短歌の「評」ってどう書くの? ~一首評、連作評、歌集評を書いてみよう~

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みなさんこんにちは。TANKANESSライターの貝澤駿一です。

このライターとしての活動も含め、僕は短歌について何か文章を書く依頼をいただくことがあります。ある一首の短歌についてその批評や鑑賞を書く「一首評」や、連作について書く「連作評」、そして、一冊の歌集について論じる「歌集評」などです。

掲載される媒体(大きく分けて個人のnoteや同人誌などに載せるケースと、総合誌や結社誌からの原稿依頼のケースがあります)やヴォリュームも様々です。僕は短歌を作るだけでなく、短歌についてきちんと論じることも大切だと教わってきたので、こうした文章を書くことも大事な活動のひとつだと思っています。

時々、初心者の方から「短歌の評ってどうやって書けばいいの?」という質問を受けることがあります。この質問に答えることはすごく難しいです。理由は二つ。一つ目は、この世界には膨大な数の短歌や歌集があって、どんな風に論じればいいかという統一的な理論はないから、二つ目に、短歌の論じ方を教わった記憶がないからです。 

そこで、今回は「短歌の評の書き方」について、僕自身がどのように短歌を論じているかを整理しながら、簡単にポイントをまとめていきたいと思います。短歌を詠むだけではなく、読む力もつけたい、自分の気に入った作品や歌集について何か書いてみたいけど、コツがよくわからない、そんな方々に読んでいただければ幸いです。

短歌の「評」ってどう書くの? 

対象となる歌集を選ぶ

今回は、一冊の歌集の中から、一首評・連作評を書き、最後にそれを歌集評としてまとめます。

選んだ歌集は、千葉聡『微熱体』です。『微熱体』は、「かばん」に所属する千葉聡さんの第一歌集で、初版は2000年ですが、2021年に「現代短歌クラシックス」として復刊されています。僕はこの歌集が大好きで、初版を大切に読み続けてきたのですが、まだ論じたことがありませんでした。そこで、この機会に取り上げて論じてみることにしました。 

ちなみに、依頼される歌集評では、「これについて書いてください」と指定されることが多いのですが、今回は自分で対象の歌集を選びました。その際に気を付けたポイントは、以下の3点です。単純に好きな歌集でもいいのですが、感覚としてやはり書評がしやすい歌集、しにくい歌集というのがあるので、こんなふうに考えました。

  • 自分にとって共感する場面が多い
  • テーマ性がはっきりしている
  • 文体や表現にわかりやすい特徴がある

それぞれについてもう少し説明します。 

「自分にとって共感する場面が多い」というのは、裏を返すと、作者のバックグラウンドがわかっていて、それと現在の自分を照らし合わせて読むことができるということです。『微熱体』のころの千葉さんは、いまの自分とほぼ同年齢であり、ややモラトリアム的な青春を送っているという点が共通しています。そのため、歌集の世界にすっと入っていきやすいのです。
最近では自身のバックグラウンドを公表しない歌人も多いですが、そのような場合も作品から作者の人間像が見えたり、置かれた環境が推測できたりする歌集だと、そうでない作品に比べてずっと論じやすいと思います。
 

次に「テーマ性がはっきりしている」ですが、これは僕が歌集を読む際に、その歌集のテーマ性を重視するからです。歌集のテーマは、最初からなんとなく想像できる場合と、読み進めながら気づく場合があります。『微熱体』は青春歌集であり、初めから明確なテーマがあります。しかし、読み進めていくうちに、ここで描かれている「青春」にはどこか違った影があるということに気づきます。そうしたテーマ性を深く掘り下げながら、歌集評を書くといいと思います。

最後に「文体や表現にわかりやすい特徴がある」です。僕は短歌を内容面と形式面の双方から論じるべきだと思っています。
歌会の発言でもそうなのですが、形式面(つまり、口語か文語か、韻律は定型に近いか、表現は自然か、といったこと)にまったく触れない批評はあまり本質的ではありません。歌集として読むと、その作者の表現や韻律のクセが見える、悪く言えば目立つことがあります。そうした形式面で特筆すべきことがあれば、言及する必要があると思います。

ここでは主に歌集を選ぶ際のポイントを書きましたが、一首評や連作評で作品を選ぶときにも、同じことが言えます。連作から一首を選んで論じるときも同様です。ちなみに、一首評では、「この一首について書いてください」と依頼されることは少なく、「この作者のこの時期の作品について一首選んで書いてください」「〇〇というテーマで一首選んで書いてください」などと言われることが多いです。 

何が言いたかったのかと言うと、短歌を論じるときに、「何を論じるか」は「どう論じるか」と同じか、それ以上に重要だと思います。たくさんの作品に触れていれば、自然と「これについて書きたい!」というインスピレーションを与えてくれる作品に出会うことも増えるでしょう。このようなインプットは短歌の活動をしていく上での基本だと考えています。

