こんにちは。牛隆佑(うしりゅうすけ)です。短歌をつくったり短歌の活動をしたりしています。
さまざまな短歌の企画者へのインタビュー「短歌の企画者に話を聞いてみた」の第2回です。今年10周年を迎え、そして、いよいよ最終号(37号)の発刊が迫る短歌なzine「うたつかい」の編集長である嶋田さくらこさんのお話を伺います。
短歌なzine「うたつかい」企画者 嶋田さくらこさんインタビュー
短歌なzine「うたつかい」とは?
牛:よろしくお願いします。まず「うたつかい」の概要について聞かせてください。
嶋田:Twitterにいる人が誰でも短歌を投稿できて、「選」のない、全掲載の短歌のzine(冊子)です。Twitterアカウントを持っていることだけが唯一の参加条件です。
毎号変わるテーマ詠(1首)や自由詠(5首)、2人1組で作る恋歌(各3首)に投稿できます。投稿する短歌に未発表・既発表などの規定はありません。ここ数年は毎号だいたい120名前後の方が参加してくれました。それから誌面には他にもコラムやエッセイの連載があります。
投稿方法は、創刊当初は「うたつかい」のメールアドレスに送ってもらっていましたが、2013年からは、専用の投稿フォームから投稿できるようになりました。
形態や発行ペースにも変遷があります。
当初は、投稿者へ冊子を3冊まで無料で配っていましたが、2年前からPDFで投稿者全員に配布し、希望者のみ送料をいただいて冊子を送っています。
発行ペースも、最初は毎月でしたが、2年目からは隔月になり、その後、季刊(年4回)になり、冊子とPDFを併用にしたのと同じタイミングで年2回の発刊になりました。
また、当初から一貫して、投稿者への配布のほかに販売もしています。販売価格は100円です。ページが増えてきた時に200円にする案もあったのですが、値上げによってとっつきにくくなると意味がないので、やめました。
牛:冊子の内容からすると、初期の「毎月発行」は、恐ろしいペースですね。
嶋田:そうですね。隔月でも大変で、結局、季刊発行の期間が一番長かったです。
牛:紙媒体にはずっとこだわりがあったと思うのですが、PDF配布を導入したのは、送料(発送料の値上がり)のほかにも何か理由がありますか。
嶋田:以前、tankaful(短歌ポータルサイト。編集部員は光森裕樹。2006年~)でインタビューを受けた時に、光森裕樹さんがネット公開の利点を教えてくれたんです。ネット上にいつでも残るし、検索にも出てくるし。光森さんの助言は念頭にありました。
ただ、編集部の会議で話し合った結果、PDFを全体公開にすると、文学フリマなどで冊子が売れないだろうということで投稿者のみの限定公開にすることにしました。(現在、34、35、36号は全体公開)
それに、私もPDFで発表された短歌をスクリーンショットで保存して、読むのを楽しんでいますし、かたくなな「紙」へのこだわりがなくなって、私自信がネット媒体になじんだことも要因ですね。
「うたつかい」をはじめたきっかけ
牛:はじめたきっかけを教えてください。
嶋田:2011年に田中ましろさんに出会って、その時に「うたらば」(短歌と写真のフリーペーパー。発行人は田中ましろ。2010年~)を手渡しでもらったんです。こんな短歌の冊子を「もっと読みたい!」と思って、当時、足しげく通っていた大阪・中崎町のBooksDANTALION(zineの専門店。実店舗は2012年に営業終了)の堺達郎さんに、「うたらば」のような冊子は他に無いかと尋ねたら「無いです」と言われて。
牛:まったく無いわけではなくても、流通は難しかった時代ですよね。当時は文学フリマも東京開催だけでした。
嶋田:そう。ただ、短歌結社も学生短歌も綿々と続いていて、それらの機関誌もあったはずなんです。でも、私がそれを知らなかった。先に出会っていたら、「うたつかい」はたぶん作っていなかったと思います。
「短歌研究」(短歌研究社)や「短歌」(KADOKAWA)のような短歌の雑誌も大きい書店でしか扱っていないし、あっても目立たない棚に置かれているし。唯一、存在を知っていたのは「NHK短歌」(NHK出版)くらいだったんです。
だから、「うたらば」しか無いんやったら作ろう、と思いました。
牛:嶋田さん自身が読みたいものが無かった、というのが根本の動機ですね。
