ……バッサリ変えたね」
そうなんだよ。やっぱりその方がいいかな?
「私もそう思うよ。努力を認めてるようじゃダメじゃん。すべて忘れなきゃ。それにしても、一言直すだけで、短歌ってこんなにも変わるものなんだね~」
今なら、分かる。忘れたくないことも、二度と思い出したくないことも、すべてクリアにして再生するべきなのだ。未練がましく付箋をベタベタといくつも貼っている場合ではないのだ。
そして今年、こんな歌を詠んだ。
こんなにも面白すぎる人生に夜明けが来ないわけがないだろう
瀬尾まい子さんの小説が原作の映画『夜明けのすべて』を見て詠んだ歌である。
この連載で昔紹介した歌と比較してみて欲しい。
こんなにも哀しみ抱え生きてても授業に出れば春はあけぼの
「こんなにも」溢れだしそうな哀しみを叫ぶことから始まった歌人は、「こんなにも」面白すぎる人生に夜明けはきっとくる、そう歌えるようになったのだ。
そして最近思い至ったことは、気づいたらもう夜は明けていたこと。また終わりのない暗闇のような夜も来るかもしれない。それでもまた夜明けは必ず来るのだ。
そして、タイトルの回収で締める。最近、書店で短歌コーナーが組まれたり、Xで短歌をつぶやく秘かなブームがじわじわときている。
それでも「敷居が高い」と感じる人は多いと思う。
実際、才気走った人のヒリヒリとした歌を読むと共感を超えたものを感じる。萩原慎一郎さんの歌集『滑走路』を読むと、生きづらさに耐える若者の息遣いが伝わってくるのだ。
非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている
牛丼屋 頑張っているきみがいて きみの頑張り時給以上だ
遠くから みてもあなたとわかるのは あなたがあなたしかいないから
/『滑走路』萩原慎一郎
ただ、僕は決して萩原さんのように劇的な出会いとともに短歌を始める必要はないと思う。自分自身、短歌に気持ちを救われた経験があるけれど、TANKANESSライターの貝澤駿一君のポストを読んで、本当にそうなんだよと思った。
小田切くんのエッセイみたいに、人が短歌と出会ったエピソードはすごく興味深いんだけど、歌を始めた理由にきっかけを求めすぎなくてもいいかなと思う。きっかけがなくても歌は詠んでいいものだから。
22:32・2022/5/10
ドラマチックなきっかけも、才能や適性すらいらない。偉そうに語る僕だって才能などないけれど、短歌のおかげで人生に彩りが生まれた。
始めたいと思ったら気軽に始めてみてほしい。メモ帳でもスマホでもAndroidでも、Xに一首ポストするだけでも、何でもいい。
短歌は特権ではない。言葉をリズムに乗せて詠むことは、声を出して歌うこと、丸いボールを投げたり蹴ったりして遊ぶことのように、誰もが気楽に楽しんでいい、それが当然である。
できれば承認欲求のためではなく、没頭できる充実した生きがい、あるいはささやかで楽しい趣味として始める人がいたら嬉しいなと思う。5・7・5・7・7のリズムは誰の心にも開かれている。
この連載で気づいたことは、沢山ある。一つだけ言えることは「人は一人では生きていけない」ということ。
短歌を詠む時、人は一人だ。でも、短歌の道を進むとき、人は必ず誰かと向き合い反射しあって生きていく。
僕はどちらかといえば人見知りだ。あまり気が利く方でも懐が深い訳でもない。歌会も交友関係も、どうしても地元で完結しがちだ。
でも、お盆に友人たちが来てくれた時のことを思い出す。遅くまでいてくれた友人に、仕事で悩んでいることを伝えると、黙って聞いてくれた。そして、ある音声合成ソフトウェアを教えてくれた。アニメキャラが沢山いて、クリックするとそれぞれの声色で喋る。
「自分で考えた文章を各キャラに話させることができるんだよ。これなら」
友人は淡々と言った。
「これなら、拓の書いた言葉に音をつけられるだろ?いろんな可能性が広がると思うんだ」
この一言を聞いたときに、これは裏切れない、と思った。この誠実さを反射させたような歌を詠み続けるぞ。お盆の夜のひと時は、新たな決意になった。
そして、働く日々を50首の連作にした「プロレタリアな僕たち」が角川短歌賞の予選を通過した。来年も応募すること、歌を詠みたくなる日々を繰り返すことが目標だ。角川短歌賞は新人賞だから、応募資格は不問である。
角川短歌賞は朝の連続ドラマ『舞い上がれ!』に登場する「長山短歌賞」のモデルだ。ヒロインの夫・梅津貴司に又吉直樹演じる古書店「デラシネ」の主人・八木巌が語りかけた。
嬉しさは
忘れんために
悲しさは
忘れるために
短歌にしてみ
三十一文字、すなわち五七五七七があれば、人の心根を好きになる気持ちがあるうちは僕は歌い続けるだろう。前者に関しては絶対に間違いない。もう千年も前から、愛だの恋だの、理不尽だの家族に会いたいだのこの国の皆で歌い継いできたのだから。それも全く同じリズムの言葉で。
その一員になれるのはほんの些細な思い付き一つ次第。そして、仲間が増えるのも見学一つ次第である。
どうですか?皆さん。短歌結社に入りませんか?ほんの少しだけ勇気を出して飛び込んだ世界で、新しい景色が見られるかもしれない。
今まで僕の自分語りの多い連載に付き合っていただき、誠に感謝しております。最新の記事から読んだ人も、途中から読んだ人も、もし良かったら他の回も見てください。お待ちしております。
ありがとうございました!いつか、また新しい記事で!
この文章を書いた人
小田切拓
92年生まれ。「かりん」所属。18歳の時、手に取った雑誌で短歌投稿コーナーを見つけ、歌を詠み始め楽しさを知る。友人が引くほどのサッカーオタク。第29回現代学生百人一首入選。第42回かりん賞受賞。第66・67・68回角川短歌賞予選通過。
Twitter:@rKGlC6f6HEUiU2r
note:https://note.com/takuan12/
自選短歌
落ち込んで「辛い」とぼやく僕の手を祖父が黙ってギュッと握った
記事内で言及した短歌の本
短歌のターニングポイント バックナンバー
短歌のターニングポイント<1>〜はじめて結社の見学に行った日〜
短歌のターニングポイント<2>〜はじめて結社の全国大会に参加した日〜
短歌のターニングポイント<3>〜はじめて結社内の新人賞を受賞した日〜
短歌のターニングポイント<4>〜はじめて学生向けの新人賞を受賞した日〜
短歌のターニングポイント<5>〜はじめて3大新人賞に応募した日〜
短歌のターニングポイント<6>〜はじめてオンライン歌会に参加した日〜
短歌のターニングポイント<7>〜若月集と若月会に気付かされたこと〜