大阪の短歌ワークショップ「もしも短歌がつくれたら」に、東京から乗り込んだ話

レポート

 ライター・高下龍司(koge)さんの書くものが好きだ。

 Twitterで、新しい記事の更新をみかけるとまずクリックする。その1つが、このTANKANESSに掲載されていた「初心者向け短歌ワークショップに短歌初心者が参加したら、ちゃんと短歌が詠めた」というレポートだった。まったくもってタイトルどおりの経緯(いきさつ)を、丁寧に伝えていた。

 一度「おもしろい」とおもうと盲目的に本人の書きものを読みあさるタチなのだが、そのレポートは、誰が書いているかというのを忘れて読みふけってしまった。

 短歌か。本当にそんな方法で詠めるようになるのだろうか。才能のある人が参加しちゃっただけじゃないのか。なにが正解なのか分からないし、なにをもって「イイね!」なのかも不透明だ。きっと、正解はいろいろあるし、そのぶん「イイね!」も無数にあるとか言われそうだが、そういう「微妙なさじ加減がモノをいう系」がわたしにとっては一番難しい。

 レポートでは、「めっちゃ楽しいぞ!」で終わって短歌のよさ(余韻)を残すだけじゃなくて、後日 再びワークショップで一句詠んでいる。正直うらやましかった。

 はい、今の太線はミスだ

 編集長に教えていただいたのだが、多くの初心者が短歌の数え方を間違えるらしい。正解は、「一首(いっしゅ)」で、わたしが書いた「一句(いっく)」は俳句の数え方。

 

 ふだんのわたしなら、「好きなライターさんがたのしんだ〇〇をできればわたしも一緒にアレコレしたい(はぁと)」という色ボケした感情になっていたはずだ。そして、実際にはなにもせず次のURLを踏むだけ。そう簡単に次のアクションにはつながらない、というか。

 しかし、ページのスクロールが終わる頃、わたしのなかでカーン!と戦いのゴングが鳴った。東京、もしくは関東近郊で「もしも短歌がつくれたら」と同じようなワークショップが存在しないか、探し始めたのだ。ある意味、高下さんと同じ土俵に立ってしゃべりたい、みたいな気持ちがあったのかもしれない。ミーハーは、ミーハーなのだ。そして、ねむけまなこをこすりながらウェブ検索の夜はふけた。

 

 ――だが、ないのである!

 ① 現役のリアル歌人(たち)による、
 ② 経験則からくるおもいもよらぬ独自製法で、
 ③ 決められた制限時間内にほぼ100%ネタをポップさせ、
 ④ その人にしか発想できない短歌を詠める、
 ⑤ 初心者OKどころか超歓迎の、
 ⑥ 門戸の広い定期開催のワークショップ

 というのが、関東近郊ではなかなかエンカウントできない。

 わたしが発見できたのは、名の知れた歌人の書籍出版にあわせた歌詠みイベントくらいだ。それだって、レア中のレアだ。日程はすでに終了したものばかり。暗雲が立ち込める。

 【ゆる募できれば東京都内、あるなら関東近郊で短歌ワークショップをひらく人

 そんなかんじで悶々としていた矢先の20195月某日、高下さんからとある企画が浮上した。『TANKANESS』と、わたしが書かせてもらっている『サンポー』で、両ウェブメディアならではのコラボ記事をだそうというものだ。

 は? コゲタン(高下とやる短歌の略)かよ! 

  ちょっとパニクりながら全力で挙手したところ、やらせてもらえることになった。そして、ものすごいやる気をみせておいてなんだけど実は超初心者デスと告げると、「コラボ企画の前夜、例の短歌ワークショップがひらかれるので一緒にどうですか」と誘われたのであるッ。Hooooooo!いけめんー!かりあげー!

 というわけで、6月某日。大阪である。

 わたしは高下さんに連れられて、コワーキングスペース「往来(おうらい)」を訪れた。大阪駅から徒歩で東梅田駅までアクセスをして(駅の案内板に沿って進むだけなのにわたしだけ迷いかけた)、大阪メトロ谷町線で「谷町六丁目駅」まで乗った。そこからの道のりは覚えていない。ただただ、ついていった。

 実は、体験談を書かせてほしい!とTANKANESS編集長の「なべとびすこ」さんに申し出たのが後日だったので当日の写真があまりない。ただ、高下さんのレポートで十分補完できるはずだ。

