TANKANESS編集部対談〜橋爪志保&なべとびすこ

企画

こんにちは。TANKANESS編集委員の橋爪志保です。

今回は、短歌歴6年目の私、橋爪志保と、短歌歴5年目のTANKANESS編集長なべとびすこによる、TANKANESS編集部対談をお送りします。

それぞれがどういう経緯で短歌と出会い、何を思って短歌を詠んで活動しているのかなどをお互いに話し合いました。

 

また、先日お知らせしたとおり、橋爪志保が選者をつとめるTANKANESS投稿欄「階段歌壇(かいだんかだん)」の投稿も募集しております(2020年5月22日が締め切り)。ご応募お待ちしております。

橋爪志保

歌人。2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。その他の参加同人誌に、「鴨川短歌」「はるなつ」「あきふゆ」など。著作に、合同歌集『ベランダでオセロ』。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。
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自選短歌

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対談スタート!

まずはお互いの情報から

なべと:橋爪さんが短歌を始めたきっかけってなんですか?

橋爪穂村弘さんです。

なべと:あ、わたしもです。穂村さんのどの作品ですか?

橋爪:中学3年生のときの教科書に載っていたエッセイですね。「それはトンボの頭だった」という書きおろしエッセイだったんですけど、いわゆる穂村弘節、みたいな内容ですね、いま思い返すと。路上にトンボの頭が落ちていた、という内容の短歌を公募の選をしているときに見つけて、すごくいいなと思った、と。トンボの頭っていうのは社会的には無意味で役立たないものだけれども、詩の世界になると、途端に輝きだすアイテムだ、みたいな内容だったと思います。

なべと:穂村弘節ですね~(笑)

橋爪:わたしはその当時、詩や小説とかはすでに書いていたんですが、「わたしが文学に求めていたことはこれだよ!」という感動があって。でもその時にはまだ短歌を作ろうという気にはならなかった。

でも後に、高校生になってから短歌を作るという課題が出たんです。その時、せっかくだったら現代短歌をいろいろリサーチしてみようと思って、そこで穂村さんの作品などに出会いました。同時期に、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』や「短歌研究新人賞」の結果発表号などを通して雪舟えまさんの作品にもめぐりあいました。雪舟えまさんの作品は、今でもそうではありますが、当時のわたしには特にまばゆいものに見えました。目が離せなかったですね。

それで、大学2年生のときに、大学生協主催の「読書マラソン」のコメント大賞という本のポップを作ろう!みたいな賞で、雪舟えまさんの歌集『たんぽるぽる』の紹介を行ったら、運よく銀賞に選ばれて。その結果が新聞に載ったんです。それを、当時の短歌をやっている人たちが見ていたようで。そして、その中の一人で当時京大短歌の会員だった廣野翔一さんにツイッターで声をかけていただいて、京大短歌会に入会することになったんです。

なべと:じゃあ大学の途中から短歌会に入ったんですね。

橋爪:そうです、2年生の冬からかな。なべとさんはどのようにして短歌の世界に入っていったんですか?

なべと:わたしも穂村弘さん経由ではあるんですが、ちょっとまた橋爪さんとは入りが違うんですよね。

高校のときからずっと雑誌の『ダ・ヴィンチ』を読んでて。その中の「短歌ください(短歌投稿コーナー)」のコーナーを面白がって読んでたんですよ。でも、その時はまだ「短歌がおもしろい」んじゃなくて「短歌くださいのコーナーがおもしろい」という認識だったんですね。今まで思っていた短歌の印象と、そのコーナーに載っている短歌があまりにも違いすぎて。

というのも、わたしは教科書に載っていた短歌があまり肌に合わなかったタイプだったんです。わたしは国語の「お勉強」的な点数の取り方で学生時代を乗り切ってきたので、そうなると、詩の世界って普通の勉強の仕方とちょっとテクニックが違うから、難しいんですよね。解説聞いても、「この言葉だけ見てそんなことわかるか?」とか「これは作者の背景を知って初めてわかることやん」みたいな気持ちがあってあまり響いてこなかったんです。だから、短歌を「読む」のも難しいなあというイメージが強くついてしまったんだと思います。だから『ダ・ヴィンチ』の「短歌くださいのコーナーがおもしろい」以上の域を出なかったですね。