冊子を作る上で、有志に声をかける同人誌の形態もあったはずですが、「誰でも参加できる」としたのはなぜでしょう。やはり、それを紙媒体で行ったところに当時のインパクトがあったと思います。
嶋田:単純に、どんな人がどんな短歌を詠んでんのかな、という興味からです。当時は多くの人が自分のblogで短歌を発表していました。blogを渡り歩いてそれらを読んでいたので、まとめて読めるものを作ろうとしたんです。
でも、それならまだ知らない人にも参加してもらえたら、もっと面白いなと思ったんです。友だちの友だちは友だち、という感じに広まっていったらいいなという考えでした。3冊ずつ配るようにしたのもそのためです。
それと2010年にささきふみさんという方が、Twitterにいる人の短歌を集めてダウンロードできるようにした「恋糸」という企画があって、私も参加していたので、そのことも影響しています。
あと、なにより短歌の同人誌の存在を知らなかった(笑)
当初の反響と広がり
牛:はじめたきっかけが嶋田さん個人の素朴な欲求だったのなら、そうすると反響の大きさと広がりは意外に感じたんじゃないでしょうか。
嶋田:見てきたものを真似しただけで、私になにか特別な意志があったのではないので、加藤治郎さんや田中槐さんといった歌壇の人たちが注目してくれて、驚きました。何がそんなに珍しかったんだろう。
牛:100名以上の歌人を全掲載を紙媒体で、しかもそれをネット(Twitter)を通してやった、という点でしょうか。いわゆるネット短歌の同人集団ではない集合が、紙媒体という目に見えやすい存在で現れた、その存在感のような気がします。
嶋田:私が読みたいもの、欲しいものが他の人の欲望や期待にも合致した、ということなんですかね。
牛:当時は、歌壇とネット短歌にまだ分断があると思われていて、歌壇の側から「うたらば」や「うたつかい」が、一時はネット短歌の代表のように見られていたのは確かなはずです。ただ、実際にネット短歌の代表だったか、となると、正直に言えば誤解があったと思います。「あみもの」もそうでしたが、「うたつかい」もネット短歌の一部の界隈での出来事であって、網羅したものではないですよね。
嶋田:今はもう一部ですらなくて、もっと小さい範囲だと思います。10年の時間の流れを感じますね。
牛:それに「うたつかい」が歌壇で言及される際に、「ちょっとした結社の規模」と言われることがありました。僕も前回の「あみもの」では、そのような言い方をしましたが、それは企画者の御殿山みなみさんの意図に、「月詠」の代替という準・結社の側面があると感じたからです。でも「うたつかい」は準・結社ではないですよね。
嶋田:うん。「うたつかい」は全然ちがいますね。
やっぱり「うたつかい」の場自体は向上のための場ではなかったと思います。あくまでわたしの感覚ですが、たとえるなら発表会なんですね。コンクールじゃなくて。参加する人は、それぞれ自分の場で活動していて、なおかつ「うたつかい」へみなさんの作品を持ち寄ってほしかった。
牛:それに「所属」もありません。システムとしてももちろんのこと、初期の頃に、とある新人賞の最終候補に挙がった歌人が「所属」の項目に「うたつかい」と書いて、Twitterのタイムラインがざわめいたことがありました。批判ではなくて、「うたつかい」が所属になり得るのか、という驚きのざわめきです。
裏を返せば、それは基本的に「うたつかい」は参加者にも所属するものとして認識されていなかったことを示しています。
嶋田:そうそう。「うたつかい」を自分の居場所のように感じてくれていることに私も驚いたし、だからこそ、そう書いてくれたのが嬉しかったです。その後、所属の項目に「うたつかい」を挙げてくれる人がちょっと増えたのも予想外で嬉しかったです。「うたつかい」のそもそもは、私自身の読みたい欲求に応えるものを作りたい、というものでしたから。
牛:「読者」としての欲求ですね。
制作体制について
牛:「うたつかい」が形になるまでには、編集部のスタッフの力が大きいと思いますが、どのような編集体制でしょうか。
奥付を見ると、Editorial Directorに嶋田さくらこさん。Editor/Designerに千原こはぎさんと高木秀俊さんの名前があります。Editorial Staffは、谷じゃこさん、御子柴楓子さん、西村湯呑さん、東風めかりさんですね。
