現在、短歌結社「かりん」に所属する小田切拓が結社に入会してから体験したこと、その後挑戦してみた新人賞のことなどをシリーズにして話していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
*「短歌結社とは」?
短歌の掲載誌を発したり歌会などの活動を行う集団。主に主宰者と他の選者などの方が中心となって活動する。その人に合う結社選びをすると、自作の成長や豊かな人間関係にもつながる。
前回のはじめて学生向けの新人賞を受賞した日の話はこちらから。
結社に入った僕は段々と、結社誌だけでなく、総合誌の応募も始めた。
KADOKAWA『短歌』誌の「角川短歌賞」(50首)
短歌研究社『短歌研究』誌の「短歌研究新人賞」(30首)
本阿弥書店『歌壇』誌の「歌壇賞」(30首)
この、総合誌・三大新人賞への応募だ。昔は結社に所属する人の応募が割と多かった。しかし近年では、無所属の歌人が受賞することも増えている傾向にある。
短歌ブームの影響か、応募者数そのものも大幅に増加しているようだ。角川短歌賞の選考では、フレッシュな一連が多く見られたという。
僕が初めて三大新人賞に応募したのは、いつだっただろうか。定かではないが、2017年に応募したのは覚えている。結社に入ったのが2015年だったので、所属して3年目には挑戦していたことは確かである。
三大新人賞に応募する気持ちは、結社にいると自然に刺激されてくる。先輩方からも勧められたり、同期が果敢に応募して予選を通過する姿を見ていると自分も、と思う。
「かりん」の先輩からは、
「新人賞は鋭さは求められるけれど、放り投げ過ぎてしまうと独りよがりになってしまう。受賞を目指すことで読む人を意識する良い習慣がつくよ」
と言われた。これは、どこに短歌を出すにしても今でも僕が意識していることである。
最初は、短歌研究新人賞を中心に応募していた。落選していたなりに自分の戦略があったのだ。
それぞれの賞の傾向として、正統派の角川、前衛の短歌研究、多様性を重んじる歌壇賞、というイメージを持っていたのだ。
あくまで僕が入選作を読んだ印象だが、各新人賞に選ばれる作品を読むと違いを感じた。
もし良ければこの記事を読んだ皆さんも過去の歴代受賞作を読んでみて欲しい。できれば候補作も。かなり勉強になるのではないかと思っている。
米川千嘉子さんや俵万智さんが受賞した角川短歌賞、第2回で寺山修司が「チェホフ祭」で栄誉を受けた短歌研究新人賞、佐伯紺さんのスケールの大きい歌壇賞受賞作「あしたのこと」を読んで、自分はどこに出そうか考えた。
その時の結論は「短歌研究新人賞に口語のトリッキーな歌を詠んだ30首を出そう」というものだった。
しかし僕の場合、その戦略は段々と小賢しい計算に変わっていった。
とにかく当時の僕は焦っていた。不眠に悩み心療内科に通い、身体にも持病があった。
どちらも見た目には分かりづらいけれど、結構な重症で大量の薬を服用していた。
なかなか多くの日に働けなかったので、マイペースで回復しようと思っていた。
しかし、知人や友人からは、
「心の病気なんて気持ちの問題」
「サボってるだけじゃないの?見た感じ大丈夫そうだよ?症状が重いなんて嘘なんじゃないの?」
「早く働いて35歳までに結婚しないと人として問題があると思われる」
と言われてきた(似た言葉で苦しむ方々、不快に感じたらごめんなさい)。
それは親族も同じで、似たことは言われてきた。のちのことだが父の通夜に酔った親戚から、
「心の病気を盾にサボってきただけだろう」
「心が病気の兄がいたら、妹の婚期が遅れることがわからないのか」
そう叱責された。因みに、家族は一貫して心の病気を隠すよう言い続けている(この連載に書いてること含め少しずつ諦めているけれど)。それでもこの間家族に、
「心療内科に通ってることが分かったら、新しい学校の図書室でも働く話はなくなるかもね」
と言われたが、その類のことは気にしないようにしている。因みに職場の上司にも病気のことを言ったが、不問だった。
ただ、当時はナーバスになっていた。それくらい心の病気をひた隠すこと、その上で人並みに働くことを求められていた。
そのためには、特別なルートでバズらなくてはならない。作家かライターを目指そうか。
個人事業主の作家がもっと肉体的・精神的負担が多いこと。公人になっても誤解される人の数が増えるだけということ。
承知の上で、宝くじのような現状の変化を求めていた。情けない病人が最後に求めた救いだった。
何となくのイメージは、俵万智さんと穂村弘さんの良いとこどりをしたような作風。もともと口語の僕の歌が評価されるのは短歌研究新人賞だ。そう思っていた。
俵万智さんのスッと心に入る言葉使いと穂村弘さんのエモーショナルなセンスを良いとこ取りしてネットでバズりたいという皮算用まであった。
今考えると情けないほど小賢しいけれど、それが自分の突破口だと固く信じていた。
小学校低学年の頃に教科書で、
今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海
╱俵万智『サラダ記念日』