でも、数年は「短歌ください」を読み続けていました。で、大学4年生になって、就職活動がボロボロだったんです。落ちすぎて自分自身が、だんだんおかしくなってきますよね。もう無理や、と思って、部活でやってたギターを弾いていたら、偶然楽譜をベッドの下に落としてしまったんですね。楽譜がないとまだ弾けない部分で楽譜が落ちたので、進まなくなってしまって。で、その時に、めちゃくちゃ泣いてしまったんです。何でかはわからなかったんですけど、めちゃくちゃ泣いてて。でも、まあ泣いててもしかたないや、と偶然『ダ・ヴィンチ』を開いたら、「短歌ください」コーナーでした。

その時に、目に入ってきたのが、

新しい文庫の角が折れました それだけで止まらないなみだは/シラソ

という歌でした。その解説に、この人は文庫の角が折れたから泣いたのではなく、文庫の角が折れるくらいで泣いてしまうほど精いっぱいのところで戦ってたんでしょうね、みたいな文章があって。「あ~これこれ!」と思いました。「わたしは楽譜が落ちたから泣いたんじゃないんや」っていうのがわかった瞬間でした。

それ以降、「短歌ください」のコーナーを注目するのではなく、その解説を書いた穂村さんを注目するようになりました。でも、その時点では、まだ「短歌がすごい」ではなく、「穂村弘がすごい」という感覚でした。

それから、穂村さんのエッセイを読んで、すごくハマるのですが、歌集には手を出せないでいました。こんなに大好きな穂村さんの短歌と、もし相性が悪かったら、穂村さんを嫌いになってしまうんじゃないか、という懸念があったからです。

でも、エッセイは読みつくしてしまったから、次のものを読もうということで、『短歌という爆弾 今すぐ歌人になりたいあなたのために』を手にとりました。短歌に入門したいわけじゃなかったけど、入門書に近いものを手にとったんですね。結果、難しいところは多々ありながらもめちゃくちゃおもしろかったです。

そのことをTwitterでつぶやいたら、相互フォローでだったかつらいすさん(TANKANESSライター。このときはお互い短歌を始めてなかった)から、穂村さんの『はじめての短歌』も勧めてもらいました。

そこでは、橋爪さんがさっき言ったような「穂村弘節」が炸裂していて、これまで自分が感じていたいろんなモヤモヤが言葉になっていて「これか~!」と納得したんです。それでもまだ歌集に手は出さず…。解説がない「短歌だけの本」へのハードルは本当に高かったんですよね。自分は短歌を「理解できない」と思い込んでました。

そのすぐ後に、穂村さんのファンで自身も短歌を作っている音楽ユニット「ハルカトミユキ」のハルカさん(短歌の活動は「福島遥」名義)のことも知りました。

穂村さんとハルカさんの対談も読んで、ハルカトミユキのライブにも行って。ライブではハルカさんの歌集も売っていたのですが、でも、「ハルカさんのことがこんなに好きなのにハルカさんの短歌と相性が悪かったらどうしよう」という不安感から、歌集を買う勇気は出ませんでした。

橋爪:めちゃこじらせてる……(笑)

なべと:でも、帰りの新幹線で読む本をちょうど切らしていたタイミングがあって、これはハルカさんの歌集を買う運命が来たな、と思って、思い切って歌集『空中で平泳ぎ』(現在は絶版)を買いました。そしたら、「あ、短歌だけ読んでもめっちゃいいわ」ってようやくなって。それに引き続いていろんな歌集を読み始めて、他の入門書などもどんどん読んで短歌を始めていきました。今思うとめちゃくちゃ遠回りしてますね(笑)

橋爪:わたしも結構遠回りしたほうではあるんですが、なべとさんは本当に遠回りですね(笑)

なべと:最初の時点で始めていれば、今、歌歴すごく長いはずですよ。

橋爪:わたしも、中学生のときに始めていれば、10年以上になっていたかもしれません。まあ過去は変えられないですけどね。

 

短歌を広めることについて

なべと:そういう経緯もあって、初心者の人に短歌を勧めるときは、とても気を使います。「短歌に本当に興味のある人だったらこちらから働きかけなくても自然とみんな読み始めるよ」って言う人もいるじゃないですか。でも、わたしがこんなに時間かかったので、そうじゃない人もいるはず、って思ってます。