一首評を書いてみる

千葉聡『微熱体』の中から、一首を選んで評を書いていきます。なお、一首評はしばしば「一首鑑賞」とも呼ばれます。僕はどちらかと言うと「一首鑑賞」という響きのほうが好きなのですが、両者に質的な違いはないと思います。

基本的には、短歌の鑑賞は自由であるべきですが、一首鑑賞は作品を読む際の道しるべになるものだと考えます。したがって、あまり複雑なことは考えず、その短歌を読むうえでポイントになることを、端的にまとめるといいと思います。また、形式面で分かりやすい特徴を指摘することも重要です。

こうした点を踏まえて、今回は『歌の背景の説明・鑑賞・韻律への言及』⇒『比較する他の作品への言及』⇒『まとめ』というフォーマットで、一首評を書いてみます。 選んだ作品は、〈真夜中の屋上に風「さみしさ」の「さ」と「さ」の距離のままの僕たち〉という歌で、文字数は600字程度にまとめました。以下がその全文です。 

真夜中の屋上に風「さみしさ」の「さ」と「さ」の距離のままの僕たち/千葉聡

 真夜中の屋上に「僕たち」が座っている。身を寄せ合うのではなく、微妙な距離感を保ちながらだ。そんな「僕たち」の間を、「風」が生ぬるく通り抜けていく。近づくわけでも、離れるわけでもない「僕たち」のこの感情を、きっと「さみしさ」と呼ぶのだろう。努めて明るく振舞おうとするような軽快な口語のリズムが、かえってそのやりきれなさを呼び起こす。⇒『歌の背景の説明・鑑賞・韻律への言及』

 この歌が収録されている歌集『微熱体』では、「さみしさ」は青春を支配するひとつの空気となって表出する。千葉にとって、青春とは常に「さみしさ」の連続なのである。

 夕凪の渚でしりとり「ささ」「さかさ」「さみしさ」なんて笑いとばせよ

 銀河系から脱皮せよ「さよなら」の「さ」と「よ」と「な」と「ら」舌で書く空

 歌集にはこの二首も収録されている。構造がよく似ているので、作者の手癖と言えなくもないだろうが、これらの歌が持つ「さみしさ」や「さよなら」への希求は読者の胸を打つ。千葉は「夕凪」や「渚」、「銀河系」、そして「真夜中」のように、どこか遠くにあるものに青春のさみしさを重ね合わせている。なぜなら青春は、いつか必ず遠くへ行ってしまうものであり、その遠さに触れようとして触れられないことそれ自体が、「さみしさ」であり、「さよなら」であるからなのだ。⇒『比較する他の作品への言及』

 掲出歌(※)では「距離」という、直接的に遠さを表す語が光っている。それ以上近づいたら毀れてしまうような、もろく儚い関係の中で、二人は青春の「さみしさ」を受け止めている。⇒『まとめ』

 ※掲出歌……一その論の中で話題になっている歌のことを指す、独特の用語です。

 

いかがでしょうか。一首鑑賞なのになぜ他の作品のことが書いてあるのかと思う方もいるかもしれませんが、別の角度から対象となる作品を鑑賞することで、それ自体に深みが出て、読みごたえも深まっていきます。また、今回は歌集内の(同じ作者の)別の作品にも言及するという形をとりましたが、歌の詠まれた社会的背景や、作者のバックグラウンドについて、あるいは他ジャンルの全く違う作品に言及するパターンもあります。

いずれにしても、一首鑑賞ではまず歌の大まかな鑑賞を提示して、そのあとでそれを補足するような説明を加え、最後にまとめるフォーマットが有効です。そしてこれは、基本的にはこの後書いていく連作評、歌集評にも共通するものだと思います。

 

連作評を書いてみる

では、次に『微熱体』に収められている連作「フライング」を評していきます。「フライング」は1998年に第41回短歌研究新人賞を受賞した連作です。ここでは、あらかじめ上で説明したフォーマットを生かしつつ、連作用にアレンジしながら書いていきたいと思います。構成としては、『連作を代表する歌の説明』⇒『連作の設定がわかる歌の説明』⇒『比較する他の作品への言及』⇒『連作の展開の説明』⇒『まとめ』という形です。文字数は800字前後を想定しています。以下がその全文です。

 明日消えてゆく詩のように抱き合った非常階段から夏になる(※)

 冒頭のこの一首は非常に鮮烈だ。「明日消えてゆく詩」という儚さと、舞台としての「非常階段」の危うさが、一度しかない特別な夏の場面を印象付けている。⇒『連作を代表する歌の説明』