という歌を読んで泣きそうになった気持ち。
不登校だった十代で出会った歌、
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
╱穂村弘『シンジケート』
を読んで思ったこと。
本当は、人は孤独を誰にも伝えることが出来ない。
その絶望や達観を「サバンナの象のうんこ」を持ってきて逆説的に表現するんだという衝撃。
そして、震災の後に大学に入って読んだ歌集。
お土産にされて売られて本当は誰のものでもない星の砂
╱俵万智『サラダ記念日』
「自由」という抽象的な単語、「かけがえのない一人一人」という陳腐な言葉を使わず、移住先の土産屋で見かけた星の砂を題材に、あるがままを受け入れる歌に救われた思い出。
何より、短歌を読み、作る喜びそのものを完全に見失っていた。
やはりと言うべきか、何度応募しても落選の連続。角川短歌賞や歌壇賞にも出したけれど結果は出なかった。
そうこうしているうちに、同じ結社の若手である川島結佳子さんが短歌研究新人賞で次席になり、先月歌集『遠い感』を上梓し結社の後輩でもある郡司和斗くんが受賞した。
川島さんも郡司くんも「かりん賞」を受賞し、僕は候補止まりで足踏みしたままだった。郡司くんはかりんに入会した年にかりん賞と短歌研究新人賞をW受賞した。
しかし、その二人と自分の違いが、自分の短歌との向き合い方を変えたのだ。
川島さんや郡司くんの歌は、トリッキーなようで、考え込まれて作られている。
君の見る走馬燈の中にわたくしの一発ギャグがあれば良いのだ
╱川島結佳子『感傷ストーブ』
水道代払わずにいて出る水を「ゆ、ゆうれい」と呟いて飲む
╱郡司和斗『遠い感』
二人のシュールさの中にわかりみの深さが同居している歌風は、読み手を導く安定感に支えられているのだ。
それに比べて僕の歌は、感覚的というか、何も考えていない。気持ちの赴くままに放り投げているだけだ。
自分をよく知らない歌人が、よく分からない作風で短歌を作っても訳が分からなくなるのは当然だ。
ましてや、小賢しい見当違いの計算も加味していたのだ。選ばれるわけがない。
そして、こうも思った。
何のために休日と手間とお金をかけて短歌を詠んでいるんだ?奇をてらう余り、歌を作る楽しみを忘れていないか?
そしてコロナ禍が始まった2020年の春。自宅待機していた実家で、5月締切の角川短歌賞に全精力を注ぐ覚悟を決めた。
角川短歌賞に連作50首を応募しよう。それも「これぞ短歌だ!」という文体で、歌の本道を詠もう。
一人称を「僕」から「吾」にして、文語体を多用して歌を作った。自分の知りうる「正当な短歌」をイメージして、50首をこしらえた。
意図的に短歌らしい短歌のフォーマットを意識することで自分の中にある表現の乱れを整えようと試みたのだ。
少し型を設けた方が自分の歌はちょうど良くなる。そんな気がしたのだ。
そうして5月末に出来たのは、混じり気のない短歌を作る喜びに満ちた、短歌を始めた頃のような歌の数々だった。
その歌の内容が、家族4人で過ごせた最後の多くの時間だということも今思うと複雑で、ムズムズする。
そしてこうも思った。もしこれで角川短歌賞に掠りもしなかったら、暫く新人賞は当分諦めて結社誌に出す月詠に専念しよう。
それだけに角川『短歌』11月号を読んだ時は、息を呑んだ。初めて予選を通過して候補作の33篇の中に入ったのだ!
総応募数609篇の中から、上位5%の割合だった。
コロナ禍で自宅で過ごした日々の心の機微が、選考委員に評価して貰えた。
2021年には誕生月でもある5月への感慨と日常、去年は介護実習の体験を連作にして応募して予選通過した。角川短歌賞は全体の5%ほどしか予選通過しないことを考えると、なかなかの結果と言える。
今年の応募作は予選通過しなかったけれど、来年またチャレンジしたい。
今年の受賞作は渡邊新月さんの連作「楚樹」50首である。他にも自分より良い歌がたくさん掲載されている11月号を読んで勉強したい。
結社の同期と自分を比較することで、自らの価値もまた分かる。そんな体験だった。
そして、歌に向き合う姿勢も問われた気がした。これからも、口語や文語を含めて「自分の心の声」を声にしたい。気持ちの思うがままに。
歌詠みを始めた頃の最初に戻った気がした。
(続く)
この文章を書いた人
小田切拓
92年生まれ。「かりん」所属。18歳の時、手に取った雑誌で短歌投稿コーナーを見つけ、歌を詠み始め楽しさを知る。友人が引くほどのサッカーオタク。第29回現代学生百人一首入選。第42回かりん賞受賞。第66・67・68回角川短歌賞予選通過。
Twitter:@rKGlC6f6HEUiU2r
note:https://note.com/takuan12/
自選短歌
落ち込んで「辛い」とぼやく僕の手を祖父が黙ってギュッと握った
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短歌のターニングポイント バックナンバー
短歌のターニングポイント<1>〜はじめて結社の見学に行った日〜
短歌のターニングポイント<2>〜はじめて結社の全国大会に参加した日〜