嶋田:まず私の担当の第一は印刷・製本です。家業が新聞販売店で、輪転機とチラシ折り込み時の自動丁合機があります。コロナウイルスが広がる前は、編集部やボランティアで集まっての製本会もよくしていました。それからライターさんへの原稿依頼などの外部連絡ですね。
デザイナーでは、千原こはぎさんは創刊からのメンバーです。高木秀俊さんは、デザイナーがこはぎさん一人になった時期に、さすがに大変だからということで、デザイナーを募集したところ、1名だけ応募があって、それが高木さんだったんです。
牛:千原こはぎさんは実質的な副編集長ですね。それにしても、1名のみの応募が高木さんとはすごい巡り合わせです。
嶋田:本当にそうです。紙面レイアウトのほかに挿絵や表紙の絵を描いてくれる時もあるんですが、毎回とても楽しみにしていました。できるだけこはぎさんと高木さんの好きにしてほしいのもあって、こちらからデザインに注文を付けることはほとんどありません。
牛:千原さんと高木さんのスキルなら注文を付けることも無いんじゃないかと思いますが……。
嶋田:いえ、私も編集長ですから、スキルに関わらず「もっとこうしてもらいたいな」と思うことは当然あってしかるべきなんです。でも、こはぎさんと高木さんのデザインにはそういう気持ちが湧いてこなかった。仕上げてくれる原稿のすべてが本当に素晴らしかった。そんな人と巡り合わせてもらえたのは、神様に感謝しないといけないなと思います。
牛:Editorial Staffはどうでしょうか。
嶋田:テーマ詠のテーマ決めや、歌人紹介欄での一言質問の内容の決定を全員でやっていました。御子柴楓子さんにはウェブシステム周辺にも関わってもらっています。それと、重要な仕事は校正です。私も校正はしますが、誤字や脱字を見つけるのが本当に不得意で。
牛:僕も一時期、外部校正として「うたつかい」の校正を少し手伝いました。「うたつかい」の校正は本当にすごいですよね。誤字脱字だけじゃなく、旧仮名遣いの間違いの指摘までするのには驚きました。コラムの執筆の際には実情と照合した校正までしてくれます。出版社がする校正に近い。
嶋田:私は最初、編集部の負担が大きくなるので、そこまでしなくてもいいと思ったんです。でも、編集部で何度も会議をして、後に残るものだからできる限りちゃんとしようという結論になりました。もちろん、勝手には直せないので、参加者に確認のメールを送ってその返信を待って、というやりとりが必要です。最初は私の役割でしたが、仕事との時間が合わないなどの理由があって、途中からはこはぎさんがしてくれました。
牛:それはやはり紙媒体の弱点ですね。PDF配布なら再発行もしやすいですが、紙媒体だと、訂正シール貼ったり、正誤表を挟み込んだり……。
嶋田:訂正シールも正誤表もあったし、刷り直しも何回もありました。
牛:あまり言及されませんが、投稿フォームの存在は大きいですね。参加者側のミスなら、言ってしまえば自己責任と割り切る方法もあると思いますが、メールからのコピペミスなど編集側の作業によるものならやはり対応が必要になってきます。
嶋田:その通りです。投稿フォームがあると作業効率がまったく違います。
大変でも続けてこられたのは、みんなで連携して作っていく楽しさが大きかったです。編集部のみんなに大いに助けられてきましたが、そのおかげでどこに出しても恥ずかしくない「うたつかい」になったと思います。
なぜ終わるのか
牛:編集部の力が大きいことはよく分かりました。しかもそのスタッフが、無償でそのクオリティの作業をずっと続けていることにも感嘆させられます。
チーム制作だとどうしてもメンバー間で創作物への思い入れに差が出てきがちですが、「うたつかい」の場合は編集部員のそれぞれが「うたつかい」に深い思い入れを持って作ってきたことが、誌面からも分かります。
嶋田:でも、まさしくそれが「うたつかい」をやめようと思った理由の一つにもなっています。
編集部の仕事もライターの執筆も無償で、すべて善意でしてくれていますが、私がその善意に甘えているんじゃないかと。みんながどう思っているかはともかく、私自身がこれまでを振り返った時に、みんなの善意を搾取してきたように思えてきたんです。