 殺される役でケントが五秒だけ出ている映画をケントと見に行く

 ボクサーであり続けるため海沿いの道を走っているヒロである

 第三次選考で落ちた小説と僕は別れた 燃えるゴミの日

「フライング」はある青年たちの夢と挫折を描いた連作だ。「ケント」は俳優の卵、「ヒロ」はボクサーの卵、そして「僕」は小説家の卵。簡単に叶う夢ではないことは、本人たちが一番わかっている。そうした「僕」のモラトリアムを描きながら、「ケント」や「ヒロ」といった周辺の人物たちにも光を当てることで、「僕」の物語を「僕ら」の物語に昇華させている。その構造自体がとても青春的だ。(⇒『連作の設定がわかる歌の説明』)三人組の青春と言えば、例えば『ズッコケ三人組』シリーズ(那須正基)や、『夏の庭』(湯本香樹実)といった児童文学の傑作も思い出される。(⇒『比較する他の作品への言及』)千葉は躍動感のある韻律の力も借りながら、卵である青年たちが小さな子供の心をいつまでも保っているかのように、無邪気に、臨場感をもって描いている。

 連作の後半では、事故で帰らぬ人となった「ケント」への弔いが描かれる。それはとりもなおさず、ケントの死によって突然やってきた自らの青春の死に対する挽歌でもある。⇒『連作の展開の説明』

 ケント死す 交通事故の現場には溶けたピリオドみたいな今日が

 蛇行せよ詩よ詩のための一行よ天国はまだ持ち出し自由

「溶けたピリオド」はケントの死によって打たれた物語のピリオドであると同時に、親友を亡くしたひとりの青年の物語が、再び動き出すことを暗示する。思えばそれは「明日消えていく詩」のように儚いものだった。その儚い詩の一行を書き留めておくために、青年はペンを握ることを選んだのだろう。「蛇行せよ」とあえて自分を突き放す青年の心には、青春の死を詩の力に代えて歩んでいく決意がみなぎっている。⇒『まとめ』

※…連作評では、歌の引用の際に連作における位置を番号で付すこともあります。今回は(初出ではなく)歌集に収められた連作なので番号を外しましたが、新人賞の受賞作や総合誌掲載の連作を評するときは、番号を振った方がわかりやすいと思います。

 

連作を論じるときに最も重要なのは、その連作のテーマをはっきりと伝えることです。ただし、「フライング」は物語に近い作品であり、テーマやストーリーがわかりやすいので、それらを追うだけの感想文にならないように気を付ける必要があります。そのためには、やはり表現や韻律に注意を払ったり、同じようなテーマを持つ別の連作や他ジャンルの作品に言及したりといった工夫が必要です。

さて、最後に歌集評ですが、歌集評は書き手によって様々なスタイルがあるので、今回はあくまでも僕が『微熱体』を評するとしたらこんな形にする、というサンプルだと思ってください。

 

歌集評を書いてみる

 歌集評は、一首評や連作評をさらに拡大して、歌集全体について論じる文章です。一冊の歌集には、大ざっぱに言って300首〜500首程度の短歌が収録されています。短い文章でその全体像を伝えるためには、歌集に通底するテーマを見つけ、それらをもっともよく体現している歌を選んで論じることが重要です。

僕が歌集評を書くときは、まず、対象の歌集をざっと読み、いいと思った歌に〇を付けます。その歌集が自分の好みに合っているかにもよりますが、概ね10首〜20首ほどに鉛筆で〇を付け、再読して引用する歌を5首〜10首程度に絞ります。そして、それらをワードに打ち込み、大まかな構想を立てます。また、歌集の解説がある場合は目を通します。解説で触れられている歌と、自分が〇を付けた歌を見比べて、読みの方向性がぶれていないかを確認します。ここまでで一日くらいかけて、翌日から書き始めるパターンが多いです。

さて、今回はやや短めの、先ほどの連作評と同じ800字程度の歌集評を書きました。以下がその全文です。

 「かばん」に所属する著者の第一歌集。二十代前半から後半にかけての日々に出会った人たちとの「青春」を、瑞々しくもどこか儚げに歌っている。

 レイアップもできない僕を見てリョウは虹の所有者みたいに笑う

 星の出るころにはボール抱いたまま熟れゆく空を見てふざけたね

 一首目、「虹の所有者」という比喩のまぶしさが魅力的だ。「虹」はいつか消えてしまうもの、完璧には掴めないものを象徴する。「レイアップ」という一瞬の動作を切り取ったことも共鳴して、「リョウ」と「僕」が置かれた青春という日々もまた、決して永遠ではいられないことを暗示している。二首目、「熟れゆく空」からは時間の経過が感じられる。永遠だと思い込んでいた青春の日々も終わりを告げていくことを予感させる。