わたしが短歌にたどり着くためには「短歌ください」コーナー、穂村さんのエッセイ、ハルカさんの歌集、とたくさんのきっかけが必要でした。ただ待っているだけで、「短歌志望者」がやって来るとは限らないな、と思うんです。

橋爪:今のお話を聞いていると、やっぱり、短歌を広めることに対する使命、みたいなものを感じてらっしゃるようですね、なべとさんは。

なべと:うーん、どうでしょうね。ちょっと違う気もします。創作というものを誰に向けてやるか、って話があるじゃないですか。わたしは常に「短歌をやっていなかった頃の自分に」向けてやっているんですよ。短歌の内容も、企画もです。昔のわたしでも面白いって言ったかな、っていうのが基準です。昔のわたしはきっと尖ったことをやらないと振り向いてくれなさそうだからいろいろなことをやっています。

橋爪:へえ~、そうなんですね。わたしと逆かもしれません。わたしの短歌の対象・相手は「全人類」なので。だから短歌に触れたことのない人はもちろん、短歌をばりばり作っている人にも届く歌でありたいなあと思っていますね。もちろんその両者がきれいに二分されるものではないというのは重々わかっているのですが。でも、そのどっちかの方向だけに向いているようじゃ、短歌はだめなんだろうな、と思っています。

なべと:それ、すごく難しいですよね。わたしは企画は完全に短歌を知らない人にでもなじんでもらえるようなものを考えているのですが、それとは別に、平易な短歌だけが良い短歌ってわけじゃないですし…。わかりやすい短歌を作るのも簡単ではないなと思っています。わかりやすさの中に高度なテクニックが含まれている。わたしの短歌は、「全人類」までは今のところ広がってはいないですね。

橋爪:まあ、わたしも「全人類」とか言っておきながら、じゃあ例えば日本語わかんない人にはどうするんだ、みたいなことを言われたらグサッときますけど(笑)

なべと:わたしは、年に1回母校の大学で、留学生向けの短歌の授業を行っているんです。授業自体は歌の紹介よりも、創作メインにはなるんですが、ためしにいろんな歌を紹介していると、ちゃんと反応してくれるんですよね。

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ/俵万智

という短歌を身振り手振りと簡単な英語で説明したら共感してもらえました。言葉を越えて良さがわかるんだな、と実感した瞬間がありました。

橋爪:通じるものがあるってことですね。

 

他人の目を意識する?

なべと:たまに、自分が好きだったバンドとかが急に合わなくなったと思う瞬間があって。そういうとき、インタビューで「今までは自分に向けて歌ってたけど、今回はみんなのために歌いました」みたいなことをよく言ってたりするんですね。それにのっとると、わたしも、みんなのために短歌を作ったらその瞬間歌がダメになってしまいそうで怖いんですよ。最初からみんなのために作ってたひとはそれでいいんですけど。

橋爪:たしかに自分のために作っていた曲に共感していたのに、いきなり応援歌になっちゃっていて困惑した、みたいな経験、ありますね。読者を意識するっていうのはやっぱり短歌でもあると思うんですよ。難しいですね。でもわたしはどちらかというと、読者を意識するようになってからの歌のほうが評価されているパターンの人間かもしれません。昔は結構暗い歌を作っているタイプだったんですが、いまはわりと明るい。悲しい歌ばかり作ってたら、「このひとの不幸自慢聞きたくないよ~」って思う人がいると思ったので姿勢を変えていったんです。でもその中でも「この人は明るいことを読んでいるけど実は薄暗いものを背負っていて……」みたいな評をされることとかもあって。短歌ってスゲー、って日々思っています。

なべと:ミュージシャンとかでも、明るくなっていったひととかいますもんね。本当に明るくなったのか、事務所の意向で明るくさせられたのかっていうのはあると思いますが…

橋爪:読者の目も気にしすぎちゃいけないし、自分の中にある読者としての自分の目も気にしすぎちゃいけないし。本当に難しいですね。たとえばそれは、作品だけにとどまらず、ツイッターとかでセルフプロデュースをどれだけするかみたいな問題にもなってくると思います。

なべと:それはわたしも悩みどころですね。わたしは企画の主催をすることが多いのですが、主催がめっちゃ暗いとやりづらいじゃないですか。だから普段めちゃくちゃがんばって明るく振舞いながら歌会などをすることが多いです。でも、作風は全然明るくない(笑)ボードゲーム作者さんたちの集まり界隈の仲間とかもいるし、そこでも明るく振舞ったりしますが、もし仮に、そこからの読者さんがわたしの作品を手に取ったとしたら「あれ……?思ってたのと違うぞ」みたいになるかもしれませんね。バランスをとるのが難しいです。だからnoteとはてなブログとTwitterで雰囲気を分けていますね。けっこう気を遣っています。