だからと言って、仕事や記事に値する十分な対価を支払うのは不可能ですし。
牛:経費はすべて嶋田さんの負担ですので、同人冊子の作り方として搾取とは思わないです。ただ、個人的な集まりのサークル文集的な意識で作りはじめたものが、嶋田さんも歌集を出したり、「うたつかい」が注目されたりするなかで、次第に社会的な意識に変わっていったのかなと察します。
嶋田:たぶんそれはありますね。それと、もともと「私が読みたいもの」として作りはじめた「うたつかい」が、私自身の見る目が肥えて、自分が製作する冊子に高い要求をしたくなってきたのかもしれません。
牛:「見る目が肥えた」というのは、どういったことでしょうか。
嶋田:やっぱり、文学フリマなどで、素敵な同人誌がたくさん手に入るようになって、「私の読みたいもの」が周りにあふれだしたことですね。
何も知らなかった時代から、学生短歌会も短歌結社も知って、短歌雑誌にも触れるようになって、そのうえで自分の読みたいものを作るとなると、自分の力ではまとめきれなくなった、ということかな。少なくとも無償では。
だから、いつか私が原稿料などを支払える基盤ができたら、また「うたつかい」みたいなものを作ってもいいかな。わたしが「読みたい」ものはたぶん変わっていくので、全然違うものになるかもしれませんが。だからまあ、やっぱりお金ですね……。
牛:お金の問題ではありますが、「うたつかい」は当初から、早晩、経済的に行き詰まって終わるだろう、と指摘されていました。その時の指摘とは異なる「お金」の理由ですね。
嶋田:そうですね。年2回発行にしたので、今までと同じように続けるだけなら可能です。
それに「あみもの」(短歌連作サークル。編集人は御殿山みなみ。2018~21年)など、投稿作を集めて発表する形態で、発行ペースのもっと早い媒体が生まれて、それらと比べると「うたつかい」は見劣りがすると思ったのもあります。
私も「あみもの」が登場した時に「ええやん!読みたい!」と思いましたから。「うたそら」(隔月発行短歌誌。編集鳥は千原こはぎ。2021年~)もそうですね。
牛:ネットでの定期的な発表の場として比較した場合は、たしかにそうですね。
「うたつかい」のポリシー
牛:「うたつかい」の公共性というか平等性への意識の高さにも触れたいです。初期の頃、「うたつかい」に前号評のコーナーを設けようとしたところ、編集部の反対で取り止めになったと聞きました。「うたつかい」の精神には合わないから、と。印象的なエピソードです。
嶋田:私は短歌の世界を何も知らなくて、精神も何も無かったので、精神性の構築は初期の編集部のみんながしてくれたんです。初期の編集部は、千原こはぎさん、嵯野みどりはさん、氷吹けいさん、龍翔さん、天野うずめさん、晴流奏さん、兎陸☆さん、です。
前号評も、短歌結社に所属している知り合いから「前号評がないと参加者の短歌のレベルが上がらないよ」と言われて、「そういうものかー」と思って編集部で提案したんですけど、反対意見がすぐに出て白熱した編集会議になりました。たぶん、みんな結社とは異なる「うたつかい」を築こうとしてくれていたんだろうと思います。
牛:前号評は、短歌の向上を目指すなら有効です。だからこそ、初期の「うたつかい」が安易に、その内部に批評を導入しなかったのは、先見の明があったと思うんです。内部での批評は、その媒体そのものに信頼という権威があってはじめて成立するもので、同人誌でもなく、システムとしての所属も無く、まして生まれたばかりの「うたつかい」では、難しかっただろうと思います。
具体的には、毎号毎号、安定した前号評をできる、どんな作風の短歌でもちゃんと読める評者を立てられなくて、どこかの時点で前号評が原因のトラブルが起こって、「うたつかい」の寿命を縮めていたかもしれません。
嶋田:そうですね。思い返すと、やっぱり前号評はできなかったと思います。
すべての参加者を並列に扱うことや、告知や宣伝でも特定の歌人だけの名前を挙げないという意識は、編集部内で構築されました。
牛:「うたつかい」の編集部はすごいですね。初期には初期の大事な役割を果てしていたんだなと感心します。