 さて、この回での参加者は、わたしを含めて7名。

 短歌ワークショップ「もしも短歌がつくれたら」のファシリテーターである歌人・牛隆佑(うし りゅうすけ)さんと奈良絵里子さん、実はこのタイミングで初めてお会いしたTANKANESS編集長のなべとびすこさん、もはや牛さんの一番弟子といってもいいくらい常連になっている男性、「短歌 初心者」で検索をしてたどり着いたという女性、高下さん、わたし、である。

 短歌の世界って、まだ片隅しか知らないけれど、パーティの組みかたがRPG「ドラゴンクエスト」シリーズに登場する「ルイーダの酒場」感があるようにおもう。 経験値や職種の異なるメンバーがざっといて、レベルや目的に合わせて一緒になるが、必ずしもそれが固定メンバーになるわけではなく再結成されることも多い、という意味で。

 クエスト攻略が終われば解散はするが、「なかま」という認識ができる。あるいは「師匠」かもしれないが。紙やウェブ、特にTwitterでの情報発信(詠んだ短歌のお披露目)は、いわば彼らのステータス一覧が流れてくるようなものだ。旅のどこかで積んだ経験の結果が作品となってモロにあらわれる。それを眺めて、じぶんもなにか詠みたいとおもえる。だから、じぶんが関わった「なかま」とは、つながっていたいとおもう。

 一連の流れは、高下さんのレポート「初心者向け短歌ワークショップに短歌初心者が参加したら、ちゃんと短歌が詠めた」と同じである。ざっくり進行案内があり、くじを引く→小説の冒頭を書く→短歌をつくる→みんなで添削しあう→完成! となる。

 何も分かっていない素人に、少しやり方を仕込んだところで「さあやってみよう!」は無理がある。なので最終的に一首詠むにあたって、まず、2枚のくじを引くことになる。そのくじには、1枚あたり1つのキーワードが記されており、それをダシに小説の冒頭文を考える。1ワードだけ使うのでも、2ワードを絡めるのでもいい。前後のつながりとか、細かいことは気にせず、おもいつきをメモっていく。

 とにかく書く、という流れになるので、ピンとくる組み合わせになるまでくじをシャッフルしてもいい。ゆるい。くじ引きとちゃうやんけ!と、エセ関西弁で突っ込みたくなるくらいゆるい。だが、これくらいのルールのほうがちょうどいい。心地よい緊張感のあるしばりだ。

 わたしが引いたのは、「日直」と「11」。

 アッ、これ時間なくなるヤツだなと悟って、さっさと原稿に向き合う。日直と11をどう絡めるか。生徒の数が11人しかいない、出席番号11の人と組んだ、11日連続で日直した、先にそれを考えたけれどパッとせず、ざっくりと、「今日の日直は地獄になる」ってことにした。もう、それだけを先に決めた。

 日直っていうと、「ちょっと面倒な仕事を1日だけやることが決まっている二人制の係」というありがちなことしか浮かばなかったので、それを地獄という非日常に突き落そうと。所用時間どれくらいだったろうか。覚えちゃいないが、こんなのを書いた。なんの修正も校正もせず一発勝負のを載せるので、文章がおかしいところは目をつむってほしい。字の汚さも、この際ほんとうにしょうがない。

 ▼「日直」と「11」で小説の冒頭だけを書くよタイム

 今日の日直は地獄になる。なぜなら、ぼくがあの数字を引いてしまったからだ。
ぼくのいる6年2組には、ある一つの決まりがあって、日直になった日とは「試練のくじ」を必ず1枚引かなければならない。
 くじは31枚、出席番号順になっていて、誰がその内容を書いたかも丸わかりになる。良識ある生徒なら決してばかな振りはしない。友だちづきあいに亀裂が入ることだってあるからだ。けれど、人が困るような「命令」をさらりと指示するヤツもいる。――そう、ぼくが今日、引いてしまった「11番の女」だ。
 目の前にある、「試練の書」を、ぼくはもう何分も、いや、たぶんこの先、何限目になってもひらけない気がする。前に「11」を引いた生徒は、泣きながらもうやめてくれと教室から逃げだした。うっすらと、とびらの向こうでクスクスと笑う声がきこていた。「11」にやられたヤツはたいてい、数日学校に来なくなる。地獄だ。きっと地獄が待っているに違いない。
 「何をされたの」
 きけずにいた質問を、(ここでタイムオーバー)

 原稿にあるメモを見ると、5・7・5・7・7のヒントになるものを必死に探している。これって使えるかな、別のニュアンスはないかな、と。そして、実際に導きだしたわたしの短歌はこれだった。