橋爪:わたしは逆にTwitterは全く気を遣わないで書いてます。比較的ありのままの自分を見せていますね。アンチナタリストだぜ!とか、人生や生き死にについて重く考えてるぜ!とか、そういう姿勢をカフェインをごびごび飲みながらカタカタ打ちまくるサイコみのあふれた人格も全面的に出しています。なぜなら、それでもわたしの作品を呼んでくれるひとがいるということを信じているので。そこは読者を信頼するとこだろ、って思ってるんですよね。もちろん「Twitterでの橋爪嫌いだからあんま短歌も読みたくないな」っていう層がいるのもわかっていて。でも、その層を切り落とす覚悟で楽しいTwitterライフを送っています(笑)

なべと:なるほど。

橋爪:でもわたしも、悪口とかは絶対に書かないようにしてますね。誰かが嫌な気持ちになるものはなるべく書かないでいようという心がけはあります。それも難しいんですけどね。

なべと:わたしも、基本的にわたしが存在していることによって誰かが嫌な気持ちになってほしくはないので、めちゃ気を遣ってて。それが多分いきすぎてるところもあって。Twitterなどで発生する短歌界隈の討論や揉め事も、絶対に加担しないようにしてるんです。それはもちろん意図してやっていて、だからと言ってなにもそれを見て何も感じていないわけではないんですが。

橋爪:わかります。討論でちゃんと建設的な意見を言えるひとのことを誠実で素晴らしいなと思う気持ちもあるんですよね。でも、何も余計なことを言わないことも大事だと思っていて。どちらもある中で、わたしは後者の誠実さを持っていきたい気持ちはあります。「いらんこと言わない誠実さ」。

なべと:ひとつのツイートでも、受け取る相手によってまったく意味が違ってきますもんね。作者や書き手どおりに受け取ってもらえるとは限らない。「なんでこんなに気を遣ってツイートしてるんや?」って我にかえるときもありますが、そのくらいがちょうどいいのかもしれません。

橋爪:Twitterは難しいですね。でも気を遣うということはいずれにせよ大事だと思います。

なべと:短歌の「私性」とTwitter上の自分の性格が結びつけられそうになるとき、すごく葛藤が生じます。でも、受け取られ方がさまざまあるっていうのは、Twitterだけでなく、作品もそうですね。「伝わりやすさ」を考えることそのものが大事だなという気がします。

橋爪:短歌を他の人に見せると、「えっこんな風に読むの!?」みたいな驚きが生じることがままあります。でも、悪い意味での「読みのブレ」は短歌をやっていくにつれてだんだん減ってきたかな、と個人的な体感としてはありますね。でも最初のうちは、全然自分の意図どおりに読んでもらえなくて、困ったことも多かったです。

なべと:この前も、短歌に「籠(かご)」という単語を入れていたら、「くずかご」として他の人に読まれたんです。でも、わたしは「鳥かご」のつもりで書いていたんですが、くずかごの解釈でどんどん議論が進んでしまって。でも、作者が悪いとか読者が悪いとか言いきれないような歌でした。そういう経験ありますよね。

橋爪:ありますあります。難しい。

なべと:でも、他人の解釈のほうが、自分が思っていたのよりも良かった!みたいな時もありません?

橋爪:あるある!!「見出してもらった……」みたいなこと、わりとあります。自分でも気づかなかった魅力を。それは評の魅力というのにもつながります。わたしはやっぱり、評は学生短歌会時代に魅力に気づかせてもらって、磨かせてもらったところがあるので感謝ですね。

 

学生短歌会って何するの?

なべと:基本的なことですが、学生短歌会って、どのような頻度でどんなことをする場なんですか?

橋爪:会や時代によってもばらばらですが、わたしのいたころの京大短歌は、歌会を10日~2週間に1回くらい行ったり年に1回機関誌をつくったり年に2回の他大学との合同合宿に参加したり……という感じでしょうか。

なべと:歌会ってのは、1回につき1首ですか?

