僕が短歌結社に入るまで<3>

コラム

現在、短歌結社*「かりん」に所属する小田切拓が、はじめて短歌を作ってから短歌結社*に入るまでのことを記したエッセイを3回に分けてお送りします。
第1回でははじめて短歌を作ったきっかけと、俵万智さんが選者をつとめる雑誌「考える人」の投稿欄に投稿した日々のこと、第2回では新聞歌壇に投稿していた頃のことを書きました。

第1回はこちら
第2回はこちら

*「短歌結社とは」?
短歌の掲載誌を発行したり歌会などの活動を行う集団。主に主宰者と他の選者などの方が中心となって活動する。その人に合う結社選びをすると、自作の成長や豊かな人間関係にもつながる。

 

僕が短歌結社に入るまで<3>同世代を意識したきっかけ〜新人賞受賞作を読んで

苦しんだ中学時代や、通うこともできなかった高校時代から一転、僕は遅れてきた青春を取り戻していた。

もちろん、学問、友情、恋愛とすべてが上手くいったわけではないが、大学生活は楽しかった。加えて、地元の親友たちとの友情も続いていた。地元の友人とキャンプに行ったり、都内の大学の皆でタコパしてみたりと、若者らしいことをするのも久しぶりだなあと感じた。その、若者らしいことを楽しむのが相変わらず下手な自分にも気づいていた。

そんなバタバタした日々も板についてきた2013年。東京・神保町の書店で手に取った雑誌『歌壇』9月号を読んで、僕は衝撃を受けた。

佐伯紺さんの歌壇賞受賞作「あしたのこと」。短歌の世界にはいくつもの新人賞があり、その中でも角川短歌賞、短歌研究新人賞、歌壇賞の3大新人賞は若手歌人のひのき舞台である。

しかし、そんな背景も知らずに読んだ「あしたのこと」という連作30首は僕にとって鮮やかだった。そもそも、この時僕は「連作」とは何なのかすら知らなかった。

連作とは、複数の短歌が(ある一定のまとまりをもって)並べられているものだ。5首連作もあれば、50首連作もある。

角川短歌賞は50首、短歌研究新人賞と歌壇賞は30首の歌を構成し、それを郵送して審査する。近年では、ネットフォームから応募できる「笹井宏之賞」も注目されている。笹井宏之賞は50首応募で、副賞が自作の歌集を出版してもらえるというものだ。賞金は角川短歌賞が30万円、短歌研究新人賞と歌壇賞が20万円である。

少し話が逸れたが、この「あしたのこと」の中にある歌の捉えどころのない魅力的な歌に、僕は驚いた。連作の中で一番好きな歌が

寝た者から順に明日を配るから各自わくわくしておくように/佐伯紺

だった。そして、作者が自分と同世代だと知る。同い年の大学生がこんなすごい歌を作るんだと目から鱗の気分だった。僕もこんなに肯定感と希望に溢れた歌を詠みたいと思った。

新人賞に応募しよう。そう決めて、「考える短歌」に応募した歌もすべて取り下げてほしいとメールを送りさっそく連作を作った。

しかし、連作というもののコンセプトを知らないから、どうしてもうまくいかない。具体的に言うと、必要以上に物語風にぎちぎちに内容を詰めてしまったのである。そうすると、一首一首の歌の意味が薄れていってしまうのだ。

連作のための一首になってしまうという悪循環。僕はのちに俵万智さんのエッセイ集『りんごの涙』で「連作について」という文章を読んだ。曰く、連作のテーマは

いわばおだんごの串のようなもの。ひとつひとつしっかりした味と形を持った短歌というだんごを、ひとまとまりにつなげるのが役割である。味わうのはだんごのほうであって、串ではない。食べていくうちに串の存在にも気づいてゆくわけで、はじめから串ばかりが目立ってはつまらない

とのことだ。的確なたとえである。

自分は独学でやってきたから短歌のイロハを知らない。佐伯さんは早稲田短歌会だが、僕が他の学生さんと母校・東洋大学で短歌会を開くのはもっとずっと先のこと。大学3年当時、短歌に興味のある友人が学内にいなかったこともあり、僕は短歌結社に入ることを決意した。

ここまでが僕が短歌結社に入るまでの話である。この先の短歌結社に入ってからの話もまたの機会に書きたいと思います。よろしければご覧ください。

 

この記事を書いた人

小田切拓

92年生まれ。「かりん」所属。18歳の時、手に取った雑誌で短歌投稿コーナーを見つけ、歌を詠み始め楽しさを知る。結社に入り、より倍増。友人が引くほどのサッカーオタク。第66回角川短歌賞予選通過。

Twitter@rKGlC6f6HEUiU2r

自選短歌

落ち込んで「辛い」とぼやく僕の手を祖父が黙ってギュッと握った

 

記事内で言及した短歌の書籍

『りんごの涙』俵万智(文藝春秋 )

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