 いや、たぶん何限なってもひらけない。ぼくに課された罰ゲームのくじ

 即、否定から入りたくなる心境。おまえならできると促されるのを心底拒絶したい。やんわりいかないと誰かを怒らせそうなのがいやだ。のっけから「いや、」と首をかしげる人になにかを強制しようなんて、ヤバい奴のすることだ。助けてくれ。実際その罰ゲームの差出人は狂ってる。放課後までに済ませなくてはならないが、中身を見るのも怖い。なんでぼくが?ああ、じぶんでこれを引いたんだ。……というかんじ。

 うまく伝わればいいが、先ほどの「小説の冒頭」が前提になくても意味が通じる状況じゃないと、どこからともなく「はぁ?」と声がきこえてきそうだ。これが、けっこう難しかった。初心者の気持ちを削がないやさしく建築的な討論を経ての添削版は、次のとおり。

 いや、たぶん「おわりの会」までひらけない。ぼくに課された罰ゲームのくじ

 内心いきなりすぎたかもとおもっていた最初の5「いや、たぶん」は、なぜか、「おお、いいね」と言われた。それもだな、とおもいながら褒められたことをうれしくおもっていた。しょっぱなで、イヤなことを、はっきりとはモノを断れないかんじの人物像をだしたつもりだった。

 ちなみに、5・7・5・7・7の、最初の5文字のことを「初句」というそうだ。これも、習ったのかもしれないけど、そうなんだ、とおもってしまった。

 「何限なっても」は、「おわりの会まで」のほうがいいというのが全員の意見。

 実は、学校の授業をなんと呼ぶか?何限目という表現がみんなに通じるか?というのを、わたし自身が気にしていたのだ。コマや枠であらわすところもあるから。すると、罰ゲームの消化までにタイムアップがあること、おわりがみえていること、それが小学校で行われていることをなるべく分かりやすく7音以内でおさめるとしたら、「おわりの会」なんじゃないか、と。

 「放課後」案もあったが、わたしとしてはその単語は却下だった。もちろん、現役の小学生でも使う言葉なのだが、もっと幼さのにじみ出る雰囲気がほしかったのだ。なので、進行してくださった歌人・牛隆佑さんがホワイトボードに「終わりの会」と書いたのを、わたしなりに「おわりの会」と一部漢字をひらいている。

 「ぼくに課された」は、なにもいじられなかったが、そもそも罰ゲームが子どもに課される状況って何? 逃げられないってどういうこと? というかんじはある。でもそこは、想像力でおぎなうものなのかもしれない。かたまっているようでふわっとしている設定を、それぞれがおもい浮かべる。きっと、短歌のいいところだろう(本当に?)。

 「罰ゲームのくじ」は、日直になった人は必ず「試練のくじ」を引くという、特殊すぎて普通は想像しがたい状況を、もっと平たく、ちょっとありそうなシチュエーションにもっていきたくてそうなった。それなら小学校6年間のうち1日くらいありそうだよな、と(ないほうがいい)。

 うーん、補足だらけで恥ずかしい。

 けれど、こうやって顔を突き合わせて、お互いの短歌についてああでもなくこうでもなく言うのが、かなりたのしかった。こういう背景をみせたい、感情をあらわしたい、意味をひそかに含めたい、ロケーションを感じとってほしいみたいな欲が、だんだんじぶんのなかで出てくる。すぐには読みとれなくても誰かは気づきそうな裏メッセージを隠しておきたいかんじ。

 これはハマるなあ!

 なお、わたしは短歌を1首提出するので精一杯だったのだけど、他のメンバーは作品を添削しまくったのちも、2首3首とだしていた。「その力こそ発揮したかったのに!」と悔しくなったが、みんなの発表をきくだけでも勉強になるし、たのしいのである。

 短歌ワークショップ「もしも短歌がつくれたら」は、毎月第2金曜に開催される。わたしは東京在住なので、なかなか大阪まで来る機会はないが、TANKANESSで定期発信できるくらいの取り組みはしていきたい。こういうのどうですか、というアイデアがあれば、ぜひ振ってみてネ!

 【ゆる募】なんにも考えちゃいないけど短歌を絡めたなにかをしたい人、相づちを打ってほしい人、その内容を書き起こしてTANKANESSに載せてほしい人

もしも短歌がつくれたら
https://ourai.jimdo.com/himakatsu/tanca/

コワーキングスペース往来
https://ourai.jimdo.com/

この記事を書いた人

Cooley Gee

フィールドワークの途中で迷子になるひと。
さんぽの横歩きをしている。
ビリヤニとカレーをよく食べる。
座右の銘「好奇心が足りまへんなあ」

ブログ:note「502」

Twitter ID @CooleyGee_ff14

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