嶋田:本当にそうですね。「うたつかい」のスタッフやライターさんたちには、ちゃんとお返しをできていなくて、これから恩を返していけたらと思っています。
「うたつかい」に載った歌
牛:実際に「うたつかい」に掲載された短歌をいくつか見ていきたいです。でも、10年分からだと選ぶのも大変でしょうか。
嶋田:そうですね、自由詠(5首連作)から選ぶと絞り切れないので、テーマ詠から選びます。第18号からは、テーマ詠の歌から私が選んだ一首を見返しに掲載するようにしたんです。「うたつかい」での唯一の「選歌」です。冊子の顔になるので、毎号めちゃくちゃ力を入れて、いい歌を選びました。どの歌も大好きですが、何首か印象的だったものを挙げます。
ゆびさきの冷たいひとがさらさらと走らせている黒ボールペン/逢
(うたつかい18号「色」)
嶋田:初めての選歌で選んだ歌です。「冷たい」という温度感、「さらさら」という質感、音感から「黒」へと帰着する。「色」というテーマから視覚だけでなく、触覚、聴覚と広がりを感じる歌でした。
どこまでが春なんだろうふるえつつ返信を待つ季節の長さ/瀧音幸司
うたつかい22号「春」
嶋田:季節はその土地によって感じる「長さ」が違いますよね。「待つ」という言葉は「返信」と「春」の二つにかけられていて、心と体の両方の「ふるえ」が伝わってきます。
ああここはもうふるさとだ膝枕されてほろほろ方言こぼせば/羽島かよ子
うたつかい27号「オノマトペ」
嶋田:方言は不思議なもので、地元に帰り家族と話せば自然に出てきます。「ほろほろ」という、柔らかいものを崩すように感情がほころぶ様子が伝わるオノマトペが絶妙です。
ドラッグストアに人待つ夜の風邪薬(のど・はな・ねつ)の箱またたいて/相田奈緒
うたつかい28号「お店」
嶋田:今でも夜のドラッグストアに行くたびに、この歌を思い出します。ドラッグストアの壁一面に積み上げられた商品の、いろんな色、柄の箱がそれぞれ「またたいて」いるという感性がいい。「待つ」ことを楽しんでいることが伝わってきます。
セツバンダサルヴァンガーサナどこまでも歩いてゆけるわたくしでした/月丘ナイル
うたつかい35号「スポーツ」
嶋田:「セツバンダサルヴァンガーサナ」はヨガの橋のポーズの名前ですが、呪文のようにも聞こえます。35号は新型コロナウイルスで大変な時期の発行でした。この歌はどこにも行けない・だれにも会えない寂しさを軽くしてくれました。橋を渡ってまたどこかに行くための、今は一人で過ごす時間なんだと思えました。私にとってお守りのような歌です。
牛:1頁目、つまり見返しの左隣のページに、嶋田さんの短い詩と高木さんの絵が載っています。これは見返しの短歌を受けてのものですよね。この一首評とも言える詩と絵もいいですね。正直に言って、僕はこれまで目次は読み流してしまっていました。細部まで作り込まれた冊子ですね。
10年をふり返って
牛:10年続けてきて、「うたつかい」が与えた影響は何か思い当たりますか。
嶋田:まず一つは、歌壇の人たちにも届いたことかなと思います。
牛:それはやはり参加者に3冊配ったのが大きいですよね。3冊の意図は「プレゼントしてください」ですよね。
それこそ、もしかすると「うたつかい」に参加した結社所属の歌人が自分の結社の主宰に手渡していたかもしれません。あるいは、僕の職場の同僚に1冊手渡したら、次の号に5首作って投稿した、ということもありました。把握していないだけで、そんなことが多々あったはずです。ネット上だけの展開だとこうはならなかった。
嶋田:ちょっとはその広がり方をイメージしていましたけど、予想以上でしたね。
牛:現物の手渡しという昔ながらのアナログな方法が、ネットとは異なる経路で伝播させたのは面白いですね。デジタルとアナログのハイブリッド型というか。
嶋田:そう思うと、少しは何らかの橋渡しにはなれたのかなという気がしますね。当時のネットの短歌と歌壇とか、もちろん歌人同士とか。
それに前回の「あみもの」の記事を読んで、御殿山さんが「あみもの」を立ち上げる時に、「うたつかい」との差別化を意識したことにびっくりしました。こんな風に、誰かに「うたつかい」が影響して、短歌の世界に広がりがあったのなら、次の段階に進む階段の一つになれたみたいで、それも嬉しいですね。