 大学をやめたマサルは空色の建設現場で働きだした

 圭ちゃんは汗をかかない まだ生きている星みたいにシェイカーを振る

 駅前の路上ライブの少年にまじってテオも夜空にうたう

 ケントからはしゃいだ電話「九月から舞台に立てる」二十二時 晴れ

 虹、空、海、光、星といったきらきらしたモチーフが目立つ作者だ。そしてそれらは「出会い」や「別れ」という、人と人が互いに惹かれ合ったり、離れたりする引力と分かちがたく結びついている。レイアップのうまい「リョウ」も、学問を捨てた「マサル」も、プロとして輝く「圭ちゃん」も、少年のように無邪気な「テオ」も、俳優の卵である「ケント」も、「僕」が描く世界の中で「僕」以上の輝きを放っている。歌集全体にちりばめられた光のモチーフが、彼らに淡くスポットライトを当てているのだ。

 この歌集は青春を生きる「僕」の物語であると同時に、「僕」を取り巻く様々な人物たちが繰り広げる、複層的な物語でもある。人物名の固有名詞が数多く登場するのが、この歌集の最大の特徴だ。単純な一人称の視点ではなく、生き方や考え方にそれぞれ個性のある複数の人物の視点から、「僕」は「僕」自身の在り方を見ているように思う。

  「嘘ばかり書くな」と僕の詩を破る君の瞳にうつる夏空

 

一首評や連作評よりも、言及する範囲を狭めて、この歌集の最も重要なテーマがダイレクトに伝わるように書いてみました。少し詳しく説明します。

最初の段落:著者と歌集の基本情報を簡単に記します。短い原稿では省くこともあり、長い原稿では逆に著者のバックグラウンドを詳しく書くこともあります。また、論じたいテーマについての前置きを書くこともあります。今回は省きましたが、もし『微熱体』をもう少しヴォリュームのある原稿で論じるなら、僕だったら心理学者や哲学者による「青春」の定義を引用したり、よく知られた青春小説からセリフを引用したりするかもしれません。

歌の引用①:まずは歌集の中でひときわ目を引く作品を引用します。今回引用した作品はどちらも歌集の冒頭近くにあります。冒頭はその歌集のテーマが色濃く表れる作品が置かれることが多いので、歌集評を書くときには注目すべきポイントです。

歌の引用②:次の引用では、歌集を通底するテーマに沿った作品を選びます。それは、書き手が歌集を論じる際に選んだテーマでもあります。今回は人物名の固有名詞が表れている歌を選び、そこから青春を論じる文章にしました。引用歌は一首ずつ細かく鑑賞するのではなく、要素を抜き出して共通点を整理するとコンパクトにまとまります。

まとめ:全体を統括する際に、わかりやすく「この歌集は〜である」と言い切りました。短い文章ではこれがすごく効果的です。また、最後は印象に残った一首を引用して着地させました。こうすることで、文章にも余韻を生むことができます。

 あまりいい方法ではないかもしれませんが、あえてこれらを図示してみます。

前置き(短い文章の場合はなくてもいい) 著者・歌集の基本情報(なるべく簡潔に!) 印象的な歌の引用・その説明 テーマに関係する歌の引用・その説明 まとめ (歌集評を締めくくる)歌の引用 

このフォーマットが万能というわけではないと思いますが、まずは練習でもいいから書いてみようという方は、ぜひ参考にしてみてください。

 

おわりに

今回は「評の書き方」というテーマでまとめました。普段、僕が短歌についての文章を書くときに、知らない間に意識していたことを、初めて言語化できたように思います。「評の書き方」と言えるほどのものではないかもしれませんが、ひとつのフォーマットとして、参考になればうれしいです。

学生時代に塾の先生をしていたころ、僕の主な生徒は中学受験をする子供たちでした。国語や算数を担当しましたが、作文の試験がある子には決まって作文の「型」を教えました。そのうちに、高校受験や大学受験でも、作文や小論文が必要な生徒が集まって、毎年のように対策講座をやっていたことを思い出します。「型」は、一度コツを掴めば自由に展開できるものなので、毎回の宿題で僕が教えた「型」を生かしつつ、工夫を凝らした作文を書いてきてくれる生徒たちのことが僕は好きでした。 

「型」にハマってしまうことや、「型」にハマることを強制する指導は控えるべきだと思いますが、「型」それ自体を否定することはできないでしょう。今回紹介した「型」はあくまでも僕が短歌の文章を書く際に意識している点をまとめただけですが、この「型」をスタート地点として、ぜひみなさんも好きな短歌・連作・歌集を論じてみてください!

それでは最後までお読みいただき、ありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう!

 

この記事を書いた人

貝澤駿一

1992年横浜市生まれ。「かりん」「gekoの会」所属。2010年第5回全国高校生短歌大会(短歌甲子園)出場。2015年、2016年NHK全国短歌大会近藤芳美賞選者賞(馬場あき子選)。2019年第39回かりん賞受賞。

Twitter@y_xy11

note:https://note.com/yushun0905

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