橋爪:基本的には自由詠1首でしたね。京大短歌は基本的に無記名選なし。解題(作者発表)は1首ごとに行うというかたちがスタンダードでした。

あとは、京大短歌の歌会は、めちゃくちゃ歌を深く読みこみますね。学生だから時間もあるので、「時間がきたからこの歌はもうやめ~」みたいなこともなく、意見をみんなが出し尽くすまで読みこみがなされます。評や短歌の魅力に触れるためのいい場所でしたね。部室とかはなかったけれど、短歌好きのみんなが集うすてきな場所でした。(部室のある学生短歌会もありますが、京大短歌はありませんでした)ただの大学サークルにとどまらない面白さがありましたね。

なべと:それはとてもいい環境ですね。

橋爪:京大短歌の評は厳しくて怖い、みたいな噂もあったりすることは知っているのですが、本当は全然そんなことはない。ただ、ものすごく丁寧で真摯な評なだけなんです。もちろん、入ってきたばかりの新人会員に頭ごなしに歌の悪いところをガンガン指摘しまくったりすることはありません。慣れてくると、「歌のここが良くない」という点があれば、ビシバシ言い合うのですが、どうして「良くない」のかというところまで理由づけて教えあうので、とても勉強になります。めきめき成長する。

もちろん、どんな歌会でも、出続けていれば成長は確実にしていくものだとは思うのですが、先輩が、「この歌集はいいよ」とか「あなたはこういう作風の歌人も好きなんじゃないかな」とか「今度勉強会や批評会があるから行こうよ」とか言ってくれるので、それも含めてのありがたさが京大短歌にはある。OBOGのひとたちもすごく優しくて、恩がとてもあります。

初心者短歌ワークショップって何するの?

橋爪:初心者向けの場といえば、なべとさんも短歌のワークショップを開いたりしてらっしゃいますよね。

なべと:はい。わたしが行っている短歌ワークショップでは、もっと初歩的な、短歌を「作れない」「作ったことがない」状態のひとが主な対象です。

あらかじめ作ってきたものを評しあうのではなくて、短歌の基本の基本(5・7・5・7・7で季語がいらない)を伝えて、リズムに慣れるために短歌カードゲームの「ミソヒトサジで遊んで、短歌にしたいエピソードを書いていただいてそれを削ったり組み換えたりして31音を作っていく流れが多いですね。その場でつくる、ということを実践してもらっています。

橋爪:すごい……!!!丁寧だ。

なべと:うまくいかなければ文字数の違う単語を入れてみたり、語順を入れ替えてみたり、わからないところは質問してもらって……みたいにして、とりあえず完成まで持っていく感じですね。

学生短歌会は、そうやって「作るワーク」みたいなのはあったりするんですか?

橋爪:やってるところはあるかもしれませんが、少なくとも、わたしが入ったばかりの京大短歌ではやってなかったですね。新入会員の見学とかはありますけど、基本は、最初でも、自分で一首つくって持っていく。わたしが最初に京大短歌に顔を出した日は、一首作っていきました。前から自分でちょっと作っていたので。見学でもいいですよとは言われたんですが、参加したさが勝った(笑)

なべと:なるほど。

橋爪:ちなみに、わたしは、はじめて京大短歌に持っていった歌を結構好意的に評してもらえて。いい評価をもらったんです。ビギナーズラックとは思うんですが。でも、それがはじめの一歩の原動力になって、今があるという実感があります。また、京大短歌では自由に作品を作らせてもらえていた実感もあります。ありがたかったですね。

なべと:わたしの短歌ワークショップでは、自分から短歌を作ったことのない・作れない・短歌が何文字かも知らない・俳句や川柳との違いもわからない…という参加者がほとんどなんですよね。この方々は「1首あらかじめ作ってきてください」が条件の短歌講座だったら、参加しようと思わなかったかもしれないわけです。でもこんなにやる気がある層ってのはいる。ここを見落としている気がしていて。

橋爪:うーん……たしかに。

なべと:初心者歓迎!って書いてあっても、それは1首作れたひとだけなんですよね。それはもったいない。前に行ったわたしの短歌ワークショップは平日なのに26人来たんですよ。無料だったのもあると思うんですが…

橋爪:すご!たしかにそれだけの短歌に興味を持つ人々を取りこぼしていたと考えると、辛いものがありますね。26人か……なべとさんの集客力ももちろんあるとは思いますが、今やっぱり短歌って流行ってるのかもしれませんね。