牛:「うたつかい」も「うたらば」などの影響を受けての結果なので、空間軸だけでなく、時間軸上の橋渡しもしていると言えますね。
嶋田:あっという間でしたけど、10年分の積み重ねがあったんやなと思います。
牛:ほかに「やってよかったな」と思うことはありますか。
嶋田:文学フリマに出ると、参加してくれた人たちが挨拶に来てくれるんです。私も作品を掲載してもらった他の同人誌が文学フリマに出ていると嬉しいので、参加者の人たちも喜んでくれたなら、やってよかったなと思います。
牛:それは絶対にあると思います。僕はもう40歳で、ある程度の図太さを手に入れてしまいましたが、たとえば20歳ぐらいで短歌をはじめて、何も知らない・誰も知らない状態だったら、文学フリマの会場に行くことさえ怖かったはずです。まったくの未知の場所に一人で乗り込むわけですから。
でも、あのブースには自分の作品が載った冊子があると思えたら、その怖さはかなり軽減されるだろうと。精神的な拠点になり得るんです。それもシステムとして所属を強いるのではないから、その人が必要とする時にだけ、拠点になれる。
嶋田:そうそう。そういう都合の良い拠り所になれていたのなら、嬉しいですね。
牛:「うたつかい」終了後の活動は、当面は「西瓜」(季刊同人誌。発行者は江戸雪。2021年~)ですね。嶋田さんは、江戸雪さん・岩尾淳子さんと並んで発起人に名を連ねています。僕はコラムの連載もあって、「うたつかい」の終刊は2019年時点で聞いていました。「西瓜」はどのくらいから話が動いていたのでしょうか。
嶋田:2021年に入ってからです。元々は江戸さんからの呼びかけで、私が発起人に誘われたのは「うたつかい」での経験があったからこそだと思います。発起人3人で、オンラインでじっくりイメージをすり合わせるところからはじめました。今は同人全員で取り組んでいますので、まだまだこれからの展開は読めません。今後、期待してほしいです。
牛:ユニークですよね。同人誌だけど投稿欄があり、選歌はするけど全掲載で、という。投稿欄の「ともに」というタイトルにも、「選歌サービス」ではなく、投稿者とフラットな関係で新しい価値観を築こうという意思を感じさせます。楽しみです。
「うたつかい」10年間、お疲れ様でした。
嶋田:ありがとうございました。
おわりに
ロングインタビューになりました。それでも10年を語るにはまだまだ足りません。そもそも語りたい作品はむしろ読者の側にそれぞれあるはずですし、「たたさんのホップステップ短歌」(たた)や、「秘密基地女子おろろん日誌」(ショージサキ)などの名物コラム・エッセイや、印象的な表紙画の数々にも触れずじまいです。
それらは実際に手に取って眺めてみてください。「うたつかい」はすべて「紙」で残されたものなので。
インタビューされた人
嶋田さくらこ(しまださくらこ)
1975年滋賀県生まれ、在住。新聞屋兼フードスタイリスト。短歌なzine「うたつかい」(2011年9月発刊、2021年9月終刊)編集長、企画、発行。歌集『やさしいぴあの』(書肆侃侃房)。『西瓜』同人。
Twitter:@sakrako0304
うたつかいTwitter:@utatsukai
うたつかいblog
自選短歌
ぴあのぴあのいつもうれしい音がするようにわたしを鳴らしてほしい
インタビューした人
牛隆佑
1981年生まれ。フクロウ会議メンバー。
これまでの活動はこちら。
Twitter:@ushiryu31
blog:消燈グレゴリー その三
自選短歌
朝焼けは夜明けを殺しながら来る魚を食らう魚のように
記事内で紹介した短歌企画
嶋田さくらこさんの短歌企画
- うたつかい:誰でも投稿できて全掲載の短歌なzine。編集長は嶋田さくらこ。2011~2021年
- 西瓜:短歌の季刊同人誌。発行者・発起人は江戸雪。岩尾淳子と嶋田さくらこも発起人。2021年~
記事内で言及した短歌に関わる企画
- tankaful:短歌ポータルサイト。編集部員は光森裕樹。2006年~
- うたらば:短歌と写真のフリーペーパー。発行人は田中ましろ。2010年~
- 文学フリマ:文学特化の同人誌即売会。主催は文学フリマ事務局。2002年~
- あみもの:短歌連作サークル。編集人は御殿山みなみ。2018~21年
- うたそら:隔月発行短歌誌。編集鳥は千原こはぎ。2021年~