 

作・論・環境

橋爪:俳句だけど、テレビで「プレバト!!」が放送されてたり、Twitterをひらけば短歌が流れてきたり。歌集が「短歌?なにそれ?」っていう感じだった層まで、届きはじめていることは間違いないと思います。

なべと:ですよね。だから、「短歌ちょっと気になる!」みたいな人は絶対思っているよりも多いはずなんです。ときどき、わたしが短歌を広める活動をするよりも、1首いい短歌を作ったほうが短歌を始めるひとは増えるんじゃないかなあと思うこともあるのですが……。

橋爪:わ~~~~それはわかんないですよねえ。

なべと:でもわたしは邪道な道もありかなと思って、今のスタイルをとってます。

橋爪:わたしよく、短歌って、作・論・環境の三本柱でできてるなあと思うんですよね。作品を作ることと、評論を書くことと、短歌の環境を整える(短歌の場をつくったり、短歌を広めたり、データベース作ったりなどなど)こと三本柱。この三本の中でどれが得意かは、人それぞれだと思うんですよね。たとえば、わたしは論が圧倒的にダメって自分で思ってたりするし。

なべと:それなら、わたしは「環境」が得意かもしれません。

橋爪:でも、「環境」に説得力を持たせるためには、たとえばこの短歌がなんでいいのかとかに答えられるような「論」の力が必要だったりする。「作」をおろそかにしていても足元をすくわれる。バランスは大事ですね。わたしはがつがつ「作」をいいものにしていきたい気持ちが今は高まっています。

 

歌人にもいろんな人がいるよね

なべと:でも歌人が誰しも作品をがつがつ作っていきたいとは限らないですよね。

橋爪:もちろんそうだと思います。短歌との関わり合いかたの話ですね。

なべと:みんなが「うまい」を目指しているわけではない。例えば音楽好きなら、「自分で作曲して歌を世に広めて……」みたいなひともいれば、「ちょこちょこフェスとかカラオケいくのが趣味」みたいなひとまでいろいろいる。でも、全員が「音楽好き」じゃないですか。

短歌も同じで、みんなが「ガンガンやっていきたい!」という気持ちを持っているわけではないことを忘れてはいけないと思います。短歌だって、自分のノートに家でこっそり書いてたまに読み返したりするのを楽しみにしている人とかいるでしょうし。外でみんなと活動的にやりたい人もいるとおもうし。

橋爪:どんなスタンスをとる人がいようとも、それぞれの尊厳が守られねばならないのに、しばしばそれが難しいんですよね。あと、どれだけお金をかけるか、とかも。いろいろな本を買ったり、結社に入ったりするのにはお金がいりますよね。それも人それぞれだと思います。

発表の場についても、いろいろな場があるから、対立しあうこともあるのかもしれません。お互いを尊重しあって短歌ができるといいですね。

なべと:わたし、TANKANESSのコピーに「短歌のすみっこ」って書いてるんですね。これ、勘違いされそうなんですけど、「ネット短歌界のすみっこ」って意味じゃなくて、「自分が見えてない場所」がその人にとっての「すみっこ」というイメージです。

わたしは例えば学生短歌や短歌結社に入ったことがないから、その近辺のことはわからない。逆にずっと何かに所属しているひとは、「無所属」の世界を知ることができない短歌人生なのかもしれません。

TANKANESSでは、いろいろな人があらゆる方向から自分の立ち位置で短歌について書くことで、さまざまな角度からいろんなものが見えてくる。いろんな見方があれば、いつか全体像みたいなものが見えてくるかもしれない。

だから、キャリアや所属など、できるだけバラエティ豊かな人たちに書いてほしいですね。今後も短歌のいろんな景色が見えるとおもしろいことになりそうだな、とわくわくしています。

 

この記事を書いた人

橋爪志保

歌人。2013年に作歌を始める。京大短歌を経て、現在は同人誌「羽根と根」所属。その他の参加同人誌に、「鴨川短歌」「はるなつ」「あきふゆ」など。著作に、合同歌集『ベランダでオセロ』。第二回笹井宏之賞にて永井祐賞受賞。
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なべとびすこ(鍋ラボ)

「やってみたいを、やってみよう」を合言葉に、なんでもやっている歌人です。短歌のワークショップをやったりボードゲームを作ったりしながら、よくカラオケに行っています。

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